第489話 エイル・セスルームニル 前編
「お通ししろ。くれぐれも丁重にな」
陛下の指示を受けて侍従が一旦扉の前を離れ、それからしばらくして、招待客の到着を告げる声と共に扉が開け放たれる。
そして数人のエルフの従者を引き連れて、美しい容姿のハイエルフの女が姿を現す。
ウェストランド王国に従うことを拒んだ僅かな北方諸国の共同体――北方樹海連合の議員にして、その地に存在するダンジョン『白亜の妖精郷』のハイエルフ、エイル・セスルームニル。
古代魔法文明の滅亡前から地上に生き、生前のアルファズルや若き日の魔王ガンダルフとも交友のあった歴史の生き証人。
「お久し振りです、アルフレッド国王陛下。お招き頂き光栄ですわ」
エイル議員が公人として相応しい挨拶を済ませ、予め用意されていた来賓用の椅子に腰を下ろすと、細身で長身のエルフの従者達が主を守るようにその周りに立った。
本人は余裕に満ちた微笑みを浮かべているが、従者達は真剣な面持ちで周囲を警戒しており、こちらを信用していないことが伺えた。
「遠路遥々よく来てくれた。議員としてパーティーへの出席の予定もあるだろうから、この場では単刀直入に本題を済ませようではないか」
「ええ、そう致しましょう。煩雑な外交的交渉は明日以降として……『元素の方舟』に関するお話は、アルファズルに選ばれたお方がいらっしゃる今この場で……」
ウェストランド王国と北方樹海連合。
かつて戦争を繰り広げ、今は曲がりなりにも講和を結んだ関係にある二国の要人。
俺なんかが居合わせていいのか分からない状況だが、話題が話題だけに退席することは許されそうにない。
それに何より、俺個人もエイル議員とは少なからぬ因縁があるのだ。
「白狼の森のルーク……失礼、ルーク・ホワイトウルフ殿にしてみれば、一体どの面を下げてウェストランドの土を踏んだのだと仰っしゃりたいのかもしれません」
「古代魔法文明について隠蔽を図るために、貴女が俺の右目に掛けた情報の封印は未だに解けていませんからね。どんな罠が仕込まれているのかと考えれば、現状維持を貫くしかありませんでしたよ」
あれはヒルドが白狼騎士団に派遣された直後のこと。
ヒルドの魔法と知識で『叡智の右眼』を調べようとしたところ、俺とヒルド、そして居合わせていたガーネットは、古代魔法文明の都市の再現と思われる仮想空間に引きずり込まれてしまった。
その最深部で俺達を待ち受けていたのは、俺達の記憶から仮想空間で見聞きした情報を失わせるため、直前にエイル議員と顔を合わせたときに仕込まれていた『エイル議員の分身』とも呼べる精神体だった。
分身との戦いには勝利し、仮想空間で体験した物事は覚えたままで脱出することに成功したが、最後の悪足掻きで二度と仮想空間に進入できないように封印を残されてしまったのだ。
「乱暴だったのは謝罪します。しかしあれは必要な措置でした。アルファズルの記憶には、地上の人間がまだ知るべきことではない情報が多すぎますから」
何ともまぁ見上げた胆力である。
こんな状況で悪びれることもないなんて、よほど図太い神経をしていなければ不可能だろう。
気が遠くなるほどの年月を生きてきたハイエルフだからこその精神性なのかもしれない。
「それについては明日以降に持ち越すとして。セスルームニル連合議員。まずは『元素の方舟』に関する話が先だ」
「失礼いたしました。まず、樹人のフラクシヌスは私の旧友でもあります。彼……雌雄のない種別の樹人なので便宜上の呼称ですが、とにかくあの樹人から得た情報については信用に足ると言っておきます」
管理者フラクシヌス。
ダンジョン『元素の方舟』の第二階層に存在する、第三階層の特権階級の支配を逃れた魔族の受け皿だった中立都市の創設者にして、自らの肉体を変形させて都市がある島を生み出した強大な樹人。
俺達が『元素の方舟』について得た情報の大部分は、あの魔族から得られた知識が元になっている。
「私を含め、アルファズルが率いた者達は古代魔法文明の滅亡の回避と、次善の策としての文明存続を目指して数々の手を打ってきました」
応接室が水を打ったように静まり返り、誰もがエイル議員の発言を聞き逃さまいと耳を澄ます。
「そしてアルファズルの傑作たる『元素の方舟』には、私達のうち三人の魔族が残り、管理運営を担うことになりました。内訳は既にご存知かもしれませんが……樹人のフラクシヌス、ダークエルフのガンダルフ、そしてドワーフのイーヴァルディです」
前にフラクシヌスからも伝えられ、そして裏付けが取れず半信半疑のままだった情報が、エイル議員の証言で次から次に裏打ちされていく。
エイル議員も、俺達がフラクシヌス経由の情報の裏付けを求めていると気付いていたらしく、こちらの反応を確かめる素振りもなく淡々と情報を述べ続けていた。
「これもフラクシヌスから伺っているかもしれませんが、念の為に私の口からも告げておきましょう。アガート・ラムを名乗ったという自律人形の集団ですが……そんなものは知りません」
あまりにも躊躇いのない断言に、ただそれだけである程度の説得力を帯びているようにすら感じてしまう。
「フラクシヌスは機械技術に興味を持たない質でしたから、正確な情報は提供できていなかったかもしれませんね。なので断言しましょう。自我を持つ自動人形など、古代魔法文明にもありませんでした」
大きな前提が足元から崩れていくような感覚に襲われる。
現代の技術水準を越えたものであっても、古代魔法文明の遺物であると考えれば納得できてしまうものだった。
しかしアガート・ラムには、俺達が幾度も争ってきた自動人形には、その説明が成り立たないのだという。
「古代魔法文明といえど『人格』を人工的に生み出すことはできなかった……この理解で構わないか?」
アルフレッド陛下が重々しく口を開く。
「はい。そういった分野の研究者はいましたが、特定条件下での自律判断は可能でも、人格の再現としては稚拙極まりないものでした。しかし……そういったモノが実在するのなら、誰が生み出したのかは見当がつきます」
そしてエイル議員もまた、大きな問題に挑もうとしているかのように、真剣な面持ちで言葉を続けた。
「ドワーフのイーヴァルディ。恐らくは彼こそが自動人形を生み出した存在であり、今も存命であるのならですが――彼こそがアガート・ラムを率いているに違いありません」




