第446話 魔道を歩む者の提案
「そうだな……まずは魔法使いにとっての常識を教えようか」
アンブローズは俺達の返答を待たず、まるで講義でもするかのように語り始めた。
「知っていると思うが、君達が親しくしているような魔法使いは少数派だ。ほとんどは自らの拠点に引きこもって魔道の研究に専念している」
「……らしいな。部外者と関わるのは、資金稼ぎのために魔道具を売るときくらい……だったか」
「さすがにもう少し接触は持つさ。だけど大筋としてはその通りだ」
冒険者として活動してきた十五年の中でも、魔法関連のスキルを持つという意味ではなく、魔法の研究を本業としている人間と出会ったケースは決して多くない。
大抵は『魔法も使える冒険者』といった程度で、魔法はあくまで手段の一つという程度だった。
ノワールは研究者的な魔法使いだった両親を失って以降、双子の妹であるブランと一緒に、魔法を生きる糧として研究とは無縁の生活を送ってきたと聞いている。
メリッサの場合は、東方魔術への憧れの影響か、本人もよく分からない理由で【属性魔法】スキルを習得するに至ったという。
なので、いわゆる『普通の魔法使い』については詳しくなく、そういう意味でもアンブローズの発言には耳を傾ける価値があるといえた。
「魔道の探究は深まれば深まるほどに人智を超えていく。だからどうしても足りないものが出てきてしまうんだ」
「足りないもの……」
「例えば魔力量。これは魔力結晶などで補えるからまだマシだ。例えば魔力放出限界。体を通して一度に流せる魔力の上限だな。限度を超えれば肉体の崩壊すら招きかねない問題だ」
どれだけ大量の魔力を用意しても、スキルや魔法の形で発動させるのならば、一度に行使可能な魔力量は肉体強度の限界で頭打ちになってしまう。
下手に使い過ぎれば、アンブローズが言うように重篤な肉体的ダメージを負うことすらある。
俺の場合は、限界を超える魔力を使うときは自分自身を【修復】しながら発動させるが、こんなものは裏技以外の何物でもない。
「そして……例えば寿命だ」
アンブローズの声が一段階低くなる。
これこそが最も重要だと言わんばかりに。
「結局のところ、魔法を研究するにあたっての最大の問題は、研究者自身の肉体的な脆弱性なんだ。寿命については他の分野でも言えることだが、魔法使いは特にその影響が大きくなる」
ゆらり、と。
不意にアンブローズが立ち位置を変え、俺達と向かい合う形に移り変わる。
「ノワールやメリッサから聞いたことはないか? 研究に行き詰まった魔法使いが人体改造に手を染めるという話を」
「……それなら、ある。ブランが魔王軍の改造を受けているかもしれない、という話の流れだったが……」
「ああ、魔王軍の改造技術は実に興味深い。特に勇者ファルコン……資格はもう剥奪されたのだったかな? まぁ正直どうでもいいんだが……あの竜人化改造は我々としても学ぶべきものが多いよ」
やや早口気味にそう語ってから、アンブローズは「失礼」と小さく謝罪して話題を元に戻した。
それは果たして話が逸れていたことを自覚したからなのか、それとも俺が思わず睨みつけてしまったからなのか。
ファルコンに同情するわけではないが、黄金牙の騎士も複数同じ被害に遭っているのだし、彼らを実験動物か何かのように見なすのは単純に気分が悪い。
「ともかく、長年に渡って活動を続けた魔法使いは、ほぼ例外なく自分自身の肉体に手を入れているわけだ」
「研究に行き詰まった場合じゃないのか?」
「研究に行き詰まらない魔法使いは存在しないさ。この僕とて例外じゃない。壁を壊したと思ったらまた壁がある……さながら無限の迷宮を彷徨うようなものだ」
アンブローズは溜息混じりに語りながら、長い袖に隠れた手先をそっと顔の前垂れに近付けた。
「けれど何度も改造を重ねていると、必然的にどんどん人間から遠ざかってしまうんだ」
顔を覆う前垂れがわずかにずらされ、フードの内部の左半分が外気に触れる。
フードと前垂れの隙間の空間は暗い闇のようで、アンブローズの素顔が露わになるほどではなかったが、あまりにも決定的な異質感が一目で見て取れた。
――翠色の瞳が、顔の左半分に二つ並んで輝いている。
俺もガーネットも思わず息を呑んで言葉を失った。
明らかな異形。これが人体改造の具体例だというのか。
「おや。珍しいじゃないか、アンブローズ。見せても良かったのかい?」
「彼は曲がりなりにも上役だからね。いつまでも情報を伏せておくわけにはいかないさ。君こそ、遠からず義弟になる男にまで隠し続けるつもりか?」
「……順番だ。まずは君が最後まで語るといい」
ヴァレンタインと意味深なやり取りを交わしてから、アンブローズは再び俺達に発言の矛先を戻した。
「ここまで言えば薄々察しが付いているだろう。だから明確に言わせてもらおう」
「まさか……お前の案っていうのは……」
「肉体を作り変える。それが僕の提案だ。肉体性能が足りなければ、要求水準を満たせる形に改造すればいい。施術を僕に委ねてくれるなら、それこそ人間の域を超えた性能を保証しよう」
怖気がぞわりと背筋を駆け抜ける。
正気の提案とは思えなかった。
強さを得るために体を作り変えるだって? ヒトの形を捨てかねないほどに?
許せるはずがない。受け入れられるはずがない。
見知らぬどこかの誰かなどではなく、ガーネットがそんな真似をするだなんて。
「そんなことっ……!」
「ルーク卿」
アンブローズが手袋に包まれた指を突き出して、大声を上げかけた俺を制する。
「判断すべきはガーネット卿本人だ。僕も昔から試してみたかったことを、いい機会だからと思って提案したに過ぎない。まずは本人の意見を聞こうじゃないか」
俺は無言でガーネットに顔を向けた。
ヴァレンタインとアンブローズの視線がどこを向いているのかは分かりにくいが、きっと俺と同じようにしているに違いない。
ガーネットはしばし押し黙り、やがて長々と息を吐きながら後頭部を掻き乱し、そしてよく通る声で返答した。
「悪ぃな、その提案には乗れねぇわ」




