第462話 馬車に揺られて今を見直す 後編
――団長であるルーク・ホワイトウルフが乗り込んだ馬車の後ろを、同じ形式のもう一台の馬車が走っている。
持久力に余裕のある四頭立てに、詰めて乗れば十人は優に収まる箱型の車。
しっかりとした作りだが豪奢ではなく、質実剛健な耐久性重視の作りがされている。
弓矢や投石などの昔ながらの物理的な攻撃手段では、壁や天井を貫くことは叶わないであろう頑丈さだ。
「この馬車って確か兵員輸送用だったっけ。よく貸してもらえたよな」
二輌目に乗り込んでいた紫蛟騎士団のマークが、改めて感心したような声を漏らす。
「うちらの団長……お前の兄貴は大したもんだよ。騎士になる前から上級騎士団に顔が利いたんだろ? これだって黄金牙から二つ返事で借りられたそうじゃねぇか」
それに答えたのは、隣に座る赤羽騎士団のチャンドラーだった。
普段は屈強な褐色の肌を多く晒す格好をしているチャンドラーだが、今は見苦しくない程度に騎士らしく着込んでいる。
マークは兄が称賛されたのを聞き、そんなことを言いたかったわけではないとばかりに眉をひそめ、露骨に話題を切り替えにかかった。
「そんなことより、この組み合わせはどうにかならなかったのかね」
「組み合わせ? 馬車に乗り込む振り分けか?」
「あっちは団長とガーネット卿とヒルド卿。美少女と見紛う美少年に、いつもフードを被ってるけどかなりの美人……それに引き換えこっちと来たら」
わざとらしく冗談めかしながら、マークは車内を見渡した。
馬車には旅の物資や王都に持ち込む資料が――書類だけでなく物理的なサンプルもだ――積み込まれており、一台に六人全員が乗り込むとかなり窮屈になってしまう。
さすがに王都までその状態で過ごすのは厳しいということで、馬車を二台借りて荷物と人員を振り分けているわけだ。
それ自体は別にいい。むしろ快適になってありがたいくらいだ。
「何でったって、暑苦しい脳筋に怪しい魔法使いと一緒なのやら」
「ははは! 言うじゃねぇか! 俺だってヒルド卿が同じ車なら嬉しかったぜ!」
冗談に便乗するようにチャンドラーが大声で笑う。
一号車には団長のルークと銀翼騎士団のガーネットに虹霓鱗騎士団のヒルド。
二号車には紫蛟騎士団のマークと赤羽騎士団のチャンドラー……そしてもう一人、翠眼騎士団のアンブローズ。
全身を覆うローブと顔を隠す前垂れで素性を隠匿したその姿は、未だに見慣れたとは言い切れない怪しさに満ちている。
「至って合理的な配分さ」
瞳を記号化した模様が染められた前垂れの下で、アンブローズが容姿の印象に反したよく通る声を発する。
「各車両に武闘派が一人ずつ。魔法系スキルを使用可能な者が一人ずつ。そして非戦闘員が一人ずつ。ガーネット卿は護衛役だから団長と不可分で、ヒルド卿をそこの女好きから引き離すことを考えれば、この組み合わせ以外にはあり得ないだろう」
冷静な口調で飛び出した歯に衣着せぬ表現に、マークは思わず小さく噴き出してしまった。
対するチャンドラーは乱雑に組んだ脚に肘を置いて頬杖を突き、苦々しく鼻を鳴らした。
「俺のことはどうでもいいんだっての。つーか、翠眼の騎士さんよ。あんた意外に腰が軽いんだな。魔法使いは研究室に閉じこもってるばっかりだと思ってたぜ」
「そういう類なら、騎士団からのスカウトに応じたりしないさ。各地の魔法使いの監視のために東奔西走することも珍しくはないからな。まぁ……今回は研究成果を陛下に直接ご報告するためなんだが」
前垂れに隠された顔が、積み込まれた荷物の一部へ向けられる。
マークはしばし口を閉じて考え込み、アンブローズが言及した研究成果について思い出そうとした。
