第483話 緊迫の謁見の瞬間
「何をやっているんだ、エゼル。お前もきちんと挨拶をしなさい」
「……えっ?」
その名を聞き、更にしぶしぶ向き直った少女の顔を見て、俺は大声を挙げなかった自分自身を褒めてやりたくなった。
陛下に叱られたその少女は、他でもない勇者エゼルであったのだった。
「え……ええと……初めまして、ルーク・ホワイトウルフ様……?」
「何だ、エゼルよ。まさか素性を明かしておらんかったのか」
「うっ……機会を逸して、そのままどうにもこうにも……」
王女らしい衣装に身を包んだエゼルは、アルフレッド陛下から問いかけられてしどろもどろになりながら、視線を左右に泳がせている。
俺は言葉を失って跪いたまま、信じられない光景を見上げていた。
彼女と弟のエディがどこか地位の高い家柄の出であることは察しがついていたが、まさかそれが王家だったなんて。
いや、もっと気にかけるべき問題は別にある。
エゼルは先日、白狼騎士団が取り掛かろうとしていた仕事の多さを知り、関係する騎士団長が一堂に集まった会合ができるよう、実家を通して取り計らってくれると言っていた。
その結果として、今日の騎士団長会合が開かれるに至ったわけで。
きっとエゼルの親の貴族が国王陛下に掛け合ってくれたのだろうと勝手に解釈していたが、まさか陛下に直通だったということか。
しかも、あのときエゼルはもう一つ、ガーネットと約束を交わしていたわけだが――
「ルーク・ホワイトウルフよ。エゼルがお前の部下のガーネット・アージェンティアと交わした約束、確かに果たすつもりだ。お前達の貢献を鑑みれば、特別な剣の一つでも下賜せねば国王として格好がつかんからな」
「あ、ありがとう、ございます」
背筋にぶわっと汗が滲む感覚がする。
そう――エゼルはガーネットに新たな武器の素材となる剣を都合すると約束していた。
あれも相手が貴族の誰かだろうと思っていたから、まだ大袈裟には捉えていなかった。
貴族の人脈で優れた鍛冶師を紹介してもらえるとか、そういうレベルの話だと思っていたのだ。
しかし、それが王女から国王陛下への『お願い』だったとすると、話がまるで変わってくる。
「さて、今この場ではあまり長く時間を取れんが……お前は何か言っておくことでもあるか?」
国王陛下が隣の席に座る王妃に話を振る。
「そうですね……では、アルマ・アージェンティア」
「はい」
王妃は俺ではなくガーネットの方へ眼差しを向けた。
「冒険者というものは、さも『冷静で的確な判断力を備えています』と言わんばかりの顔をしていても、根本的なところでは冒険心を抑えられないものです。さもなければ、最初から冒険者などになっていませんからね」
「はっはっはっ! 耳が痛いな!」
その一言で陛下が豪快に笑い、ガーネットが王妃を見上げたままくすりと微笑む。
気が気でないのは俺だけで、どうもガーネットは陛下や王妃とこの距離で対面することに慣れきっているらしい。
騎士の名家のアージェンティア家の一員だからか、それともまさか友人の両親という認識でいるのだろうか。
「健気に帰りを待つのも美徳の一つかもしれませんが、貴女も私と同じく、それで満足できる人間ではないのでしょう」
「……ええ、その通りかもしれません」
「でしたら遠慮は要りません。力の限り隣にいてさしあげなさい。貴女ならそうするだけの力があるはずですし、私も及ばずながら助力いたしましょう」
「ありがとうございまず、王妃陛下」
微笑みながら恭しく頭を下げるガーネット。
普段の態度からは想像もできないが、騎士らしい振る舞いも適切に身に付けているのがガーネットだ。
しかし声色だけ聞けばとても上品で和やかなやり取りだったが、どうしてだろうか、発言の矛先がことごとく俺の方を向いていた気がする。
