第453話 立ち去りし後の
――ルーク・ホワイトウルフとガーネット・アージェンティアが実験室を立ち去った直後のこと。
アンブローズは仰向けで床に倒れたままのヴァレンタインの傍に立ち、血に染まった白覆面の顔を見下ろしていた。
「満足したか、ヴァレンタイン」
その声は鋭く、しかし同時に親しみと労りも感じさせるものだった。
もしも二人以外の誰かがこの場にいれば、友人を名乗っていたのは嘘ではないと確信したことだろう。
「……ああ。性能的には申し分なかったと言えるね。外見の変化も許容範囲内だ」
「本当にそれだけか?」
アンブローズに重ねて問われ、ヴァレンタインは横たわったまま器用に小首を傾げた。
「他に何が?」
魔獣スコルのメダリオンとの【融合】――魔法使いが呼ぶところの『魔獣因子限定覚醒』――その性能強化と外見の変貌の度合いを確かめること。
それこそが今回の実験の目的であり、ヴァレンタインが実戦に近い形式のテストを望んだのも、これらの点をより確実に確かめるためだったはずだ。
しかしアンブローズは、その大前提に疑問を挟んでいるようであった。
「僕の勝手な推測に過ぎないんだが……いい機会だ。常々思っていたことを語っても構わないかな」
「どうぞ。もうしばらく動けそうにないからね」
「では遠慮なく」
アンブローズは前垂れに覆い隠された顔を上げ、実験室の天井を仰いだ。
それは過去の記憶を思い起こそうとする仕草のようであり、ヴァレンタインから顔を逸らそうとする無意識の行動のようでもあった。
「ヴァレンタイン。君は前々から、ガーネット嬢にルビィの代替として復讐を果たさせたいと言っていたね」
「その通り。実にお誂え向きじゃあないか」
「けれど、僕の記憶が摩耗していなければの話だが、例の事件があった直後には『俺のこの手で復讐を果たしたい』と言っていた覚えがあるんだ」
かつてヴァレンタインは、後に銀翼騎士団と名を変える騎士集団の次代頭領として、ミスリルの密売に携わる闇商人を捕らえた要塞を任されていた。
しかし闇商人の背後にいたアガート・ラムの襲撃を受け、要塞は壊滅。
ヴァレンタインは再起不能の負傷を受け、偶然にも逗留していたガーネットの母親が命を落とした。
これこそ、ガーネットが復讐を志したきっかけであり、ヴァレンタインが正気を失った原因。
その後、ヴァレンタインはルークとガーネットに語ったとおり、ガーネットを母親の復讐の代理人と見なしたわけだが――アンブローズはそれらの間にあった出来事を知っているのだ。
「僕は、君が半死半生の重傷を負った直後に招集を受け、すぐさま治療に移った。当然、意識を取り戻したばかりの君が、どんなうわ言を口にしていたのかも知っている」
アンブローズは具体的な内容を語ろうとはしなかったが、会話の流れからして明白だ。
かつての想い人を殺めたアガート・ラムへの復讐心。
それも、故人の娘を代理と見なすなどという歪んだ形ではなく、自らの手による真っ当な形での。
「……記憶にないな」
「覚えていなくても論理的に考えれば自明だろう。ガーネット嬢が復讐を口にし始めたのは、あの事件からしばらく経ってからなんだ」
「当然……それまではガーネットに託すなんて発想は浮かぶはずがない……か」
ヴァレンタインは人の形を保ったままの左腕を動かして、目元を覆うように手を置いた。
「当時はそうだったかもしれないね。今はもう覚えてもいないし考えてもいない。今回の件と一体どんな関係があるというんだい?」
「単純な話さ。あんな形でガーネット嬢に食って掛かったのは、遠い過去の願望を無意識のうちに思い出したからじゃないか……そう思っただけだ」
「繋がりが見えないな。説明してくれないか」
もちろん、とアンブローズは短く返す。
「あのタイミングで実戦形式の試験をする理由はなかった。後でもよかったんだ。むしろ僕と同様に派遣されたチャンドラー卿あたりに命じて、入念な準備をしたうえで試すべきだった」
けれどヴァレンタインはそれをさせなかった。
本来なら騎士組織を任されるはずだった男であり、こちらの方が効率的で効果的だと理解できたはずなのに。
「つまるところ、君は試験の名を借りて私闘がしたかったんじゃないか? 無自覚だったのかもしれないけどな」
アンブローズは天井を仰ぐ姿勢を崩し、改めてヴァレンタインを見下ろす形になった。
「新たに施された治療で、限定的ながら戦闘も可能になった。今後も治療を重ねればどんどん改善していくだろう。そんな今だからこそ、自分にもルビィの復讐ができることを示したくなった……」
「だからあんな文句をつけてガーネットに喧嘩を売ったと? 笑えるね。随分と子供っぽい発想じゃないか――」
白覆面の顔に翳した手の下で、ヴァレンタインは喉を鳴らして笑い声を漏らした。
「――だけど、存外その通りかもしれないな」
「へぇ?」
「本当に君が言った通りならという前提だけどね。もしも本当にかつての俺がそんなことを望んでいたのなら、ガーネットを押しのけて自分が復讐を果たそうと思ったかもしれない……そんな気はするよ」
「まったく……否定が遠回しすぎるぞ。あり得ないと思うならハッキリ言ったらどうだ」
アンブローズは前垂れの下で短く息を吐き、ようやく起き上がろうとするヴァレンタインの肩を掴んで、やや乱暴に助け起こした。
「何にせよ、君の妹はきっと目的を果たすだろうさ。僕も騎士団員として手を貸すし、冒険者ギルドにも味方が多いようだし、他の騎士もチャンドラー卿あたりなら頼りになる。それに何より……」
「ルークが付いているからな」
ヴァレンタインが何の躊躇もなくそう言い切ったのを聞いて、アンブローズは少しばかり意外そうな声を漏らした。
「ルビィによく似た妹に悪い虫が付いた、みたいに考えたりはしないんだな」
「まさか。あの女はこの世に唯一人……復讐を代行させるに相応しくても、同一視するなんて無理筋にも程がある。それに、彼のことは個人的に気に入っているんだ」
先程の戦闘のダメージを全く感じさせない様子で、ヴァレンタインは服に付いた埃を隅々まで叩き落とし、実験室の扉に向けて歩き出した。
「何せ、彼は昔の僕によく似ているからね」
「……馬鹿が。記憶を改竄するんじゃない。これっぽちも似ていないからな? 冗談ならもっと笑える奴にしろ」
アンブローズは友人の不出来な冗談を鼻で笑うような音をさせ、ヴァレンタインの後に続いて実験室を後にした。




