第451話 その復讐は誰がために
「ハッ! 十年も現役離れてた野郎が! オレに勝てると思ってんのかよ!」
ガーネットが防ぎ止めたヴァレンタインの腕を跳ね除けて、その腹部に鋭い蹴りを見舞って後方に吹き飛ばす。
常人ならこの一撃で昏倒していてもおかしくない衝撃だったが、魔獣の因子で強化されたというのは伊達ではないらしく、ヴァレンタインは膝を突くことなく着地した。
「白狼の! こいつ持っといてくれ!」
すぐさまガーネットは腰から剣を鞘ごと引き抜き、ヴァレンタインを睨みつけたまま俺に投げ渡してきた。
「……!? 素手でやる気か!」
「たりめーだろ。病み上がり相手に剣を抜かなきゃならねぇようなら、とてもじゃねぇが使い物にならねぇだろうが」
口の端を釣り上げて戦闘態勢に入るガーネット。
見慣れた白い歯の並びに、鋭い牙がきらりと光る。
「行くぜっ! ヴァレンタインッ!」
ガーネットが床を蹴って加速するや否や、実験室の硬い床が陥没し、一瞬のうちにヴァレンタインとの間合いが塗り潰される。
間髪入れずに繰り出される無数の打撃。
普段の俺の動体視力ではまず見切れないであろう連打に、発動させたままの『叡智の右眼』が追いすがる。
魔獣スコルの因子との融合で底上げされた身体機能、そして持ち前の強化スキル。
二重の強化によって、ガーネットの戦闘能力は明らかに跳ね上がっている。
しかし、ヴァレンタインも蹂躙されるばかりではない。
決定的な打撃を両腕の防御で受け止めながら、猛禽の足のように変化した右手でガーネットの蹴り足を掴み取る。
「ちっ……!」
ガーネットが即座に軸足を浮かせ、右腕を蹴りつけて手を離させようとする。
だがそれより早く、ヴァレンタインはガーネットの足を掴んだまま旋風のように振り回し、吹き抜けの壁面めがけて投げつけた。
激突までの刹那にガーネットは身を翻し、両手両足で壁面に着地すると、そのまま壁面を後方へ滑るようにして衝撃を受け流した。
隙を作るまいと即座に顔を上げるガーネット。
その眼前に、追撃を加えんと跳躍したヴァレンタインの鋭爪が迫る。
すると今度はガーネットがヴァレンタインの腕を掴み、諸共に縦回転しながら高速で落下し、ヴァレンタインを床に叩きつけた。
だがそれでも倒れ伏すことはなく、墜落の反動で浮いた瞬間に体勢を変えて着地して、再び地に足をつけての打撃の応酬を繰り広げ始める。
「……っ! 二人とも、なんてパワーとスピード……!」
飛び散ってくる床面の破片を腕で防ぎながら、俺は兄妹の戦いから目を逸らさまいとし続けた。
身体能力だけで言えば間違いなくAランクの域。
神降ろしを発動させたサクラに負けずとも劣らないだろう。
それは即ち、魔王軍四魔将のレベルの敵と一対一で渡り合えるということであり、アガート・ラムの幹部級とも戦える水準に達したということだ。
「もう充分だろう! 申し分ない性能だと分かったはずだ!」
俺の言葉が二人に届いた気配は全くない。
牙を剥き、拳を軋ませ、お互いに打撃の音を響かせ続ける。
もう一度呼びかけようとしたところで、すぐ隣からアンブローズの声が聞こえた。
「最後まで見届けてやってくれ。あいつの限定覚醒は、まだ一分か二分程度しか維持できない代物だ。放っておいてもじきに終わる」
どうやら俺が戦いを見届けることに夢中になっているうちに、いつの間にかここまで移動していたようだ。
「……強化の程度を確かめたいだけなら、もう充分なはずだ。なのにそんな無茶をするなんて……ヴァレンタインは一体何を考えているんだ」
「本人は純粋に性能評価のつもりだろうね。意地を張っているのは無自覚の行動だろう」
アンブローズは前垂れで素顔を隠したまま二人の戦いを眺めながら、視線をこちらに向けることなく話し続けた。
「ルーク卿、一つ聞きたいことがある」
「……何だ?」
「仮に……あくまで例え話だが、許嫁のアルマ嬢が彼女の母親のように命を落としてしまったら。アルマ嬢を守りきれずに再起不能の体にされてしまったら。そのとき君は何を思う?」
例え話というにはあまりにも具体的な前提条件。
きっとそういうことなのだろうと、否が応でも察せられてしまう。
「君は『自分自身の復讐』のために立とうと思うかい? 自分を再起不能に追いやったことを憎むかい?」
「答えは……どっちも否だ」
俺もまたアンブローズには目を向けず、肩を並べたままガーネットとヴァレンタインの意地の張り合いを見つめ続ける。
「想像もしたくないんだけどな。もしも復讐を望むとしたら、きっとそれはアルマのための復讐だ。この体がどうなろうと、それはアルマを守り切れなかった報いだ。ヴァレンタイン……あいつもそうだったんだな」
確かにヴァレンタインは正気を失っているのかもしれない。
けれど、人間が正気を失うに至るには、何らかの決定的な理由があるものだ。
理由があるから許せとか、大目に見ろとかいう甘いことは言う気にもなれないが、それでも共感や同情を抱いてしまうことは否めない。
特に、自分も同じ状況に陥った姿を想像できてしまうときは。
「最初は彼も、自分の手で復讐を果たしたいと望んでいた。けれど当時は大陸統一戦争の最中。現在のように知識や技術、それに物資が広く共有されていたわけではなく、僕でも命を繋ぐのが精一杯だった」
「そんなときに、母親とそっくりなガーネットが復讐を志した……」
半壊した理性と正気が砕け散るには、きっと充分過ぎる出来事だったに違いない。
行き場のない憎悪、自己嫌悪、鬱屈そして嘆きに哀しみ。
淀み渦巻いていたあらゆる感情が、ガーネットの存在という一点めがけて流れ込み、正気の堰を決壊させてしまうには。
「――聞こえてんだよ、アンブローズッ!」
突如、ガーネットが鋭く叫んだ。
そしてヴァレンタインの腕を取って投げ飛ばすと、素早く飛び掛かって馬乗りの体勢になる。
「さっきから全部聞こえてたぜ! 耳までやたらと良くなったみたいでな! クソ兄上め、余計な感情押し付けようとしやがって!」
反撃として繰り出される鋭爪を左腕で絡め取り、牙を剥いて歯を食いしばってから、実験室に響き渡る声で叫びを上げる。
「この復讐はオレのものだ! テメェや母上の代理じゃねぇ! オレから母上を奪ったことへの報復だ! 他の誰にだって! くれてやるものかよ!」
あまりにも激しい感情の吐露と共に、全身全霊の拳が白覆面の顔面めがけて振り下ろされる。
――俺の見間違いでなければ。
その瞬間、ヴァレンタインは抵抗も回避も全て放棄し、自ら進んでガーネットの拳を受け入れたようにも見えた。




