第505話 人生を変えたあの夜を想う
例によって、章の始まりの数話分はこれまでのおさらいとこれからの前振りで構成されています。
用件を終えたセオドアが探索に戻るため執務室を出たところで、ガーネットが真面目な態度を崩して背もたれにもたれかかった。
「つーか、あの約束ってまだ生きてたんだな。あれから色々あったんで、相殺されて有耶無耶になったかと思ってたぜ」
「向こうは忘れてたかもしれないけどな。少なくとも自分から掘り起こすつもりはなかったみたいだ」
「じゃあ何でわざわざ引き合いに出したんだ?」
「貸し借りが曖昧なまま放置しておくのは気持ち悪いだろ。この機会にきっちり精算しておきたかったんだよ」
ふぅんと軽い相槌を打つガーネット。
フローレンスはそんなガーネットと俺を交互に見やり、雑談感覚で質問を投げかけてきた。
「それで、どんな経緯で貸し借りを作ることになったの? トラヴィスやダスティンならまだ分かるけど、セオドア卿とあなたの繋がりは想像がつかなくって」
ガーネットはぴくりと小さく頬を動かし、俺に横目を向けて無難な返答をするように要求してきた。
俺がセオドアに借りを作った経緯はガーネットに……正確にはガーネットが『騎士団長の妹』として振る舞うときの名前である、アルマに深く関係している。
かつてガーネットは、母親の仇を自らの手で取るため、アガート・ラムと直接敵対する可能性が高い銀翼騎士団への所属を望んだ。
銀翼騎士団はガーネットの一族が統括する騎士団であり、現騎士団長は彼女の事情に理解を示す母親違いの兄である。
このため、男子限定の昔ながらの伝統を堅持する銀翼騎士団に、性別を偽って入団することは十分に可能であった。
問題は、父親のレンブラント卿だった。
彼は表向きには引退した身でありながら、未だに騎士団と一族に対して強い影響力を持っており、更にガーネットをどこかの有力者と結婚させて一族の力を増させようと考えていた。
ガーネットがこんな父親を納得させるために出した条件。
それは、仇討ちに成功するか十八歳を迎えた時点で、父親が満足できる相手と結婚するというものだった。
そしてレンブラント卿は、魔王戦争が終わって俺を護衛する任務も一段落したタイミングを見計らい、将来の結婚相手を今のうちに見繕っておくように要求したのである。
「(……ここまでは秘密にしておかないといけない事情。ガーネットの素性に絡む問題だ。でもこの続きは……正直、説明しても問題はない経緯なんだよな)」
あの日、ガーネットは父親との約束に従い、俺達に事情を伏せて王都に戻り、姉の配偶者の貴族が主催する夜会に出席することになった。
少し遅れてその事実を知った俺は――それはもう大いに慌てた。
冒険者になってからの経験の中でも、上位に入る焦りっぷりだったと思っている。
とにかく俺は当時の自分が持っていた人脈をフル活用し、どうにか夜会に乗り込んでガーネットに想いを伝えると共に、当時まだ保留状態だった『新設騎士団の団長就任』の話を受けることをレンブラント卿に告げた。
これによって、二人の関係を『婚約者候補』のところまで認めさせることができ、武器屋と騎士団長を兼任する現在の状況に至ったわけだが。
「(色んな奴の世話になったけど、セオドアからは辺境伯の嫡子の立場を使って招待状を書いてもらったんだ。協力要請は前々から受けてたけど、あの件で貸し借りが生じて……この辺りのことはフローレンスに話しても……)」
既に俺とアルマの関係は広く知られてしまっている。
その関係が成立する過程で、セオドアに地位を活用してもらったことがあるのだという程度のことであり、改めてフローレンスに説明しても問題はないだろう。
しかしガーネットは、フローレンスの目を盗むようにして、隣から無言の圧力を向けてきていた。
「(ああ……なるほどね。ただ単に、自分がいる場所でフローレンスに説明されるのが恥ずかしいのか)」
分かってみれば単純明快。
正体がバレることの懸念から話されたくないのではなく、個人的な羞恥心から避けてくれとアピールしているわけだ。
それはそれで納得せざるを得ない理由だ。
むしろガーネットを動揺させて違和感を覚えさせる恐れがあると考えれば、正体隠しにも支障が出ると言えなくもない。
「……まぁ、色々とな。あいつの貴族の肩書に頼らないといけない状況があったんだ。深刻な事情があるわけでもないから、また時間があるときにでも。そんなことより、騎士団名義で伝えておきたいことがあるんだが……」
セオドアに作った借りについての話題を適当に流し、こちらの用件を切り出すことにする。
フローレンスも、白狼騎士団として持ち込まれた用件よりも優先する意味はないと理解したらしく、特に気にする様子もなく話題の軌道修正に乗ってきた。
「王都で他の騎士団と意見交換をしてきたんだ。もちろんギルド支部にも協力してもらわないといけないことが山程あるからさ……」
「もちろん協力は惜しまないわ。こちらとしても騎士団が本腰を入れてくれるのはありがたいもの」
そうして俺は、王都で話し合った内容を余すとこなく支部長に伝えることにした。
いや、厳密には『余すとこなく』ではない。
国王陛下と虹霓鱗騎士団のアンジェリカ卿から聞かされた、地上の人間達がまだ知るべきではない真実については、そんなものが存在することからして伏せている。
真実とやらが一体何を意味しているのかは皆目見当もつかないし、当然ながらそれが地上の人間達に知れ渡ることにどんな問題があるのかも分からない。
しかし陛下の人となりを考えれば、大した意味もないのに事実を伏せることだけは考えられない。
単に従来の常識を覆すだけの新事実に過ぎないのなら、あのときの流れで当事者である俺にすら伝えないのは逆に不自然だ。
裏を返せば、知ってしまうことで俺にも不都合が生じる代物か――あるいは真相の暴露が本当に社会を揺るがす結果に繋がるので、俺から情報が漏れてしまうことすら警戒しなければならないほどなのか。
「(どちらにせよ、今は俺にできることをするだけだ。具体的にはセオドアの依頼をこなすところからだな)」
自分の許容量を越える問題を背負ったところで、いいことなど何一つない。
当面は目の前の問題を片付けることに専念しようと心に決めながら、俺はフローレンスとの意見のすり合わせを続けたのだった。