「ふむ、そろそろ時間だな。エゼルも最後に何か言うことはないか?」
「で……では……」
エゼルは小さく咳払いのような仕草をすると、椅子に座ったまま軽く身を乗り出して、俺達だけに聞こえる大きさの真剣な声で呟いた。
「他の皆には黙っててください……! だいたいいつも、素性がバレたら疎遠になっちゃうんですよ……! ガーネットは例外なんですけど……!」
妙な滑稽さすら感じる仕草と表情だったが、どうやらエゼルなりに切実な悩みを抱えているらしい。
素性がバレたら疎遠になる、つまり王女であることを隠して親しくなっても、素性を知られたら心理的な壁が生じてしまうという経験を何度もしてきたというわけか。
そしてガーネットだけは、お互いの秘密を知り尽くしたうえで、普段と変わらぬ態度を貫き通しているわけだ。
なるほど、エゼルがああも本気でガーネットに良くしてくれるわけである。
「畏まりました、王女殿下」
「ちょ……!?」
「……っていうのより、ガーネットの友達として接する方がいいんだろ。グリーンホロウに戻ってからもよろしくな、勇者様」
「まったくもう、驚かせないでくださいよね」
エゼルと小声で囁き合ってから、改めて国王陛下と王妃陛下に向き直って、跪いたまま一礼をして御前を立ち去る。
そのときに、二人が親として嬉しそうに笑っているように見えたのは、俺の気のせいではなかったはずだ。
「……っはぁー……死ぬかと思った……」
両陛下の前を離れ、大広間を埋め尽くす人の海の中に戻ってすぐに、俺は心の底からの安堵の息を吐いた。
謁見にも慣れてきたつもりだと自惚れていたが、ああも品格ある態度が求められる場は完全に別物だ。
他人の目がない場所で陛下と会うだけなら、豪快でおおらかな陛下の人柄もあって、こちらもあまり固くならずに振る舞うことができる。
しかし誰が見ているか分からないこんな場所で謁見するとなると、俺の不作法も簡単に見過ごされるものではなくなってしまうだろう。
「ちゃんとできてたと思うぜ。さすがじゃねぇか」
「……というかお前、エゼルが王女だったなんて初耳だぞ」
「そりゃ言ってねぇからな。あいつに頼まれてるんだよ。ルーク相手に限らず、自分が打ち明けるまではバラさないでくれって。理由の説明は要るか?」
「いや……別にいいさ。察しはついてるからな」
エゼルとガーネットが真相を隠していたことを悪く思うつもりはない。
そうしても仕方がない事情であると納得できたし、俺がガーネットの立場でも同じことをしていただろう。
ただ、その影響で心臓が止まるかと思ったのもまた事実なので、少しばかり愚痴りたくなっただけだ。
「さてと、次はシルヴィア達と合流しねぇとな」
踵を返したガーネットの背中に、思わず問いを投げかける。
「皆に隠しておく秘密は、エゼルの素性だけでいいのか?」
「……遠回しに聞くなって。はっきり言っても怒らねぇよ。オレのことだろ?」
ガーネットは振り返って軽く爪先立ちになり、至近距離から俺に顔を近付けた。
「色々と考えたんだけどよ、ネタバラシはもうちょっと先送りにしてぇんだ。せめて騎士になった目的を果たすまではな。もちろん見抜かれちまったら説明はするつもりだけどさ」
「やっぱり心の準備ができてないのか?」
「いや、何つーか……」
そしてガーネットは俺の耳元に唇を近付け、決して他の誰にも聞こえないようにして囁いた。
「秘密の関係ってのも、何か面白ぇだろ?」
その囁きは、先程の謁見の緊張よりもずっと的確かつ強烈に、俺の頭の中身を揺さぶった。
「んじゃ、ひとまずそういうことで。また状況が変わったら考え直すことにしとこうぜ」
ガーネットは乱暴な口調のまま表情だけお嬢様らしい微笑みに切り替えて、シルヴィア達が待つ場所へと一足先に向かおうとしたのだった。




