第507話 獣の力を宿す者
その後、俺達はいつも支部を訪れたときと同じように、知り合いの店やホワイトウルフ商店の支店を巡ってから、自宅兼本店へと戻ることにした。
「……っと、その前に。ミスリルの補充もしておかないとな」
「今月分の在庫はまだあったんじゃなかったか?」
「商品に使う分なら余裕があるけどさ。お前の剣に使う分は別枠で確保しておかないと、後で手続きがややこしいことになるだろ」
「ん……それもそうだな」
現在のウェストランド王国において、ミスリルは採取から流通に至るまで許可制とされ、王宮の厳しい管理下に置かれている。
この採掘許可は俺個人に与えられているものなので、俺が採集したミスリルをホワイトウルフ商店と白狼騎士団のどちらの所有物とするかは、俺の判断で決めていいことになっている。
しかし、一旦ホワイトウルフ商店の資材にすると報告したミスリルを、後から白狼騎士団の物資に変更する場合は、どうしても余計な書類作成の一手間が掛かってしまう。
ミスリルの流通を監視するために必要な手続きとはいえ、できることなら省けるに越したことはないので、支部を訪れたついでにミスリルの追加採掘も済ませてしまおうという魂胆である。
「(まぁ、やりようは色々とあるんだが。せっかく支部まで来たなら、追加で採って帰るのが一番手っ取り早いんだよな)」
そんなことを考えながら、ミスリルの採取ができる『奈落の千年回廊』に向かおうかとした矢先、支部の敷地の隅から俺達を呼ぶ声がした。
「久し振りだね、二人共。王都は楽しかったかな」
――その男の声を聞いた瞬間、俺もガーネットも思わず身構えてしまった。
冒険者とは違った質のいい服に、上等な雰囲気を台無しにして余りある白覆面という異様。
ヴァレンタイン・アージェンティア――二人いるガーネットの兄の一人である。
「警戒する必要はないだろう。君達の邪魔をするつもりは、あらゆる意味で持ち合わせていないよ。遠巻きに見守らせてもらえれば満足さ」
「……驚いただけですよ。まさかこんなところで鉢合わせるとは思っていなかったものですから」
「というか、まだ帰ってなかったのかよ」
ガーネットが漏らした呟きは、ヴァレンタインに聞かせようという意図があってのものではなく、ただ単に考えたことが言葉に出てしまっただけのようだった。
ヴァレンタインがグリーンホロウに来た理由、それはアガート・ラムに対するガーネットの復讐心を煽るためだった。
彼はガーネットの母親が殺害されたその日、現地を統括する責任者として居合わせており、ガーネットの母親を守り切れなかったどころか、自らも瀕死の重傷を負わされてしまったらしい。
守りたいと思った相手を守れなかった――この一件がヴァレンタインの精神の均衡を崩したのだという。
そして彼はガーネットの復讐を『本来復讐を実行すべき女性の代行』であると捉え、彼女が改めて復讐心を燃やす様を見届けたいという欲求を満たすのを兼ねて、アガート・ラムが『元素の方舟』に潜んでいるという最新の仮説を教えに来たのだ。
――この辺りの事情を知ったことで、俺はヴァレンタインを単に不気味なだけの人間だとは思わなくなったし、正気を失うに至った経緯に共感を覚えないわけではなかった。
それはそれとして、想定外のタイミングで顔を合わせれば驚かざるを得ないというものだ。
「しばらく逗留すると言わなかったかい? 知っての通り、俺の体は継ぎ接ぎ同然でね。それなりに馴染むまではこの地の温泉の効力の世話になりたいのさ」
いわゆる湯治という奴だ。
グリーンホロウの温泉には昔からそういう目的で来る客も多かったと聞くし、ヴァレンタインの肉体が真っ当ではないことも知っている。
ガーネットの存在を抜きにしても、ヴァレンタインがグリーンホロウに長期滞在すること自体は、決して不自然ではない。
「それに、君達の騎士団に派遣されたアンブローズは、俺の主治医でもあるんだ。体が安定するまでは近くにいたいと思うのが当然だろう?」
「ええ、そうですね」
妙な誤解を与えないように前置きをしてから、頭に浮かんだ一番の疑問を口にする。
「ですがどうしてこんなところに? ギルド支部の大浴場は湯治目的には向かないと思いますけど。騒がしくてろくに休めそうにありませんし」
「これも治療の一環だよ」
ヴァレンタインはあっさりとそう言い切った。
「俺の肉体の損壊部分は、メダリオンの破片から抽出された魔獣の因子で補われている。そのせいだと思うんだけどね、魔力の濃い環境にいると体の調子が良くなるのさ」
「ああ……なるほど。この『日時計の森』もダンジョンであることに変わりはありませんから、盆地の底に行けば行くほど、土にも空気にも濃厚な魔力が籠もっていますね」
「週に何時間かはここに来て強い魔力に晒されること。主治医の指示だからと思ってやっていたけど、ただの森林浴と考えてもなかなかに良い物だ」
そしてヴァレンタインは視線を――白覆面のせいで目は露出していないのだが――ガーネットの方へと移した。
「ガーネット。君も一時的にとはいえ魔獣の因子を肉体に宿すのなら、時間があるうちに慣れておくべきだ。使い慣れない力は身を滅ぼすことに繋がりかねないよ」
「……それは警告ですか?」
「善意からの助言さ。俺も君達と拳を交えた後は、全身がバラバラになるんじゃないかと思うくらいに痛い目を見たからね。意地を張らずに【修復】を掛けてもらうべきだったかな」
「肝に銘じておきますよ、兄上」
ガーネットは複雑な感情を抱きながらも、それを表に出すまいとするかのように、わざとらしいくらいに丁寧な返事をしていた。
恐らく、ヴァレンタインから助言を受けるのは癪だが、助言の内容自体は間違いなく適切なものだったので、聞き耳持たずに突っぱねるべきではないとも思ったのだろう。
それが人間らしい正気から出たものではないにせよ、ヴァレンタインはガーネットの復讐の成就を望んでいるし、無理をして途中で力尽きることを望んではいない。
皮肉にも、俺とヴァレンタインはその一点に限っては意見の一致を見ているのである。
俺は内心で、今後の予定に一つ案件を書き加えた。
セオドアからの道具開発依頼の達成。
陛下から授かったアダマントの剣の改造。
そして――ガーネットとメダリオンを【融合】させる強化手段の鍛錬だ。
物事の優先順位はきっちり決めておかないといけないが、時間が許すのなら新しいメダリオンも試しておくべきかもしれない。
ただし、本当に時間が許すのならではあるけれど。




