第475話 兄と弟、義兄と義弟
ひとまず謁見のために着用していた服を着替え、帰り際にシルヴィア達が泊っている宿に立ち寄ってみることにする。
もちろん目的は、シルヴィア達を夜会に誘って招待状を渡すことだ。
あまりにも急な提案だったので、もしかしたら既に予定が詰まっているのかもしれないが、それでも説明すらせずなかったことにしてしまうわけにもいかないだろう。
仮拠点に戻るというヒルドとアンブローズ、そして護衛役のチャンドラーとは途中で別れ、ガーネットとマークを連れて目的地の宿へと向かっていく。
その途中、運河沿いの大通りを三人で歩きながら、控室で話しそびれていた話題をマークに持ちかけた。
「謁見が終わった後、何だか死んだみたいになってたな」
「当たり前でしょうが。一体誰と会っていたと思うんですか。むしろ団長殿が平気だったことが驚きなんですけどね」
マークは『団長殿』という言い回しを強調して、少々の嫌味も籠もった声色で言い返してきた。
陛下との謁見をあんなにも落ち着いて乗り切れたのは、正直自分でも驚きだ。
何度となく経験を積んできたことで、自覚がない間に慣れてきていたのだろうか。
「そりゃあお前、白狼のは何だかんだで陛下と顔合わせしてきたからな。これで三回目だっけか? いや、四回目?」
ガーネットが愉快そうに笑いながら横槍を入れ、マークにちょっかいを出してくる。
「お前はソフィア卿から『騎士として社会勉強をしてこい』って言われて来たんだろ? だったら今のうちに慣れとけよ。いずれオレの妹の義弟になるんだしな」
「……そう、それだ! 今になっても信じられないのは!」
声を荒らげて、マークはガーネットに向き直った。
「結婚相手を見つけただけならまだいい! むしろ遅いくらいだ! だけど相手がアージェンティア家の御令嬢だって? しかも目をみはる美少女? 未だに納得いかないな!」
「お、おう……お前もお前なりに大変なんだな……」
「本人の前で言うことか、それ」
俺は急に勢いをなくしたガーネットを見て、思わず苦笑を浮かべずにはいられなかった。
自分で妹の件を引っ張り出しておきながら、いざ客観的な評価をぶつけられると言葉に詰まってしまうのか。
もう少し鏡を見る習慣を付けた方がいいぞと言いたくなってしまう。
ちなみにこの場合の『本人』とは、マークには俺のことだと思わせるような言い回しにしたが、もちろん本当はガーネットのことを念頭に置いている。
「アルマのことは今はいいだろ。それより、マーク。お前は夜会の方はどうするんだ? 経験を積むためなら参加しておいた方がいいと思うけど」
「……そうですね。参加しないと後でソフィア卿にどやされそうです。でもさっきみたいに置物になるだけかもしれませんよ」
「空気に慣れるだけでも収穫だと思うぞ。何なら、変な連中がシルヴィア達に声を掛けたりしないように、魔除けみたいに突っ立ってるだけでもいいんだ」
「なるほど……一理ありますね」
後半はかなり冗談交じりに付け加えた部分だったが、マークは妙に納得したような反応を返してきた。
昨夜の一件を思い返して、俺が公爵や議員と話している間に、シルヴィア達の保護者役が必要になるとでも考えているのだろう。
実際には、シルヴィアもマリーダも接客業という職業柄、面倒な客から声を掛けられるのをあしらうことに慣れているし、場所が場所だけに力尽くのトラブルは起こり得ないのだが。
「ところで団長殿。謁見だけではなく夜会にも慣れていそうな雰囲気ですけど、ひょっとしてそちらの経験も豊富なんですか」
「まさか。その手の会場に入ったのも一回だけだよ」
「そうだったんですか。どんな経緯だったのか伺っても?」
マークはごく自然な雑談の一環として、非常に答えにくい話題を持ち出してきた。
説明してはいけない理由があるわけではない。
あの夜会の参加者なら誰でも知っている顛末だし、そこから噂も広まっているはずだ。
俺は適当な相槌で場を繋ぎながら、さり気なく当事者の方に目をやった。
しかし、ガーネットは露骨に視線を逸らすと、分かりやすく歩調を遅くして俺達の後ろに付こうとする。
止めはしないが首を突っ込むつもりもない、といったところか。
あの一件を思い出したときの表情は、意地でもマークには見せられないという強い意志が感じられる。
「そうだな……詳しい背景は教えられないんだが。アージェンティア家の前当主、今でも強い影響力を持っている、銀翼騎士団の前団長は知ってるか?」
「確かレンブラント卿でしたか。名前だけなら知っています」
「レンブラント卿は『婚姻関係で一族の力を強めるべき』っていう古い考えの持ち主で、娘のアルマもそのために有効活用しようと考えていたんだ」
マークがほんのわずかに眉をひそめる。
長らく顔を合わせてこなかった弟だったが、どうやらこいつも古い考えには染まっていないらしい。
騎士として育ててきたジャスティン卿の価値観の影響なのだろうか。
「それで、レンブラント卿は既に他の娘を嫁がせていたとある伯爵の夜会を利用して、アルマの婚約者を見繕おうとしたんだ。本人の意志は完全に無視してな」
「酷い話ですが、まさか団長殿もその夜会に?」
「ああ。そんなことになってると気付いたのが直前だったから、片っ端から伝手を頼って乱入同然にな」
我ながら、あれは今思い返してもとんでもない強行軍であった。
有力騎士団の一族の一員である店員のレイラから、彼女が想いを寄せるAランク冒険者であり俺の友人でもあるトラヴィスへ紹介することを交換条件に情報を仕入れ。
有力貴族の嫡子でもあるAランク冒険者のセオドアから、奴の探索への協力を条件に夜会への紹介状を書いてもらい。
ほとんど滑り込み同然に会場へ乗り込み、男達を拒み続けるアルマの手を取ったのだ。
「それだけのために乗り込んだから、実を言うと夜会らしいことは全くしてないんだよ。だから今回が実質的に初参加だな」
「……分かりました、もういいです」
マークは呆れ気味に溜息を吐き、やれやれとばかりに首を振った。
「俺は夜会での立ち振舞いの参考が欲しかったんです。愚兄の惚気話なんて聞きたくもありませんよ。まったく、生々しい」
「ははっ、悪い悪い」
後ろを歩くガーネットが、マークの目を盗んで俺の背中に拳をぶつけてくる。
それは殴ると表現できるほどの力が込められておらず、喋り過ぎだという抗議の意思だけが伝わってくる接触であった。




