第516話 ミランダ裁縫店 後編
「はいはい……シルヴィアちゃんね。今行きますよっと」
店の奥からひょっこりと姿を現したのは、何とも言えない物臭な雰囲気を漂わせた女性だった。
ミランダと呼ばれたその女性は、へらりとした愛想笑いを浮かべてはいるものの、その立ち居振る舞いからは積極的に仕事で稼ごうという空気は感じられない。
何というか、来客を収入に繋げようというがっついた様子がない、とでも言うべきだろうか。
さっきシルヴィアに言ったとおりの職人気質、それも満足のいく仕事ができれば最小限の稼ぎで構わない、といった類のようだ。
「どっこいしょっと。ええと、それじゃあお仕事の話といきますか」
ミランダは気だるげな笑みを浮かべて俺達を見やり、そして何やら訝しげに眉をひそめ、短く「おおっ」と声を漏らした。
「おやまぁ、これはこれは領主様じゃないですか。うちも晴れて領主御用達の看板を掲げられるってわけですね」
「名目上のお飾りだから気にしないでください。それに今日はホワイトウルフ商店としてのお願いがあって来たんですし」
王宮から領地としてグリーンホロウ周辺の土地を預けられたのは、あくまでその一帯が納める税金を、王国の税収ではなく白狼騎士団の活動予算として付け替えるための名目だ。
俺自身が本当に領主として振る舞うつもりは毛頭なく、町の統治は王宮直轄領だった頃と全く同様に、それぞれの町役場に担当してもらっている。
武器屋の店主に騎士団の団長……この二つの同時進行だけでも大忙しなのに、そこへ更に領主の務めを上乗せさせられるはずなどないのだから。
「ホワイトウルフ商店の評判はかねがね耳にしてますよ。それじゃあ、店長さん。今日はどんな服をお求めで? 噂の婚約者さんへの贈り物なら、王都の一流どころに声を掛けた方がいいかもですけど」
「個人的な用件でもありませんよ。新しく開発中の製品の加工に、腕利きの仕立て屋の協力を仰ぎたいと思っているんです」
そして俺は、今回の依頼の概要を簡潔に説明することにした。
詳細な情報は正式に依頼を受けてもらってからとして、まずは『元素の方舟』を探索する冒険者達に支給する特殊装備を作っている、という程度の説明から。
Aランク冒険者が率いる大規模探索のための発注であり、報酬額も充分に大きくなるはずだとも付け加えておく。
「……というわけなんですが、お願いできませんか」
「うーん……シルヴィアちゃんの紹介だから無下にはしたくないんだけど……」
ミランダは腕組みをして考え込み、小声でぶつぶつと一頻り呟いてから、申し訳無さそうに視線をこちらに向けた。
「冒険者に着せる服の依頼なんですよね。あんまり気が進まないというか何というかさ……」
俺は思わずシルヴィアと顔を見合わせた。
まさかこんなあっさり断られるとは思ってもいなかった――シルヴィアの表情が克明にそう物語っている。
「何か問題が? 理由を伺っても? 端的に言うなら……冒険者のことを快く思っていないとか」
「いや、快いとか快くないとかじゃなくて……もしそうだったらサクラちゃんの服も作ってないでしょ? 全然そんなことないですよ。理屈じゃなくって、あくまで個人的な気分の問題なんだけど……ううん……」
ミランダはごにょごにょと口籠り、常連客であるシルヴィアとサクラの方を見てすぐに目を逸らし、迷いに迷った末に再び口を開いた。
「私、こっちへ引っ越してだいたい十年くらいになるんですけどね。前に暮らしてた土地に冒険者の友達がいたんですよ。黒沼谷のヴェラっていう……いや、名前はどうでもいいですね」
「……黒沼谷の……」
「戦闘でしょっちゅう服をダメにする子でして。私も駆け出しだったからいい練習だと思って、服を直したり新しく仕立てたりしてたんです」
突如として始まったミランダの昔語りに、俺達は大人しく耳を傾けていた。
「ですけどあるとき、ふっと思ったんですよ。もしもあの子の身に何かあったら、私の服が死装束になるんだなって。普段は平気なのに、そんな風に考えたら作業の手がぱったり止まっちゃうんです」
「……結果的にそうなってしまうことは否定できませんね」
「結局、そう思ってたのが伝わったのか、ヴェラはあんまり店に来なくなってしまったんですね。その間に私も前の町を出てしまって、それっきりお互いに音沙汰なしですよ。生きてるんだか死んでるんだかもさっぱりで」
あははと笑うミランダ。
情けない自分の笑い話をしているんだ、とでも言わんばかりの態度だが、その態度とは裏腹になかなか根が深い気配がする。
「サクラちゃんみたいに『この子なら大丈夫』って思える子ならいいんですけどね。不特定多数の冒険者ってなると、嫌な予感がひしひしと浮かんでくるっていうか」
「……そうですか。もちろん無理にお願いするつもりはありません」
俺がカウンター前を離れる素振りを見せると、シルヴィアとノワールが不安そうな視線を向けてきた。
その後ろでは、ガーネットとサクラが真剣な表情で俺とミランダのやり取りを見守っている。
正直、こういう状況では話し辛いことでもあるのだが……やはり言わないわけにはいかないだろう。
「ですが一つだけ……いえ、二つだけ。まず第一に、詳しい話は正式に契約をしてからと思ったこちらが悪いのですが、この依頼は『冒険者の命を守るため』の依頼なんです。彼らが挑む環境はとても過酷で、この装備がなければ容易に命を落としてしまうかもしれません」
冒険者のために作った服が彼らの死装束になってしまう。
それは否定しようのない可能性であり、それを避けたいと思う仕立て屋がいるのも仕方のないことだ。
けれど俺達が作ろうとしている装備品の数々は、あくまでその事態を避けるためのもの。
重要な使命を負って危険を冒す者達の命を守るための服であることは、ミランダにも知っておいてほしかった。
「それと……あー、黒沼谷のヴェラとかいう冒険者なんですがね」
言わなければならないと覚悟したはずなのに、見苦しく二の足を踏んでしまう。
もしもミランダと二人きりだったなら何の憂いもなく伝えられたのだが、いくらなんでも状況が悪い。
というか、一緒にいる面子の都合が悪い。
「……彼女がミランダさんの店に行かなくなったのは、ミランダさんを避けていたからじゃないですよ。ちょうど、どこぞの【修復】スキル馬鹿と付き合っていた頃で、そいつの練習に付き合わされて、仕立て屋の世話になる機会が減っただけなんです」
後ろから突き刺さる視線の質が露骨に変わる。
俺はそちらへの対処を心苦しくも後回しにし、きょとんとした顔のミランダに対して言葉を続けた。
「黒沼谷のヴェラはちゃんと元気にしてます。最終的に堅気の男を捕まえて引退しましたし、二年前にもたまたま顔を合わせましたからね」
「えっ……ヴェラのこと知って……?」
「これでも十五年は冒険者をやっていましたから。顔だけは広いんですよ、本当に」
後でガーネットのご機嫌取りを全力でやる覚悟を固めながら、俺はミランダの不安を解きほぐすために笑いかけたのだった。




