第455話 将来に向けた下準備 前編
ひとまず改良版が完成したらすぐに宿へ送ると約束し、オズワルド卿を騎士団本部から送り出す。
最初期からの付き合いである銀翼と黄金牙を除けば、事実上初めての他の騎士団からの製品開発依頼――うまくいくかどうか不安だったこの仕事も、無事に成功を迎えつつあった。
今回の功労者は、やはりノワールとアレクシアの二人だろう。
「二人にはちゃんと後でお礼をしておかないとな」
「特別手当でも出してみるか?」
「それはもちろん考えてるけど、他にも何かしたいなと思ってさ」
ガーネットと話し込みながら廊下を歩いていると、食堂の近くでシルヴィアとばったり出くわした。
どうやら騎士団の昼食の準備を終えたばかりのようで、仕事の合間に一息ついているときの少し油断した雰囲気だ。
シルヴィアはそんなタイミングの顔を見られてしまったせいか、少しばかりバツが悪そうに微笑を浮かべた。
「オズワルドさんはもうお帰りになったんですか? でしたら後でカップを回収しに行きますね」
「わざわざありがとな」
「いえいえ。お昼御飯の準備もできましたから、よかったらお二人もどうぞ」
食堂からは食欲をそそるいい香りが漂ってきている。
ホワイトウルフ商店へ戻る前に昼食を済ませようと思っていたので、俺達が食べていっても問題ないだけの量があるのなら、ありがたく利用させてもらうとしよう。
その提案をガーネットに持ちかけようとしたところ、それよりも早くガーネットが口を開いた。
「なぁ白狼の。また今度、ノワールやアレクシア連れて、春の若葉亭に飯食いに行こうぜ。お前の奢りでさ」
「おっ、いいなそれ……ちょっと待った。奢りって全員分か? やるにしたって、仕事の一環だから店の金から出すからな」
俺とガーネットの雑なやり取りを眺めながら、シルヴィアがくすくすと笑みを零す。
「何だかお二人が兄弟みたいに見えてきます。あっ……でもよく考えたら、いずれ本当の義兄弟になるんでしたっけ。やっぱり一緒に住んでいるからでしょうか」
シルヴィアは微笑んだまま、ほんのり染まった頬に手を添えた。
笑って誤魔化す俺の隣で、ガーネットが無言でさり気なく顔を逸らす。
確かに表向き、ガーネットの妹という扱いのアルマと俺が婚約予定ということになっていて、必然的にガーネットは義理の兄になるわけだ。
当たり前の事実の再確認に過ぎないわけだが、それをシルヴィアの口から聞かされてしまうと、何とも言い難い気持ちになってしまう。
「(……何というか、まだ故郷の村にいた頃に、女の子と仲良くなったことが母親にバレてたときの気分だな)」
不意に懐かしい気分が胸を過るも、口に出すことはあえてしなかった。
母親みたいだと言うのはシルヴィアに失礼だろうし、どう考えてもガーネットを不機嫌にさせてしまう話題だろう。
「一緒に住んでいると言えば。お風呂の工事もそろそろ終わる頃じゃないですか?」
「ん? ああ、そうだな。仕事と並行して進めてもらってたけど、ようやく形になりそうだ」
話題が変わったことに安堵していると、横合いから完全に予想外な声が割って入ってくる。
「工事というと、大浴場でも壊れたのか?」
「アンブローズ? こんなところでどうしたんだ」
「食堂の前は『こんなところ』と呼ぶべきじゃないと思うぞ」
普通ならそうだが、アンブローズが食堂に足を運ぶ姿というのはなかなかに想像しにくいものだった。
というか、食事をするなら前垂れを除ける必要があるはずだが、他の団員達がいる前でやれるのだろうか。
「僕だってさすがに栄養を摂取せず生きていられる体はしていないさ。味覚も弄った覚えもない。期待外れだったら申し訳ないがね」
アンブローズは俺の考えを読んだようにそう言って、手慣れた様子でシルヴィアに話しかけた。
「シルヴィア嬢」
「もちろん準備できてますよ。いつも通りお部屋にお持ち帰りですよね。ちょっと待ってください」
笑顔で答えて食堂に引き返していくシルヴィア。
なるほど、分かってみれば単純な話だ。
改造の進んだ素顔を隠す必要上、他の団員達の前では食事ができないので、自室に持ち帰って食べているわけか。
春の若葉亭の宿泊客の中にも、自室で食事をすることを希望する客がいたはずなので、シルヴィアにとっては慣れたものなのだろう。
「で、工事というのは?」
「自宅の話だよ。いちいち町まで降りて風呂を借りるのが面倒だから、いっそ家に作ってもらうことにしたんだ」
「グリーンホロウだとあんま一般的じゃねぇみてぇだが、オレらには関係ねぇこった」
源泉からお湯を引き込むのもタダではない。
町に公衆浴場がありふれている環境だからか、いちいち自分の家で風呂を用意するよりも、そちらを利用した方が便利で経済的だという考えの住人が多いらしい。
アンブローズは「なるほど」と納得の相槌を打ったが、何故か言葉に詰まったような素振りを見せた。
「ん……自宅というと、ホワイトウルフ商店に併設されている、アレか? ガーネット卿も一緒に住んでいるという……」
「従業員の連中に使わせるつもりはないぞ? 変な誤解はされたくないからな」
「それはまぁ、誤解はされないんだろうが……まぁ、僕がとやかく言う必要もないか」
意識して集めたわけでは全く無いが、本店の従業員の男女比はやたらと偏ってしまっている。
妙な風評は立てさせないに越したことはない。
「おっと。そうだ、アンブローズ卿。実際にできるかどうかは分からないけど、ひとつ頼みたいことがあったんだ」
「頼み事? 言ってみてくれ。聞くだけなら聞いてみよう」
「それじゃ遠慮なく。あくまで個人的な頼み事であって、団長としての命令なんかじゃないんだが……」
公私混同にならないようにちゃんと前置きを挟み、以前から漠然と思い浮かべていた構想をアンブローズに伝えることにする。
「ホワイトウルフ商店が、灰鷹騎士団から防寒具の開発を依頼されたことは知ってるよな。とりあえず商品の完成までは持っていけそうなんだが……発注の量によっては、使い捨て型の中身の布製呪符の製造が追いつかないかもしれないんだ」
現状、魔道具の生産に携われるスタッフは、正規従業員であるノワールと、その妹であり魔王軍に寝返った罪を贖っている最中のブランの二人だけだ。
少し前まではノワール一人であり、ブランが社会貢献による贖罪の名目で製造の下請けをするようになったことで、魔道具製品の生産性は大いに向上した。
けれど『騎士団の部隊に使い捨ての製品を安定供給する』となると、さすがに二人で補いきれる保証はない。
「お前が所属してる翠眼騎士団は、大陸全土の魔法使いの監視が任務なんだろう? 北方在住で金に困ってる魔法使いを知ってるなら、紹介してもらうことはできないか?」




