第506話 母と娘と男と女と
「……よしっ。これくらいなら、すぐにでも対応できそうね」
フローレンスは俺が伝えた各騎士団からの要請をメモに取り、更に手早く書き込みを付け加えた。
「まず魔王軍の手掛かりを見つけたら、深追いせずに支部へ報告することを周知徹底させるわね。銀翼騎士団との連携の件も了解。後でフェリックス卿と打ち合わせしておかないと」
「俺も同席した方がいいか?」
「んー……多分大丈夫だと思う。フェリックス卿は話が分かる人だし、言い換えれば『ダンジョンを調査する騎士団の道案内の依頼』ですもの。そんなに無茶な要請じゃないわ」
さすがというべきか、フローレンスの仕事ぶりは支部長の肩書に相応しい手際の良さである。
冒険者時代にも、こいつは相当やり手だなと感じることは多かったが、支部長の役目までこなせるほどだと思ってはいなかった。
まぁ、そこまでやれると思わなかったという話なら、フローレンスも俺に対して同じことを言いたいのだろうとは思うのだけれど。
「他の騎士団からの要請については、ギルド支部が中心になってやれることはなさそうね。鉄狗騎士団の件は当分先のことになっちゃうし」
「そうだな。翠眼は町に出入りする魔法使いのチェックだから町役場の、虹霓鱗はヒルドの研究に絡んだ要求だから白狼の領分だ」
「手伝えることがあればもちろん力を貸すから、遠慮なく言ってね。依頼の形でお金を落としてくれたらもっと嬉しいんだけど」
フローレンスは冗談めかして笑いながら、今回の会合の後片付けに取り掛かり始めた。
多忙なフローレンスの時間を無駄に使わせるわけにはいかないので、ガーネットを引き連れて執務室を後にしようとする。
その直前に、一つだけプライベートな話題を投げかけてみる。
「おっと、そうだ。娘は元気にしてるか?」
「あら。自分のプライベートは内緒にするのに、こっちの私生活には興味津々なのね」
悪戯っぽくそう言い返されて、言葉に窮してしまう。
フローレンスはそんな俺の反応を見てくすくすと笑い、それ以上焦らすことなく質問の答えを返した。
「もちろん元気にしてるわ。知っての通り、昔から病弱な子だったけど、最近はグリーンホロウの環境のおかげか調子もいいみたいなの」
「……そうか、そいつは良かった」
リサが元気にやっていると聞いて、率直な安堵を覚える。
フローレンスがグリーンホロウの支部長就任の要請を受けた大きな理由は、一人娘のリサを健康にいい環境で育てることだった。
俺にとってフローレンスとその今は亡き夫は、駆け出し時代の数年間、同じ土地で苦楽を共にした同業者だ。
あの頃はまだEランクから昇格できないのもギリギリ普通の範疇で、あいつも含めた同期連中と揃ってフローレンスに惹かれてみるなんていう、若かったとしか言いようのないこともやっていた。
リサは俺から見れば、いい思い出が幾つもある時期を一緒に過ごした仲間達の間に生まれた子供だ。
気にかけずにいられるはずがないだろう。
「ありがたいことに、私が仕事で動けないときなんかは、ギルドの皆にも気にかけてもらってるしね。今日なんか、サクラちゃんがわざわざ町の方に遊びに連れて行ってくれてるくらいで」
「サクラが? 初耳だな」
「そっちのお店のエリカちゃんもよく構ってくれてるんだけど、知らなかった?」
聞いたことがない話だったので素直に首を縦に振る。
「別に俺は、あいつらの保護者ってわけじゃないからな。私生活で何をしてるのかなんて、知らないことも多いに決まってるだろ。全部知ってるとか言えるのは……」
ガーネットくらいだろうと言いかけて、妙に恥ずかしいことを口走りかけていた気がして取りやめる。
冷静になって考えれば、第三者からすればガーネットは四六時中行動を共にするボディーガード役なので、決しておかしな発言ではなかったのだが。
「それもそうね。また今度、ちゃんとお礼をしておかなきゃ」
穿った見方をすると、支部長のご機嫌取りのためにやっているんじゃないかと思われかねないが、サクラ達ならそんなことはないだろうと確信できる。
サクラは剣の腕を磨き、神降ろしを使いこなせるよう経験を積むことが目的であって、ランクを上げること自体に大して関心がない。
エリカに至っては冒険者ギルドと何の関係もないから、支部長の機嫌を取ることそのものに意味がない。
少なくともこの二人は純粋にリサを可愛がってくれているだけだろう。
「……おっと、悪い。話し込み過ぎたな。仕事、頑張ってくれよ」
「ありがと。そっちこそ、無理だけはしないでよ。もうルークは代わりの利かない人材になってるんだからね」
フローレンスの称賛を素直に受け取って、今度こそ支部長の執務室を後にする。
廊下は偶然にも無人のタイミングで、落ち着いた静けさに満たされていた。
「にしても、フローレンス支部長って大したもんだよな」
さっきまで護衛に徹していて口数が少なかったガーネットが、ぐっと伸びをしながら普段通りに口を開く。
「支部長ってクソ忙しいんだろ? こんな訳アリのダンジョンなら尚更さ。それと並行して子供まで育ててるなんて、下手なAランクより凄ぇんじゃねぇの? 他のAランクがどんな奴らか知らねぇけどさ」
「そうだな……親が自分だけってのが特に信じられないな。トラヴィスも驚いてたくらいだし、できる奴だとは思ってたけど、まさかあれ程とはって感じだ」
就任当初にも同じような感想を抱いてはいたが、今は実際に仕事をこなし続けてきた実績を踏まえたうえでの、より実感のある驚きだ。
冒険者稼業を続けながら子供を育てているというだけならまだしも、自分一人だけでなおかつ支部長というのは、ちょっと他の実例が思い浮かばない。
「オレがフローレンス支部長の立場だとして、同じことができるかっつーと……」
ガーネットは何やら考え込もうとしたが、すぐに首を横に振って取り消した。
「……やっぱ今のなし。同じ立場とか想像もしたくねぇや」
さも投げ槍なようでいて、それでいて深い感情が籠もった言葉。
一体、何がフローレンスと同じになった場合を想像したのか――俺はその一言に込められた想いを尋ねることもなく、何も言わずに廊下を歩いていくことにした。




