第521話 模擬戦闘の準備中
ミランダ裁縫店への訪問から数日。
ノワールが担当する携行用耐熱装備の開発が前進する傍ら、俺は別の案件を進めるために、白狼騎士団本部の一室を訪れていた。
そこはアンブローズが管理する実験用の大広間。
魔法使いを本職とする騎士であるアンブローズが、魔法にまつわる各種実験を行うための、充分な広さと強度を持たされた大部屋だ。
俺がこの実験室を訪れた理由は、セオドアから受けたもう一つの依頼、第四階層に物資や人員を安全に下ろす手段の開発のため――ではない。
そちらはアレクシアが機巧技師達を率いて設計に取り掛かっており、今はまだ俺が関われる段階ではなかった。
では、何のために実験室まで足を運んだのかというと――
「うっし! 白狼の、こっちは準備万端だぜ」
「私も万全です。いつでも始められます」
準備運動を終えたガーネットとサクラが、やる気充分といった様子で実験室に入ってきた。
二人とも仕事でダンジョンに潜るときと同じ装備を整えており、武器もしっかり腰に下げている。
「分かった。もうすぐチャンドラーとアンブローズが来ると思うから、全員揃ったら始めよう。ナギとメリッサも準備はいいか?」
「むしろ待ちくたびれたくらいですよ」
「私達の出番はない方がいい気もしますけどね」
実験室の端で待機していたナギとメリッサが声を揃えて返事をする。
「悪いな、二人とも。探索から戻って早々に付き合わせたりして」
俺がそう言うと、ナギは片眉を上げてサクラに横目を向けながら、いつもと変わらない反応を見せた。
「依頼ですから構いません。不知火に手を貸すのは癪ですが、暴走でもされて町に被害が出たら堪りませんからね」
ナギはサクラと同じ東方大陸出身の冒険者で、それぞれ対立する主義を掲げる一族の出身だと聞いている。
そのため、いつも顔を合わせればお互いに棘のある言動を交わすのだが、嫌味の応酬の域を出ることは決してないし、必要とあらば躊躇なく力を貸し合う間柄でもある。
要するにサクラもナギも、個人的な好き嫌いよりも大局的な判断を優先できる性格なのだ。
俺はそのことをよく理解しているから、ナギの力が必要なときは遠慮なく協力を依頼することにしていた。
「ええと……手順はあれが先で次はこうで……」
一方、ナギのパートナーであるメリッサは、手帳とにらめっこしながら自身の役割の復習に集中しているようだ。
メリッサはナギに分かりやすいくらいの想いを寄せていて、彼がある意味で距離感の近い対応を取るサクラに警戒心を抱いているのだが、今はさすがにそれどころではないらしい。
二人に依頼をしたのは、万が一サクラの神降ろしが暴走してしまった場合の抑止だ。
ナギが持つ東方呪術の知識を応用し、メリッサの属性魔法を東方流の属性に変換して神降ろしの魔力の暴走を食い止める――ノワールが装備品を完成させるまでは、これが暴走に対する唯一の対抗策である。
「うう……久し振りだから緊張するなぁ……」
「五行相剋は基本中の基本だ。鞍替えを考えてるなら、相剋と相生くらいは空で言えるようにしておけよ」
メリッサの指導をナギに任せようと考えたところで、実験室の扉が開いて二人の騎士らしからぬ騎士が姿を現す。
「待たせたな。実験を始めようか」
「おっ、前にも見た顔触れだな。今日はよろしく頼むぜ」
丈の長い服で全身を覆い、フードと前垂れで素顔すら隠した異彩の魔法使い、翠眼騎士団のアンブローズ。
褐色の肌を持つ南方出身の屈強な戦士、赤羽騎士団のチャンドラー。
今回は彼らにも協力してもらう手筈となっている。
予定していたメンバーが全員揃ったのを確かめてから、俺は改めて今日の目的を宣言することにした。
「よし、それじゃあ始めようか。皆に集まってもらったのは、戦力の安定化を目的とした実践データ収集に協力してもらうためだ。具体的には、メダリオンの【融合】……魔法使い達が言うところの『魔獣因子の限定覚醒』と、サクラの神降ろしの二つに関して、模擬戦闘を通してデータを収集したいと思っている」
この辺りは事前に説明しておいた内容の再確認に過ぎないので、この場の誰一人として疑問を差し挟む気配はない。
「本当なら新しい剣のテストもしたかったんだが……仕上がっていないものは仕方がない」
「エゼルの奴は今日中には顔を出せるって言ってたから、もうちっとの辛抱だな」
「そうだな。エゼルが持っているイーヴァルディの剣を分析させてもらって、第二階層のドワーフや管理者からも話を聞いて……」
ガーネットの新しい剣に今後の作業を指折り数える。
王都からグリーンホロウに戻り、セオドアから第四階層の発見を報告されてからというもの、やらなければならないことがとにかく山積みだった。
けれど、数日前にガーネットと穏やかな夜を過ごせたこともあって、気力は十二分に保たれている。
この調子なら、予定よりも早く事を済ませられるかもしれないくらいだ。
「ルーク団長。陛下から賜ったアダマントの剣には、魔法的な措置が施された痕跡が見受けられなかったそうだね」
「ああ、王都の魔法使い達でも発見できなかったなら、本当にないものだと考えるべきだろうな」
俺はアンブローズの問いかけに答えながら、ガーネットの腰に下げられた剣に目をやった。
今回、ガーネットは普段のミスリル合金の剣ではなく、未加工のアダマントの剣を装備して模擬戦に臨もうとしている。
理由としては、従来の剣とはサイズや刃渡りが微妙に違うので、今のうちに慣れておきたいというのと、あくまで『限定覚醒』の試験なので、他の魔法的効果は除外しておきたいというのがある。
「ならば、こちらからは特に助言はできそうにない。アダマントという金属の物性か結晶構造に由来する特性が原因だろう。人間なら魔法使いではなく錬金術師の領分で、ドワーフに意見を求めるのも間違っていないはずだ」
「すぐに呼び寄せられそうな錬金術師の伝手があるなら、後で教えてくれないか」
「正直、この近辺でという縛りを設けるなら、心当たりはない。遠方から招くなら話は別だが、その場合はかなり時間が掛かると思ってもらいたい」
「そうか……何にせよ、まずはドワーフとエゼルの剣だな」
ひとまずアダマントのミスリル加工については、否が応でも一休みせざるを得ない。
ならば今は他の作業に注力するだけだ。
「……よしっ! 模擬戦闘を始めるぞ!」




