第449話 金狼の乙女
「僕達の人体改造の材料さ。もちろん他の材料も使っていて、普通は比率としては三割程度なのだけどね」
驚愕――それと幾許かの納得が脳裏を過る。
寿命を延ばせるほどの人体改造が、真っ当な手段で実現できるとは到底思えない。
「つまり、メダリオンから素材を引き出す基礎技術は、既に確立して運用されているわけだ」
「……そう言えば、魔物の素材の収集依頼を持ち込む魔法使いも珍しくなかったな。一体何のために使っているのか不思議だったんだが……」
「用途としてはごく一部だ。消耗品ではないからな」
魔法使いの拠点が近くにある土地では、魔法使いからの依頼もよくギルドに持ち込まれていた。
それらの中には魔物の体の一部を求めるものもあり、冒険者仲間の間では、どんな儀式に使っているのかとしばしば話題になったものだ。
当然、まさか自分の肉体を作り変えるために使っていたとは、誰も言い当てることができていなかったのだが。
「僕が手を出すのはメダリオンの調整までだ。後はルーク・ホワイトウルフの【修復】スキルと『右眼』の力に全てを任せる」
アンブローズは、俺ではなく隣に立つガーネットへと話の矛先を振り向けた。
「彼の『右眼』であれば、僕がメダリオンに加えた加工に小細工がないことも見抜けるだろう。僕ではなく彼に身を任せるのであれば……一度試してもいいと思わないか?」
何を言っているんだと声に出したくなったのをぐっと堪え、俺も再びガーネットへと視線を向ける。
きっと即座に拒むのだろう――そんな予想に反し、ガーネットは明らかに悩んだ様子で即答を躊躇っていた。
例の右腕の件で可逆的だと明らかになっているからなのか。
手を加えるのがアンブローズではなく俺だからなのか。
いずれにせよ、ガーネットがこんな空気を漂わせるのは、気持ちが拒絶から了承へと移りつつある証拠だった。
「……一回、試してみる価値はありそうだよな」
「本当にいいのか。絶対に上手くいく保証なんてないんだぞ」
「お前のことを信頼してる……それじゃ理由にならねぇか?」
ガーネットは首だけを動かして俺を見上げ、微笑むように口の端を上げた。
「何度も死にかけて無様っぷりを晒して、その度に何度も助けられてきた。自慢できる立場じゃねぇが、オレの存在自体がお前の力の証明になってると思うんだ」
「だから、魔獣と【融合】させられても大丈夫だと?」
「無理ならオレはとっくに死んでるぜ。そもそも両腕が斬り落とされるなんざ、普通なら失血死待ったなしの致命傷なんだからな」
自分のことだからこその大胆な割り切りである。
他人に同じ理屈を押し付けるのは許されないことだが、当の本人が言うのであれば反論のしようもない。
「……まぁ、ガーネットならそう考えるよな……」
俺はと言えば、あまりにも複雑な心境を抱え込んでいた。
人体に魔獣の要素を混ぜるなんて、似たようなことを以前にもしている点を差し引いても、安易に首を縦に振れるような事柄ではない。
しかもその対象がガーネットだから尚更だ。
失敗して戻すこともできなくなるのはもちろん最悪であるが、そうでなくとも醜い姿にさせてしまうのも耐えられない。
だが、強くなりたいというガーネットの意思を蔑ろにはしたくない。
それに外見の問題を気にするなら、それこそ実際に試さなければ判断のしようがないだろう。
「ヴァレンタイン。君はどう思う?」
俺が返答に窮していると、アンブローズはヴァレンタインにも同様に意見を求めた。
「……たとえ性能が要求水準に達していたとしても、外見が著しく変化するようなら許容はできないね」
理由こそ違うものの、奇妙なことにヴァレンタインと意見の一致を見てしまう。
そして当然の帰結というべきか、お互いに同じ弱点を抱えていた。
「ならば試してみるとしよう。外見がどうなるのかは机上の空論では分からない。もちろんガーネット卿が望むのなら、だが」
