第450話 『限定覚醒』
「とにかくこっちも何とかしてくれ! 窮屈でしょうがねぇ!」
「何とかって言われてもな……」
ガーネットはズボンの内側に出現した尻尾の対処を求めて、腰を突き出すようにして俺に背中を向けてきた。
正直かなり困惑していたが、とにかくこの場で取り繕えることはしておこうと思い、ズボンの一部を【分解】して窮屈な尻尾を解放する。
弾けるように飛び出る金毛の尻尾。
毛並みや形状は耳と同じく狼のそれとよく似ているが、毛色はガーネットの髪とほとんど一緒だ。
「ふー……耳も尻尾もマジで感覚が通ってやがるぜ……力入れたら動かせるんじゃねぇか?」
そう言うなり金色の耳と尻尾が小さく動く。
これまで俺達の間に満ちていた緊張感が、文字通り一瞬でぐだぐだに崩れ落ちてしまっている。
やがて、俺達の混乱が静まるのを見計らったかのように、アンブローズが柔らかい声を投げかけてきた。
「落ち着いたかな。ルーク卿、ガーネット卿の状態を『右眼』で確認してくれ。外見は存外整った仕上がりのようだが、戦闘能力の向上が見受けられなければ実験は失敗だ」
アンブローズに当たり前の前提を改めて確認され、気を取り直してガーネットの全身を『右眼』の視界に収める。
この実験の目的は、ガーネットに可愛らしい仮装をさせることなどではない。
ガーネットに魔獣スコルの力を付与し、戦闘能力の飛躍的な向上を図ることである。
たとえ容貌の問題がクリアされても、実際に強くなっていなければ何の意味もないのだ。
「……こいつは、まさか……」
「何だよ、妙なことになってねぇよな……?」
「いや、逆だ。筋肉や骨の質が変わってる……これなら多分、身体能力が相当に底上げされてるはずだ」
「マジか! 狙い通りじゃねぇか!」
喜色満面に拳を叩くガーネット。
手の平と拳がぶつかり合い、普段よりも格段に鋭い音が響き渡る。
外見は奇妙なアクセサリーを付けた程度で普段とさほど変わりなく、戦闘能力と身体能力の増強という目的は見事に達成……まさかこんなにも都合のいい結果になるとは夢にも思っていなかった。
アンブローズも相変わらず表情こそ見えないが、この結果に相応の満足を抱いている様子で、フードと前垂れの奥の頭を小さく縦に振っている。
「外見がこうなったのは、恐らくルーク卿の【修復】スキルで融合させたせいだろうな。現在の造形を保ちたいという意志が結果に反映されたわけだ」
「特に意識したわけじゃないんだけどな。というか、それでも耳と尻尾が生えるのは防げなかったのか」
「抑制しきれなかった変化を無難な形に誘導したのはあり得るな。もっとも、趣味嗜好が無意識に反映された可能性もあるわけだが」
……前垂れの下で薄っすらと笑われている気配を感じる。
俺にこんな趣味嗜好はないはずだ。きっとないに違いない。
だからガーネットも、意識してしまったような顔で耳に手をやるんじゃない。
「ヴァレンタイン。これなら君も満足できる結果だろう。外見はルビィの面影を失ってはいないし、戦闘能力の増強も成功したそうだ」
アンブローズが隣に佇むヴァレンタインに意見を求める。
ヴァレンタインは白覆面の下でしばし沈黙し、やがて冷徹な声で答えた。
「駄目だ。まだ許容するには至らないね」
「……ほう。それは何故だ?」
「これはアガート・ラムに対する復讐のための戦闘能力強化が目的だ。不十分な強化で慢心して、不相応な戦いに身を投じるようでは目も当てられない」
「性能向上の度合いと、ガーネット卿がそれを使いこなせるかどうかを確かめたい……つまりはこういうことか」
客観的に見れば、ヴァレンタインの言うことにも多少の理がある。
目的意識がある強化なのだから、目標を達成するために充分な成果であるか否かの評価は必要だ。
もちろん今後も武装の強化などを重ねていくつもりだが、それらと比較して『この手段』が大した貢献をしないようなら、リスクを考慮して使わないようにすることもあり得るだろう。
そんなことを考えていると、ガーネットが自分から一歩前に進み出た。
「いいぜ。だったら確かめてみようじゃねぇか。オレも自分の力を確かめてみたかったところだ」
「……まぁ、君達兄弟がそう考えるなら、僕は特に反対しないさ。ルーク卿の【修復】があれば最悪の事態にもならないだろう」
アンブローズはこの場で性能試験をすることに賛同しながら、おもむろに部屋の隅へと移動していった。
ガーネットはそれを目で追って怪訝そうに眉をひそめた。
「おい、どこ行くんだ。性能を試すんじゃねぇのかよ」
「僕が? まさか。邪魔をするわけにはいかないね」
「邪魔だって? ……おい、何考えてやがる」
その発言の後半は、アンブローズではなくヴァレンタインに向けられたものだった。
実験場の中央に佇むヴァレンタイン。
まるで、ガーネットが戦闘準備を終えるのを待っているかのように。
「見ての通りだ。俺がお前を試す」
「つまらねぇ冗談だぜ。んなことやれる体じゃねぇんだろ」
「本気も本気さ」
ヴァレンタインが整った衣服に包まれた痩身を屈める。
頭部を覆い隠す白覆面――その下で何らかの表情の変化があったのを、俺の『右眼』がおぼろげながらに見て取った。
「――魔獣因子、限定覚醒――」
ぞわりと背筋に寒気が走る。
次の瞬間、ヴァレンタインが目にも留まらぬ速さでガーネットとの間合いを詰め、右腕を勢いよく振り下ろした。
ガーネットが剣を抜かず、両腕を頭上で交差させてヴァレンタインの打撃を受け止める。
両者の腕の激突で爆発じみた轟音が響き渡る。
「……っ! テメェ、いつの間に人間止めやがったんだ?」
「これでもまだ人間さ。ズタズタの体をマトモに動かせるようにするには、これくらい手を加える必要があってね」
俺は心の底からの驚愕を抱かずにはいられなかった。
それはヴァレンタインが想像以上の身体能力を見せたことだけではない。
ヴァレンタインの右手袋が内側から弾けて破け、猛禽類の足のような鱗と爪を持つ手が露わになっていたからだ。
更に『右眼』を凝らせば、衣服に覆われた体内にも変化が起きていると分かった。
今のガーネットと同じく骨格や筋肉が変質し、魔獣さながらの出力を引き出しているのだ。
「驚いているようだね、ルーク卿」
アンブローズが平然とした態度で俺に顔を向ける。
「ヴァレンタインの治療は今も継続中でね。グリーンホロウまで旅ができるようになったのも、こうして戦闘まで可能になったのも、ごく最近のことなんだ」
「だからって! 兄弟でこんなことを……!」
「彼は不器用な男なんだ。すまないがもう少し見守ってやってはくれないか」
そう語るアンブローズの言葉からは、何故か物悲しさのようなものが感じられたのだった。




