第460話 二人でこれからを語ろう 後編
増設された風呂場の位置は、ちょうど店舗側の反対側に位置する自宅の裏手。
いちいち外に出ることなく、屋内の移動だけで行き来できるように作ってもらっている。
「さてと、準備の仕方は、こう……」
取り付けられた二種類の弁を操作し、熱湯と冷水を同時に浴槽へ注いでいく。
熱湯を自宅まで運んできているパイプは、グリーンホロウ・タウンの温泉街に源泉を供給する配管から枝分かれしたもので、アレクシア率いる機巧技師によって改良されたばかりのものだ。
また、冷水の方は地下水が供給源なので、何かしらの手段で冷却するまでもなく、ひんやりとした冷たさが保たれている。
湯船の傍らに屈み込み、適切な温度に冷やされたお湯が浴槽に溜まっていくのを確かめていると、ガーネットが肩越しにひょっこりと覗き込んできた。
「おお、いい感じに溜まってるな。こういうのは手入れが大変って聞くけど、出張家事でやってもらうんだっけか?」
「春の若葉亭に頼もうと考えてるところだ。今までも、たまに料理や掃除を頼んでたわけだし、ちょっとの上乗せでやってもらえそうだからな」
町一番の宿というだけあり、春の若葉亭は宿泊業以外にも色々と仕事を受け付けている。
食堂としての営業はもちろん、家事を代行する出張サービスもその一つで、町に移住して間もない頃は頻繁に世話になったものだ。
「けど、このペースだと溜まるまでだいぶ掛かりそうだな。溜めながら体でも洗っとくか?」
「その方が効率的かもな。じゃあお前が最初に……」
湯船に浸かるのは体を洗ってからなのだから、準備が終わるのを待つのではなく、並行して体を洗って溜めながら浸かれば時間も無駄にならないだろう。
ガーネットの提案に賛成し、一番乗りを譲るつもりで立ち上がろうとしたところ、スキルで強化された細腕が俺の肩をがっしりと抑え込んできた。
「せっかくだから二人で入ろうぜ」
「……いやいや、待て待て。それはまずいだろ」
「まずくはねぇだろ。ここにはオレとお前しかいねぇんだからさ。お互い素っ裸になんのも今更じゃねぇか」
首だけを動かして上を向くと、頬を赤らめてにんまりと笑うガーネットと目が合った。
まったく、恥ずかしいことに変わりはないくせに。
一体どんな考えを経てこんなことを言い出したのかは皆目見当もつかないが、少なくとも冗談でないことだけは間違いない。
普段の傾向からして、冗談ならそろそろ笑い飛ばしている頃合いだ。
本当にその気なら断る方が無粋というもの。
何せ、俺とこいつの間柄なのだから。
――そうして、一人用としては広めの洗い場で諸々の下準備を済ませてから、隅々まで綺麗になった体で湯船に浸かる。
新品の浴槽は俺の背丈でものんびり足を伸ばせるくらいで、ガーネットの身長だとすっぽり収まってしまうくらいの大きさだ。
そんなサイズの湯船であるためか、二人同時に入ることも簡単だった。
「なぁ、おい。俺が使うんだからデカい方がいいだろって言ってたけど、ひょっとして最初からこれ目当てだったんじゃないだろうな」
「だーれが目当てにするかっての。ぐーぜんだろ、ぐーぜん」
俺の膝の上に座ったまま、ガーネットがばしゃりと足を動かしてお湯を蹴る。
二人で入ろうと提案された時点で覚悟はしていたが、まさに想定通りの状況に持ち込まれてしまった。
男なら誰でも想像できると思うのだが、この状況はなかなかに危ういものがある。
意識を逸らそうとあれこれ思考を巡らせていると、不意に懐かしい感情が胸を過ぎった。
「……こうやってると、昔のことを思い出すな」
「昔の女とか言ったらどつくぞ?」
「まさか。肉親の話だよ」
あれはもう十五年前どころの話ではなかったか。
下手をすれば二十年の大台に乗っているかもしれない。
「弟や他の妹を風呂に入れてやってたときの……ぶっ」
濡れた金髪の後頭部がごつりと顔に当たる。
「誰がガキだ、誰が。もういっぺん確かめてみるか? おお?」
「お前が子供だって言ってるんじゃないぞ。というか、分かっててやってるだろ」
「まぁな。そりゃそうだ」
愉快そうに笑うガーネットの頭を手で押さえ、気を逸らすのを兼ねて懐かしい昔の話を語り始める。
「俺がまだ子供だった頃、故郷の村には公衆浴場が一つあるくらいだったんだが、村長の家ってことでうちには自前の風呂場もあったんだ」
「あー、そういや聞いたことあるな、その話。弟や妹を風呂に入れる手伝いしてて、面倒だって思ってたんだろ?」
「……いつ頃したんだっけ?」
該当の記憶が頭に浮かんできたが、ここは惚けておくことにする。
できればガーネットにも、いつどこでした話なのか忘れていてもらいたいのだが。
「初めてこうやって一緒に風呂入ったときだったな。どうせお前も覚えてんだろ? いやぁ、あのときは我ながらヤバかったぜ。色んなアレが頭ん中でぐるぐるしてよ……わぷっ!」
ガーネットの頭と肩を押さえて口元まで湯船に浸からせる。
自分が切り出した話題が原因とはいえ、こんな状況で妙なことを思い出させるのは困りものだ。
しばらくそのままブクブクと泡を吐いてから、ガーネットは身を捩って俺の腕を抜け出して、浴槽のお湯を潜って覆い被さるように体勢を変えた。
濡れそぼった金色の髪が色白の肌に貼り付いている。
頬の紅潮は体温が入浴で上昇したせいか、はたまた別の何かの理由か。
「そういや、お前の身内とはあんまり会ってねぇよな。マークとは何だかんだ顔馴染みになっちまったけどさ」
「唐突に里帰りする羽目になったときと、騎士叙任の式典と……ああ、いや、式典のときはタイミングが合わなかったんだっけか」
「また今度でいいから、面見せに行こうぜ。今度はきちんと連絡入れて予定合わせて……まだ会ってねぇ妹ともさ」
こんなにも楽しそうにこれからのことを語られると、気恥ずかしいから嫌だとはとても言えなくなってしまう。
だから代わりに、こちらからもガーネットを動揺させられそうなことを言ってみることにする。
「身内と言えば、お前の姉にもちゃんと挨拶できてなかったな。またいつか会いに行ってみるか?」
「げっ……やめとけやめとけ。あいつは下手すりゃヴァレンタイン以上に面倒クセェぞ」
ガーネットが再び肩まで身を沈め、向かい合ったままで体を寄せてくる。
結局、この後も俺とガーネットは湯船の中で延々と話し込んでしまい、風呂から上がる頃にはすっかりのぼせ気味になってしまっていたのだった。
これにて第十一章は完結です。次回更新からは第十二章になります。
章の締めくくりがいちゃつきオンリーというのは果たしてどうなのか。