その後すぐに、俺達はアンブローズの部屋を後にして、彼の希望で騎士団本部に設けた実験室へと場所を移した。
アンブローズの問いかけに対するガーネットの返答は『試したい』の一言であった。
俺もヴァレンタインも『試験運用』まで拒む理由を持ち出せず、試すだけならと首を縦に振ることしかできなかった。
「使い方は説明した通りだ。魔獣スコルのメダリオンには拘束封印が施してある。それに魔力を込めれば目的通りの使い方ができるだろう」
繰り返しの説明を受けながら実験室を見渡す。
名称こそ実験室であるものの、使っていない広間を吹き抜けに改造した代物なので、派手な戦闘訓練ができるほどの広さがある。
多少の破損は俺の【修復】で元に戻すことができるので、遠慮をする必要はないだろう。
「やってくれ。白狼の」
「……分かった」
距離を置いて俺達と対峙するアンブローズとヴァレンタインを一瞥してから、目の前でこちらを見上げているガーネットに視線を落とす。
顔の右半分に手を翳して『叡智の右眼』を起動。
青い炎のような魔力の塊と化した『右眼』で、異常の発生を即座に見抜けるように備えてから、スコルのメダリオンを握った手をガーネットの胸に押し付ける。
「いくぞ……!」
「ああ、来やがれ」
ガーネットの不敵な笑みを受けながら、メダリオンとガーネットの肉体に【合成】と【融合】の魔力を注ぎ込む。
胸元から魔力の輝きが浸透し、数秒と掛からず全身に広がっていく。
これまでに見つめてきたガーネットの色々な姿が脳裏を過る。
笑い顔。凛々しい顔。怒った顔に油断した顔。
そして――俺以外の誰にも見せたことがないはずの顔。
たとえ一時的なものだとしても、俺自身のスキルで元に戻せるのだとしても、そんなガーネットの姿が失われるのは耐えられそうにない。
もしもそうなるのなら代わりに俺がなってやる。
そうして一緒に戦ってみせる。
狼の獣人だろうと何であろうとだ。
「……【融合】、完了だ」
衣服と癒着したメダリオンから手を離す。
魔力の輝きが次第に失われていき、変わり果てたガーネットの姿がはっきりと見えるようになっていく。
「……なぁ、ルーク。どうだ? オレ、どうなってる……?」
「…………」
すぐに返事をすることができなかった。
何と言うか……何も考えずに『変わり果てた』という表現を思い浮かべたはいいが、実際はほとんど何も変わっていなかった。
ガーネットが不安そうに自分の体を見下ろし、短く安堵の息を吐く。
「体の形は人間のままみてぇだな。服にちらほら毛皮っぽいパーツが増えてんのも、魔獣とくっついたせいか? ……うわっ! ちょっち爪が鋭くなってんな!」
ころころと表情を変えるガーネットの顔は、魔獣との【融合】を試みる前と全くもって同じだった。
強いて言うなら口を大きく開けたときに、やたらと大きくなった犬歯が覗く程度だろうか。
しかしただ一つ、正面から見下ろしているだけで分かる大きな変化があった。
「……ガーネット……」
「あん? これ成功してるんだよな? 全然変わってねぇ気がするんだけど」
「……触るぞ」
「触るって何が……ひゃわっ!?」
おもむろにガーネットの頭に手を伸ばし、頭頂部近くで跳ねた髪の束のようなものを摘んでみる。
……中身がある。
ここだけ頭髪ではなく金色の毛皮のような手触りだ。
毛の下の肉はまるで耳たぶに似た質感……というか恐らく、機能的にもそうなのだろう。
「生えてるな、耳が。狼みたいな」
「うええっ!? マジか! ……マジだ! なんかある!」
ガーネットは慌てふためきながら頭を触り、続いて腰の背中側に手をやった。
「じゃ、じゃあさっきから妙にズボンのケツの側が窮屈なのって……尻尾か? 尻尾なのかよこれ!?」
「ケツとか言うんじゃない!」
お互いに混乱したまま声を張り上げ合う。
この展開を一体誰が予想できたことだろう。
まさか魔獣のメダリオンと一つになってしまった結果が、狼の耳と尻尾と牙が生える形になるだなんて。




