第444話 もう一つの実験の予兆
「ガーネット卿。君は戦闘能力の向上を希望しているそうだね。それについて、少しばかり話を聞かせてくれないか」
アンブローズがそう言った瞬間、ガーネットの警戒度が急上昇したのが後ろからでも見て取れた。
「……テメェ、どこでそれを知った」
「噂で聞いただけだ。武器屋の店番でもしながら、ルーク卿に相談を持ちかけた覚えはないか? あるのなら、恐らくそれが噂の出処だな」
平然とした態度のアンブローズの指摘を受け、ガーネットはむっと口籠った。
確かに、ホワイトウルフ商店でもその件を話題に出したことがある。
この悩みを抱えていることを打明けられたのは二人きりのときだったけれど、具体的にどう解決していくかという意見交換の一部は、営業中に接客の合間を縫って行っていた。
もちろん、誰かに聞かれても困らないような表現を心がけてはいたが、その噂がアンブローズにまで届いていたということか。
「君が護衛担当の騎士であることは既に周知の事実。そんな男が己を鍛えることを望んでいるという評判が、同じ組織に所属する同僚の耳に入るのは自然の成り行きだろう」
「ちっ……まぁ、そういうことにしといてやる」
ガーネットは舌打ちをして追及を切り上げた。
アンブローズの説明はどうにも否定しにくいものだった。
第三者が意見交換を偶然聞いていた可能性は否めないし、悪評ではなく『向上心がある』という好評価なら、何らかの形で話題に出す抵抗感もほとんどないはずだ。
護衛騎士の仕事熱心ぶりを評価するという形で流された情報が、物理的にも職務的にも近い白狼騎士団の団員に届くのは、確かに不自然ではない展開である。
本当にアンブローズがこんな経緯で把握したのかどうかは断定できないが、少なくとも不自然な言い訳だとはねつけることはできないだろう。
「で、それがどうした。確かにオレはもっと強くなりたいと思っているさ。だがお前に何の関係があるってんだ」
「僕の調査には関係がある」
アンブローズはガーネットの発言に被せるようにして、そう断言した。
「ルーク卿の【修復】スキルが変質した原因は、第一迷宮を彷徨いながら、ミスリルの影響を受けた地下水で命を繋いだことにある……こう推測されているそうだね。どうしてそれを試してみないんだ?」
関係あるとはそういうことだったか。
俺がこの手段を話題に出さなかった理由。
それはひとえに、あんな苦痛をガーネットに味わわせたくはなかったからだ。
しかも成功する可能性がある保証すらどこにもなく、苦しむだけ苦しんで何も得られず弱るだけということもあり得る。
一か八かに賭けなければならないほど追い詰められているならまだしも、現状はそこまで差し迫った状況でもないのだから、案の一つとして取り上げることも思い浮かばなかった。
「テメェな……白狼のはそれで死にかけてんだぞ。試させろだなんて気軽に言えるわけねぇだろ」
ガーネットがアンブローズに投げつけた返答は、俺が口に出さなかった理由とはまた別の方向性のものだった。
「思いついてたこと自体は否定しねぇよ。ひょっとしたらオレも同じようになれるかもってな。だけど頭ん中で思い浮かべんのと、実際に言っちまうのとじゃ全然違うんだ。分かんねぇか?」
以前、具体的にどうやって強くなるのかを話し合っていたとき、ガーネットは妙に歯切れの悪い様子を見せていた。
もしかしたらあれは、かつての俺と同じことを試したいと思いついたものの、俺に遠慮をして飲み込んだ瞬間だったのかもしれない。
「了解した。心情的な理由だというなら口出しをする余地はないな」
アンブローズはやたらと物分かりよく矛を収め、第一迷宮こと『奈落の千年回廊』に絡む話題をあっさり切り上げた。
本当にただ気になっていただけで、理由の確認が取れたから満足したとでもいうのだろうか。
どうにもアンブローズの考えていることは読み切れない。
何かしらの裏があるのか、それとも言葉の通りに最初から大した意図などなかったのかも、今ひとつ判然としないくらいだ。
「ガーネット卿。君から見れば僕は信用ならない男かもしれないが、僕にとっては友人であるヴァレンタインの弟だ。僕のスキルが必要なら協力は惜しまないとも」
「……一応覚えとくぜ」
「結構。案自体は前々から温めてある。君専用の強化手段というわけではないから、断りたいなら遠慮は不要だ」
踵を返して立ち去ろうとするアンブローズだったが、途中で不意に足を止めると、振り返ることなく一言付け加えた。
「そうだ、これも伝えておこう。例の噂はヴァレンタインの耳にも届いている。そう遠くないうちに彼からも何らかの反応があるかもしれないな」
「マジかよ……面倒くせぇことになりそうだぜ」
ガーネットは苦虫を噛み潰したような声を漏らしながら、アンブローズが帰っていくのを見送った。
その様子を見届けてほっと胸を撫で下ろす。
最初こそ不穏な空気が漂っていたが、結果的には特に問題のない形で終わってくれた。
結局のところ、アンブローズは本当にたまたま興味を抱いて立ち寄り、そのついでに前々から気になっていたことを確認しただけだったのだろうか。
不可解な思いを抱えたまま、ひとまず俺は曲がり角の陰から踏み出して、ガーネットに声を掛けることにしたのだった。
――そうして日が暮れるころになって、ようやく全ての試験項目をこなし終えることができた。
実験に参加した冒険者達にはギルド支部経由で報酬を受け取ってもらい、手伝ってくれたスタッフ達にはお礼に夕飯を奢るという話になる。
さっそく移動しようとした矢先に、着替えを済ませたオズワルド卿が俺に話しかけてきた。
「ありがとう、ルーク卿。本日は大変によい経験をすることができた」
「ご満足いただけたようで何よりです。さっそく今回の試験を反映した改良版の製作に取り掛かりますよ」
性能試験は大筋として成功、しかし多少の改善点あり――全体的にはそういう結果だった。
例えばノワールの試作品の場合、雪や氷に触れると溶かしてしまうにもかかわらず、布製ゆえに濡れてしまうと感触が悪化する点が指摘された。
アレクシアの試作品なら、手袋を嵌めて扱う分には何の不自由もないが、素手で取り扱うと熱すぎる場合があると指摘された。
どちらも至極もっともな指摘であり、また改善策もすぐに思いつく問題でもあった。
これなら明日からでも、改善点を潰す作業と生産性を高めコストダウンを図る行程に入れるだろう。
「あの道具が完成すれば部下達も随分と楽になる。本当にありがとう。完成が今から楽しみだ」
差し出された手を握って握手を交わす。
準備に準備を重ねた試みが上手くいった充実感が胸の底からこみ上げてきて、口元に笑みが浮かぶのを止めることができなかった。
――その充実感も冷めやらぬ翌日、俺達の家に急な連絡が入る。
それはガーネットの兄であるヴァレンタイン卿が、白狼騎士団本部を急遽訪問するという事前連絡であった。




