第445話 顔なき者達の軋轢
――ヴァレンタイン・アージェンティア。
銀翼騎士団を率いるアージェンティア家の次兄にして、ガーネットの母親違いの兄の一人。
本来は長兄が死亡したことで家督と騎士団を――厳密にはその前身組織を――受け継ぐ予定だったが、何らかの理由で役目を果たせず人前にも出られない体になり、どちらも三男のカーマイン・アージェンティアが継承したと聞いている。
これまでヴァレンタインは身内以外に姿を見せなかったそうだが、あるとき何の前触れもなく、この男は俺達の前に現れた。
それはダンジョン『元素の方舟』の中立都市アスロポリスにおいて、自動人形の一群が都市の管理者である樹人のフラクシヌスに襲撃を仕掛けたときだった。
ヴァレンタインは友人だというアンブローズとすり替わって周囲の目を欺き、フラクシヌスに味方して戦う俺達の前に出現、そして自動人形達の正体がアガート・ラムであると告げた。
アガート・ラム――銀翼騎士団が長年追っているミスリル密売組織。
ガーネットは母親の仇であるアガート・ラムと、目の前で破壊を繰り広げる自動人形が同一の集団であると知らされ、より強い戦意を抱いて敵幹部と交戦した。
結果的に勝利を収めることはできたものの、ガーネットは実力が不足していると思い悩むようになり、今以上の強さを求めるようになったのだった。
……そんな経緯を思い出しながら、朝一番に白狼騎士団の本部へ足を運ぶ。
もちろんガーネットも一緒だ。
理由は護衛役だからというだけではない。
ヴァレンタインを他の誰よりもよく知る身内であり、またあの男がグリーンホロウを訪れた動機も、恐らくはガーネットに関係していると思われるからだ。
正面玄関から本部に入ると、すぐさま騎士の一人であるソフィアが駆け寄ってきた。
「急なお呼び出し、申し訳ありません。我々では判断がつきかねる状況のようでして」
「分かってる。ヴァレンタイン卿はどちらに?」
「既に到着しております。アンブローズ卿の部屋でルーク団長を待つと仰っていました」
手短に現状の報告を受け、早足でアンブローズの部屋へ向かう。
その途中、廊下で不安げに佇むマークが視界に入ったので、そちらからも改めて話を聞いておくことにする。
「マーク。一応確認しておきたいんだが、お前はヴァレンタイン卿がアスロポリスに来た理由を聞いたんだよな」
「ええ、前にも話したとおり、要領を得ない意味不明な発言でしたけど……確か……」
「『あの日、あの場所にいたのはお前達だけではない』」
「……それです。俺には何のことやらさっぱりですよ。対応は団長に丸投げしても構いませんか」
手に余る事態だと嘆くマークに頷き返し、再びガーネットを連れて先を急ぐ。
そして周囲に他の騎士の姿がなくなったタイミングで、ガーネットが忌々しげに口を開いた。
「正直な話、オレはあいつのことをよく知らねぇ。記憶に残ってるあいつの姿は、最初からずっと今と同じ全身を隠した格好だったし、カーマインの方の兄上と違って深く関わる機会もなかったからな」
ヴァレンタインの正確な年齢は聞いていないが、少なくともカーマインの兄である時点で、ガーネットとは十数年分の年齢差があるはずだ。
年の離れた兄妹で、なおかつ兄が既に独り立ちを済ませたような年齢なら、関わりが薄いこと自体は珍しくないだろう。
しかしガーネットとヴァレンタインの場合、それだけでは説明がつかないように感じられた。
「だけど、あいつが言わんとすることは何となく分かる。あの日あの場所ってのは、オレと母上がアガート・ラムの襲撃を受けたときのことに違いねぇ」
「つまりヴァレンタインはアガート・ラムのせいであんな体になって、そのことを恨んでいるってわけか?」
「多分な……オレを焚き付けて復讐に本腰を入れさせて、自分も溜飲を下げようって腹なんだと思うぜ。ふざけやがって」
苛立ちを露わにしたガーネットが、アンブローズの部屋の前で立ち止まる。
俺もすぐに足を止め、まずはドアを叩いて二人の在室を確かめた。
「入ってくれ。彼も待ちかねている」
アンブローズに促され、部屋の中に足を踏み入れる。
そこには全身を覆い隠した男が二人。
きっちりとした服装に手袋と白覆面を纏ったヴァレンタイン。
魔術師然とした雰囲気のあるローブに、瞳を記号化した模様が染められた前垂れで顔を隠したアンブローズ。
背丈も近く、言葉を発さずに入れ替われられたら、俺だって『右眼』を使わない限り見抜けないであろう容貌だ。
「急に申し訳ない。だが僕も驚いているんだ。まさかヴァレンタインがこんな急に行動を起こすとはね」
「……ルーク卿を巻き込んだことは謝罪するよ。今日はガーネットとアンブローズの二人に用事があって来たんだ」
ヴァレンタインがそう言ったのを聞いて、ガーネットは意外そうに目を丸くした。
自分自身に用事があることは想定の範囲内でも、そこにアンブローズの名前も並ぶのは予想していなかったのだろう。
俺も同じ心境でヴァレンタインの発言の続きを待つことにする。
「ガーネット。君が更なる力を求めていることは聞いている。それ自体は素晴らしいことだ。実に望ましい。だけどね……この件でアンブローズに関わるのは推奨できないな」
「……はぁ? 関わってなんか……」
「あくまで忠告さ。仮に関心を抱いたとしても協力を仰ぐべきじゃない」
意外としか言いようのない忠告であった。
ヴァレンタインとアンブローズの関係性が、主従でもなく雇用でもなく、あくまで友人関係であることは前々から聞いていた。
それもあって、もしかしたらアンブローズが試作品の実験中にやって来たのはヴァレンタインの差し金だったのでは……などという想像もしていたが、現実は完全に正反対。
あのアンブローズの行動は、ヴァレンタインにとって好ましくないものだったというのだ。
「待ってください、ヴァレンタイン卿。俺達はまだアンブローズ卿の詳細な案を聞いていません。協力を仰ぐ以前の問題です。そんな風に仰る理由を教えていただけませんか」
言いたいことが多過ぎて言葉に詰まったガーネットに代わって、俺がヴァレンタインの真意を問い質すことにする。
「ルーク卿。前にも言ったとおり、俺は騎士の資格を返上しているから『卿』は不要だよ。さて、こんなことを言った理由だったね……それはアンブローズ本人から聞くのが早いと思うよ」
俺とガーネットが二人揃ってアンブローズに目を向ける。
アンブローズは特に焦った様子もなく、至って落ち着いた態度で短く息を吐いた。
「君の耳に入れば反対されると思っていたさ。僕が提案する手法は、君もルーク卿も好ましく思わない代物だろうからね。もっとも、本人から好評を得られる確信はあるのだけれど……さてと、何から話したものか」
少しだけ考え込むかのように、長い袖に隠された手元が、前垂れ越しに口元か顎に添えられる。
「そうだな……まずは魔法使いにとっての常識を教えようか」




