第491話 唯一にして最大の反撃
「いるに決まっているではないですか。『元素の方舟』は地上の文明を保存する避難所なのですよ? 第三階層には古代魔法文明の末裔が都市を築く――そのような設計になっているのですから」
ああ――確かにそうだ。
どうして今の今まで思いつかなかったのだろう。
ダンジョンは人跡未踏の魔族の領域という先入観が強すぎたせいなのか。
古代魔法文明を知る管理者フラクシヌスやエイル議員が証言したように、アルファズルが文明を後世に繋ぐために作り出したのが『元素の方舟』で、世界中のダンジョンがそれを模倣した施設であったのなら。
それ故に、ダンジョンから古代魔法文明の遺物が発見されることがあったというのなら。
人間そのものが対象外である方が不自然なのだ。
「私からもいいか」
驚きに固まった俺の代わりに、キングスウェル公爵が口を開く。
「古代魔法文明人が『元素の方舟』に息を潜めて滅亡をやり過ごしたというのは、まぁ納得するとしよう。だがそうなると、我々の祖先は『元素の方舟』から地上に戻った人間ということになるのか?」
「いいえ、どうやら『元素の方舟』の人間達は地上に帰還していないようなのです。一人残らずそうであるとまでは断言できませんが」
「つまり『元素の方舟』を模倣した別のダンジョンからの帰還者か、あるいはダンジョンに頼らず生き延びた人間か……ふむ……」
しばらく心境を整理する時間が生まれたことで、俺も落ち着いて考えをまとめることができた。
本来『元素の方舟』には古代魔法文明の人間も逃げ込んでいて、彼らは魔族の多くが棲まう第二階層ではなく、支配階級に割り当てられた第三階層で暮らしていたわけだ。
つまり人間全体が支配階級に位置付けられていたわけで、ガンダルフが人間に冷淡な理由の一端も見えた気がしたが、そこはさほど重要ではない。
「……管理者フラクシヌスは、第二階層に対する第三階層の干渉が途絶えたと言っていました。魔王ガンダルフも第三階層から敗走して第一階層に逃れたのだと……」
「第三階層の人間達がどうなったのか。それは私にも分かりません。真相に最も近いのは、今もなお探索を進めている冒険者達でしょう」
これについてはエイル議員に賛同せざるを得ない。
人間もアガート・ラムに滅ぼされてしまったのか、あるいは人間とアガート・ラムが手を組んでいるのか。
外部の者達が真相を知る術はなく、現地の冒険者達が第三階層に通じる道を見つけるか、あるいは魔王軍の幹部級を捕らえて吐かせるかでもしない限り、第三階層の人間がどうなったのかは分からないままだろう。
「……あら、今夜はそろそろお時間のようです。初回の会合はここまで、でしょうか。まだお話し足りませんが、続きはまた明日以降ですね」
エイル議員は静かに椅子から立ち上がり、清楚と表現するより他にない微笑みを浮かべた。
「身勝手ながら、私はウェストランド王国の方達に期待させていただいています」
もしも内面の異常性を垣間見ていなければ、心まで清らかな存在だと思い込んでしまったかもしれない仕草だった。
「我々は『元素の方舟』がアガート・ラムなる異分子に乱されることを良しとせず、あなた方はアガート・ラムを地上の秩序を乱す存在であると敵視する……お互いに益のある協力関係になるとは思いませんか?」
先程からエイル議員の発言は、北方樹海連合の議員ではなく『白亜の妖精郷』のハイエルフとしての視点に固まっているとしか思えない。
きっとこれは優先順位の問題だろう。
確かに『白亜の妖精郷』のエルフ達は、古くから繋がりのある北方樹海連合に手を貸し、連合議会に議席を得るほどの影響力を握るに至った。
けれどもエルフ達にとって……特に支配者たるハイエルフにとって、北方樹海連合は相対的にウェストランド王国よりは大事にする程度でしかなく、連合の存続も本来の目的と比べれば些細なことなのだ。
そしてハイエルフ達のうち、少なくともエイル・セスルームニルにとってはアルファズルこそが最優先事項。
故に過去の戦争の遺恨も、新たな戦争の火種も全く意に介さない。
「(……いや、どうでもいいと思っているのは北方樹海連合だけじゃない。俺も……ウェストランド王国すらもどうだっていいんだ……)」
仮にエイル・セスルームニルが、魔王ガンダルフのように分かりやすく人間と敵対していたなら話は簡単だ。
しかし彼女は曲がりなりにも人類に協力しようとしている。
俺の『右眼』に細工をしたことすら、彼女に言わせれば人類のためだというのだ。
根本的に分かり合えないにもかかわらず、利害の一致を理由に協力せざるを得ない――これほど厄介な相手はそういない。
陛下はこれまでも対立関係にあった国々を取り込み、一つの国としてまとめ上げてきた手腕の持ち主だから、清濁併せ呑んで最良の結果を掴み取るのはお手の物だろう。
けれど、エイル・セスルームニルの思うままに事態が推移するのはどうにも収まりが悪く……端的に言えば気に食わない。
本人にそのつもりがあったのかどうかはわからないが、俺だけならまだしも、ほとんど無関係だったはずのガーネットまで巻き込んだのだ。
それを思うと尚更に不快感が募ってくる。
「陛下、最後に一つ確認してもよろしいでしょうか」
「構わんぞ、言ってみろ」
「ありがとうございます」
きちんとアルフレッド陛下の了承を得てから、これだけは確かめておかなければ帰れない事柄を確認する。
「エイル議員が私の右目に魔法的な細工を施し、記憶の削除を試みた末に、古代魔法文明に関する情報を封印した一件……これは情報提供の見返りとして不問に処す、ということでしょうか」
そしてすかさず、陛下を非難しているという誤解を受けないように、正確な補足も加えておく。
「もちろん、そうするだけの価値がある情報だと思います。事前にご相談があれば私からも同じ提案をしたはずです。ただ、そうであるのなら明確に把握しておきたいのです」
「うむ……まずは連絡が遅れたことを詫びよう。だが情報の見返りというのは過小評価だな。他にも相当こちらに有利な条件を引き出すことができたぞ」
「ええ、相当に絞られてしまいました」
エイル・セスルームニルが困ったような顔を浮かべたが、今ひとつ溜飲が下がらない。
有利な条件というのも、きっと北方樹海連合か『白亜の妖精郷』が引っ被るものであり、本人が痛い目を見る類のものではないのだろう。
「その件については、まだ後で詳しく話をさせてもらいたい。構わんか」
「分かりました。日程の決定をお待ちしております」
俺と陛下のやり取りが終わるのを見計らったように、エイル・セスルームニルは礼儀作法に則った一礼をして、部下のエルフを連れて応接室を出ようとした。
応接室の扉が開かれる直前、俺は最も重要な一言をその背中に投げかけた。
「エイル議員。これだけは明確に宣言しておきます。俺はアルファズルに体を明け渡すつもりはありません。それだけは諦めてください」
「――っ! そう、ですか」
扉の前で足を止めて振り返ったエイル・セスルームニルの表情は、どうしようもない哀しみを堪えるように歪んでいた。
アルファズルを価値基準の最優先に置く彼女にとって、可能性としてあり得たはずのアルファズルの復活を否定されるのは、きっと何よりも辛いことに違いない。
それを改めて指摘してやることこそが、今この場で俺にできる唯一にして最大の、何よりも的確に弱点を貫く反撃であった。




