第515話 ミランダ裁縫店 前編
春の若葉亭での会議から数日後。
俺達はシルヴィアの案内で件の仕立て屋を訪ねることにした。
護衛名目のガーネットと担当者のノワールを連れて待ち合わせ場所に向かうと、そこにはシルヴィアだけでなくサクラの姿もあった。
「悪い、待たせた。サクラも一緒に来るのか?」
「前々から注文してあった服を受け取ろうと思いまして。第二階層から引き上げるのが遅くなって、予定よりも長く預けっぱなしにしてしまいましたから」
「確か今はトラヴィスのパーティに協力してるんだったか。あっちもあっちで大変みたいだな」
何気ない日常的な雑談を交わしながら、シルヴィアの後に続いてグリーンホロウの町並みを歩いていく。
サクラはよく俺の仕事を手伝ってくれているが、西方での本職はあくまで冒険者である。
当然ながら、セオドアが第四階層を発見する前から『元素の方舟』の探索に参加しているので、主な活動場所はこれまでの探索の最前線であった第二階層だ。
「服ってドレスでも発注したのかよ」
「ま、まさか! 普段着の予備を注文したんだ!」
ガーネットにからかわれ、サクラは軽く頬を赤らめて反論した。
どうやら二人とも、以前王都を訪れたときのサクラのドレス姿を思い浮かべ、それぞれ違う反応を見せているようだ。
あれは確かによく似合っていたが、普段のサクラの格好とは全く方向性が違うので、自分には合わないと感じてしまうのも無理はない。
「件の仕立て屋は実に腕利きで、私の東方風の服を容易く複製してしまったほどなんだ。西方だと手に入りにくいものだから、かなり前から世話になっているな」
「ふぅん。てことはオレ達も、知らねぇ間にそいつの製品を見てたってわけか」
「そうなるな。今日着ているものも彼女に作ってもらったものだ」
サクラは東方風の着衣の襟元を軽く引っ張ってみせた。
「俺達が初めて会ったときに着てたのは東方製なんだよな。どこが違うのか分からないな……大したもんだ」
「さすがに違う素材を使っていますから、着心地には違いがあります。とはいえどちらかが劣っているという違いではありませんが」
構造からして違う東方風の服を、西方に来る前から着慣れているサクラが称賛するほどの品質で再現する――これだけでも件の仕立て屋の腕前が伺えるというものだ。
今になって思えば、サクラが出会ってから一年以上経ってもなお、西方風の服に鞍替えせず独自の服装を貫くことができたのは、件の仕立て屋という供給源があったからなのだろう。
そんな職人がいるのに最近まで気が付かなかったのは……まぁ十中八九、俺がその方面に興味を示さなかったせいである。
「あっ、初めて会ったときと言えば」
俺達の先頭を歩いていたシルヴィアがぽんと手を叩く。
「今ここにいる人達って、ルークさんがホワイトウルフ商店を始めてすぐの顔触れですね。懐かしいなぁ」
「……そういえば。あの頃は何もかも手探りで行き当りばったりだったよな」
魔王軍との戦争が本格化するより更に前。
現在は半分が冒険者ギルド支部に改装されたホロウボトム要塞が、やっと完成を迎えて本格稼働し始めた直後の時期だ。
その直前まで、ホワイトウルフ商店の正規従業員は店長の俺だけで、シルヴィアとサクラが好意で手伝ってくれる状況が続いていたが、そこに銀翼騎士団からの護衛役ということでガーネットも加わった。
しかしそれでも増加し続ける需要に対応しきれず、そろそろ新規雇用をしなければ回らないという頃になって、新たにノワールがスタッフとして加わった。
本人はあくまで罪滅ぼしのつもりだったようだったが、俺としてはきちんと働いてくれるなら文句はなく――やがてノワールはホワイトウルフ商店にとって欠かすことができない存在になっていった。
ホワイトウルフ商店が現在の立ち位置を築いた時期はいつかと言われれば、やはりノワールが加わって以降ということになるのだろう。
もちろん、それから間もなく加わったエリカやアレクシアも替えが利かない人材だし、少し遅れてやって来たレイラにもかなり助けられているのだが。
「思えば遠くへ来たもんだ。活動拠点はグリーンホロウと『元素の方舟』から動かしてないっていうのに、冒険者を続けてきた十五年よりもずっと冒険してる気がするな」
「年寄り臭ぇこと言ってんじゃねぇっての。楽隠居にはまだ早いぜ?」
「引退なんか、するつもりあるわけないだろ。まだまだこれからなんだから」
俺とガーネットのやり取りを横目に、くすくすと笑うシルヴィア。
ノワールも何となく微笑みを浮かべているようにも見える。
「ルークさん、そろそろ到着ですよ。ほら、あそこの建物です」
シルヴィアが指差したのは、町並みに溶け込んだ何の変哲もない建物だった。
掲げられた看板から、仕立て屋であることは見て取れるものの、最初からそれと知らなければ容易に見落としそうになってしまう、ごく目立たない店構えだ。
「お邪魔します。ミランダさん、いますか?」
シルヴィアは躊躇なく扉を開けて中に入っていく。
サクラも当然のようにそれに続いたので、俺達も失礼させてもらうことにした。
店内は……店というよりも作業場に近い雰囲気である。
棚に置かれているのは商品ではなく材料の布地ばかりで、服の完成品はあまり目に入らない。
どうやら注文されるたびに一つ一つ製造するらしく、都会で見られるような、綺羅びやかな完成品を店頭に並べて客を引き寄せる方針を取るつもりはないようだ。
「職人気質の仕立て屋なんだな」
「分かります? あんまり新規のお客さんを集めるつもりもないみたいで、サクラみたいに常連の紹介で新しく通う人がほとんどなんです。でも断ったりはしない人ですから、そこは安心してください」
その辺りは最初から心配していない。
新規の客をすげなく追い返すような仕立て屋を、シルヴィアが紹介するとは到底思えないからだ。
むしろそういう営業方針で問題なくやっていける時点で、常連やその紹介で来店した客をしっかり掴んで放さない実力の持ち主という証拠である。
「ミランダさーん?」
もう一度、シルヴィアが店の奥に向かって呼びかける。
すると今度は、いやに気だるげな女性の声が返ってきた。
「はいはい……シルヴィアちゃんね。今行きますよっと」




