第447話 兄妹の交わらぬ視線
ガーネットはしばし押し黙り、やがて長々と息を吐きながら後頭部を掻き乱し、そしてよく通る声で返答した。
「悪ぃな、その提案には乗れねぇわ」
「よければ理由を聞いても構わないかな。今後の参考までにね」
「……あっさりしてやがるな。拒否られてんのに嫌がらねぇのか」
「提案に過ぎないと言っただろう? 僕としては本当にどちらでもいいんだ」
アンブローズは緩慢な動作で椅子に腰を下ろすと、俺達にも適当に腰を下ろすように手振りで促した。
俺もガーネットもそれに応じようとはしなかったが、アンブローズはそれすら気にしていない様子で言葉を続けていく。
「僕達は魔王軍とは違う。大陸統一以前はともかくとして、今は魔法使いも国王アルフレッドの法の支配下にある。人体改造もそれを望む者だけにしか施してはならないものだ」
「あー……そういやテメェら翠眼騎士団は、法に触れた魔法使いを締め上げることも仕事のうちだな」
「その通り。僕は魔法使いの模範であらねばならない立場というわけだ。人体改造の無理強いなど論外も甚だしい」
確か、翠眼騎士団は魔法使いの活動の監視を公務とする騎士団だったか。
公務の関係上、どうしても専門知識が必要となるのだが、普通の騎士に魔法使いの活動を理解することは難しく、魔法使いを騎士に推薦して公務に当たらせていると聞いている。
つまりアンブローズは、翠眼騎士団から相応しい人材として選ばれた魔法使いなのだ。
「さて、後学のために理由をお教え願えるかな。もちろん教えたくないのであればそれで構わない」
「……昔なら、グリーンホロウに来る前だったらソッコーで飛びついてたと思う。だけど今は嫌だ。詳しい理由は言えねぇがな」
アンブローズの問いかけに答えながら、ガーネットは横目で穏やかな眼差しを俺に向けた。
分からない者には決して分からないであろうが、分かる者にはすぐに分かる言外の意思表示。
俺の存在があるからこそ――たとえ戦力向上に多大な効能があるのだとしても――肉体を別物に作り変えることを拒むのだという確固たる決意。
きっとヴァレンタインもその意図に気付いているはずだが、それらしい反応は見せていない。
俺も俺で、下手に反応したら隠し事に気付かれてしまう恐れがあるので、感情を顔に出さないよう気をつけなければならなかったのだが。
「結構。詮索されたくないことがある気持ちはよく分かる。それじゃあ次は……」
アンブローズが首を傾けながら振り返り、椅子の傍に佇むヴァレンタインに顔を向ける。
「君が僕の提案を嫌った理由、彼らにも教えてあげたらどうだい?」
「そういやそうだ! 対応が矛盾してるじゃねぇかって思ってたんだ!」
すかさずガーネットも声を上げた。
「アガート・ラムのことをオレに教えて焚き付けたのは、どうせ自分の復讐心まで肩代わりさせたかったからなんだろ。だったらオレが強くなる手段に反対する理由なんか……」
「ガーネット。お前の推測は半分当たりで半分外れだ」
ヴァレンタインは白覆面に覆い隠された顔を小さく横に振り、腕組みをしたまま流暢な口調で語り始めた。
「恐らくお前とルーク卿が想像しているように、俺もお前の母親が殺された一件に巻き込まれた。いや……当時の現地指揮官だった俺の方が本命で、お前の母親が巻き込まれたと言うべきかもしれないな」
想定以上に重大な話が始まろうとしている気配を感じ、俺は息を呑んで黙り込み、ガーネットもそれよりずっと真剣な面持ちで口を噤んだ。
「アンブローズ達の助けで命こそ助かったものの、知っての通り騎士としては再起不能になったわけだ。つい最近、改めて治療を受けたおかげで、今回のように多少の遠出はできるようになったわけだけど……」
それは関係ない話題だね、と、ヴァレンタインは途中で一度仕切り直しを入れた。
「正直な話、こんな体になったことを恨んではいないんだ。己の力不足で敗北を喫し、幸か不幸か無様に生き残ったに過ぎないのだからね」
「……だったらどうして……」
「だが、あの女は別だ」
重く鋭い声がガーネットの言葉を遮る。
「あの女はただ巻き込まれただけだ。あの女にはアガート・ラムを恨む権利がある。生き残った者にはあの女の怨嗟を汲む責務がある」
ヴァレンタインは長身を屈め、白覆面に覆われた顔を苦しむように鷲掴みにし、声と肩をわなわなと震わせていた。
彼が言う『あの女』とは、恐らくガーネットの母親のことなのだろう。
違和感、異物感、あるいは不安感――形容し難い情動が胸の底から浮かび上がってくる。
どうしてガーネットの母親にこうも強い感情を抱いているのかは分からないが、それについては赤の他人に分からない事情があるのだろうと納得できる。
けれど、何故――どうしてヴァレンタインは、ガーネットのことをまるで見ていないようにしか思えないのだろうか。
「ガーネット。お前はあの女の生き写しだ。あの女の復讐を果たすにあたって、これ以上に相応しい者などいるはずがない。だから……その肉体に不可逆の改造を加えることは看過できなかった。それだけのことさ」
一体何がそれだけなのか。
俺に言わせれば、それほどのと形容せざるを得ないほどの妄念を感じずにはいられない。
人間と話していて、これほどの悪寒を感じたのは久し振りだ。
何なら魔王軍四魔将のダークエルフ達の方が、まだ安心して対峙できたかもしれない。
もちろん強さの問題ではなく、理解が及ぶ相手であるという意味ではあるが。
黙ったままのガーネットが気になって横を見てみるも、そこにガーネットの姿はない。
ガーネットは知らぬ間に一歩後ずさり、頭一つ分は大きな俺を壁代わりに、ヴァレンタインの視界から体の半分以上を隠してしまっていた。
「いや、お前……んなこと面と向かって言われたって……どんな反応すりゃ満足すんだ……?」
怒りや憤りは一周回って全く感じられず、ただただ戸惑い困惑している。
もっと端的に言えば、本当に珍しいことに、怯えているとすら表現できるかもしれない。
「ははは! ヴァレンタイン! すっかり怯えられたじゃないか!」
凍りかけた空気を壊したのは、声を上げて笑うアンブローズという、これまた従来のイメージに反する珍しい光景であった。
ヴァレンタインは『だから話したくなかったのだ』とでも言わんばかりに肩を竦めて首を振り、そしてアンブローズはひとしきり笑い終えてから――耳を疑うようなことを口にした。
「この通り、どちらも拒絶の理由は『不可逆の変化』だ。さて……ならば『可逆的な変化』が可能だと言ったら……どうする?」