「ええと……確か、特殊な魔物から入手した……メダリオン、でしたっけ。それを使って人間を強化するとか何とかいう」
「簡単に言うならその認識でいい。詳しい説明が必要になったら聞いてくれ。手が空いていれば答えよう」
今のところ、マークはこの件について詳しい知識を持ち合わせていない。
教えられていないというよりも、積極的に知ろうとは思わなかったというのが正確だ。
物事の役割分担を考えるのなら、戦闘だとか強さだとかは間違いなく自分の領分ではない……それがマークの自己認識であった。
「なぁ、チャンドラー。そんなに強くなれるなら、お前も試してみたらどうだ?」
「ん? いや、俺は別に必要ないな」
「何でさ。お前の役割って言ったら戦うことくらいだろ。だったら……」
「もうとっくにあれこれ仕込んであるからな。伸び代が充分あったガーネット卿ならまだしも、俺がやったらバランス調整に難儀しそうだ」
「ふぅん……そんなもんか」
マークは深く踏み込もうとはせずに相槌を打った。
――メダリオンを用いた魔獣因子の融合、および限定覚醒。
自身を門外漢と割り切ったマークには知り得ないことだったが、その背景には世間の常識すら塗り替えかねない事実が隠されている。
中立都市の管理者フラクシヌス曰く、かつて栄華を誇った古代魔法文明は、ロキという名の男が生み出したメダリオンのために滅んだのだという。
メダリオンは魔力を用い、魔獣や神獣と呼ばれる生物の肉体を生成する。
人知れず世界中にばら撒かれたメダリオンは、無数の魔獣や巨大極まりない神獣と化し、高度に発達した文明を滅亡へと追いやったのだ。
しかし当時の人間や魔族も、手をこまねいていたわけではない。
可能な限りメダリオンを回収し、魔獣や神獣を討伐する傍ら、地上の生命や環境を保管するための地下空間を作り上げた。
それが大陸中に存在するダンジョンの原型であり、グリーンホロウ近郊の『元素の方舟』こそがそれらのプロトタイプである――というのが、管理者フラクシヌスから得られた証言だ。
果たしてどこまで信じられるのかは不明だが、少なくとも地上で発見されるメダリオンは破損した残骸ばかりで、完全なサンプルは『元素の方舟』の第二階層に到達するまで発見されることはなかった――
「小難しいことは分からないけどさ、手遅れになってから『やっぱやっときゃよかった』とか言うなよ?」
「言わねぇよ。本業なんだから見極めはきっちりやるさ」
「それならいいけど」
マークは窓を開けておもむろに身を乗り出し、遮るものが何もない平原と緩やかな丘陵を見渡してから、馬車の後方へと顔を向けた。
二台目の兵員輸送馬車の後を、もう一台の馬車がついて来ている。
あちらは一回り小さな民間向けの馬車で、馬は半分の二頭立てだが車体も相応に小振りで装甲もなく、結果的に速度はこちらの馬車と大差がなかった。
「なぁ、マーク。あっちの馬車って誰が乗ってんだっけか。グリーンホロウを出たときから一緒だよな」
「シルヴィア嬢とその友人御一行だよ。帝都の親戚に招かれたんだとか何とか」
「マジか。ちっとは楽しい旅になりそうだな」
「止めとけよ。春の若葉亭の看板娘なんかやってるんだから、言い寄る男の受け流し方も超一流だぞ」
こんなやり取り、とてもじゃないが部外者には聞かせられないな……マークは呆れを込めて溜息を吐き、窓を閉めて席に座り直した。
馬車は何のトラブルもなく王都へと向かっていく。
今はまだ何も考えずに揺られていればいいが、到着した後はきっと忙しい日々が待っているのだろう。
マークはそんなことを考えながら、王都でやるべきことに思考を傾けることにしたのだった。




