第443話 性能試験と翠の眼
そして予定よりも少し早く、灰鷹騎士団のオズワルドが冒険者ギルド支部にやってくる。
「ルーク卿。騎士団を代表して感謝申し上げる。まさかこんなにも早く仕上がるとは夢にも思っていなかった」
「喜ぶのはまだ少し早いですよ。両方とも性能試験をクリアできない可能性もありますからね」
試作はあくまで試作。
ノワールとアレクシアのことは心の底から信頼しているが、試す前から大丈夫だと依頼主に言うことはできない。
ふと廊下の奥に目をやると、アレクシアが実験の参加者達に詳細な手順を説明している。
機巧技師として、部外者を雇用しての性能試験にもよく慣れているらしく、語り口にも淀みが全く感じられなかった。
あちらはアレクシアに任せて問題ないだろう。
そう考えながら視線を前に戻したところで、オズワルド卿が想定外の提案を持ちかけてきた。
「よければ私も実験に参加させてはもらえないか」
「実験にですか?」
「試作品を自分の体で試してみたいのだ。部下達が使うことになるものだからな」
「一人や二人なら、もちろん今からでも加わっていただけますし、現地の環境を知る人に試していただけるのはありがたいんですが……その、もしものことがあっても……」
「分かっている。私自身の責任で参加するとも」
そこまで言うなら頑なに拒む理由もない。
俺はオズワルド卿の提案を受け入れ、彼にも試作品の性能試験に参加してもらうことにした。
――やがてアレクシアの手順説明と実験室の冷却が完了し、いよいよ実験に取り掛かるときがやって来る。
充分に冷却した実験室に、灰鷹騎士団の防寒装備を再現した格好で入ってもらい、少しずつ条件を変えて試作品の性能を試していくという手筈だ。
ある被験者には長時間入ってもらったり、ある被験者には指を温めながら細かい作業をしてもらったりと、様々な試験を並行して進め、性能評価に必要な情報を少しずつ集めていく。
その間、俺達ホワイトウルフ商店側のスタッフは、隣室から硝子板越しに様子を伺いながら、伝声管で適宜指示を出していくわけである。
「オズワルド卿、調子はいかがですか」
『絶好調だ。どちらも性能は良好だな。こうして握っていると、まるで暖炉に手をかざしているかのようだよ』
伝声管の口に顔を近付けて、オズワルド卿に試作品の使用感を確かめる。
依頼主であるオズワルド卿は、北方の気候を誰よりもよく知っているという理由で、自ら率先して最長時間の試験に加わっていた。
また、騎士団で部下を率いる立場であるという責任から、部下の健康を維持するための道具の性能は自分の身で確かめたいというのもあるらしい。
『服の内側に仕込んでおいた分もいい働きをしている。手軽に固定できるようになればもっといいのだが』
「担当者と相談してみます。最悪、装備品の内側に専用ポケットを設ける形になるかもしれませんね」
聞き取った途中経過を書き留めて、伝声管の口の蓋を閉めて一息つく。
ちょうどそのとき、シルヴィアが飲み物を乗せたトレーを持って観察室に入ってきた。
「皆さん、お疲れ様です。温かいお茶を淹れてきました」
シルヴィアは慣れた手付きで、俺やノワール、アレクシアや支店スタッフに次々カップを渡していく。
春の若葉亭も、この冒険者ギルド支部の一画を借りて別館を経営している。
今日、シルヴィアはそちらの手伝いのために『日時計の森』の底に下りているのだが、ついでに俺達や実験の協力者達にも食べ物や飲み物を提供してくれていた。
「体が温まるスープも準備していますから、実験が終わった人はうちの食堂に連れてきてください」
「悪いな、色々と手伝ってもらって」
「いえいえ。お代を頂いた以上はお仕事ですから。きっちりこなしてこその春の若葉亭です」
腰に手を当てて胸を張るシルヴィア。
本人はこう言っているが、実際には常連ということで大きく割り引いてもらっていて、春の若葉亭には利益らしい利益が出ていないはずなのだ。
こちらが支払ったのは材料費と手間賃相当……つまり差し引きゼロである。
またいつかお返しをしないとな、と考えながらカップを傾けていると、追加の支店スタッフが応援に駆けつけてきてくれた。
それを見たアレクシアが、椅子に座ったまま体をこちらに回転させて、休息を取るように進めてくる。
「ルーク君もそろそろ休憩に入ったらどうですか。まだ朝から一度も休んでないでしょう。ここは私とノワールがいれば充分ですし」
「そうだな、しばらく任せた」
せっかくなので、ここはお言葉に甘えさせてもらうことにしよう。
椅子から立ち上がってぐっと背筋を伸ばし、どこかで適当に休息を取るために実験室を後にする。
どこで休もうかと考えながら廊下を歩き、曲がり角に差し掛かったところで、角の向こうに見知った後ろ姿を認めて立ち止まる。
あそこに見える背中は間違いなくガーネットだが――向かい合っているのは翠眼騎士団のアンブローズか。
肌の露出がなく顔もフードと前垂れで隠している格好なので、見た目ではどうしても本人だと断定することが難しい。
「(……穏健な雰囲気じゃなさそうだな……)」
思わず足を止めてしまったうえに、角に姿を隠して様子を伺うような真似をしてしまったのは、後ろ姿から感じるガーネットの気配がとても友好的には思えなかったからだ。
向かい合っているというよりは『対峙している』と言った方が正しいだろうか。
果たして不用意に姿を現して割って入っていいものか……すぐに判断を下すことができなかった。
「もう一度聞くぜ。何でお前がここにいるんだ」
「もう一度答えよう。偶然さ。第一迷宮……『奈落の千年回廊』にサンプルを採取しに向かってみたところ、何やら興味深い実験をしていると小耳に挟んだ。それ以上の裏はないとも」
アンブローズはガーネットの警戒心などどこ吹く風といった様子で、本当にただの世間話をするかのような気楽さで振る舞っている。
「サンプル? ミスリルは白狼のじゃねぇと採取できねぇだろ」
「他にも調べるべきものが山程あるのさ。そもそも、ミスリルならルーク卿に頼んで店舗の在庫を分けて貰えば済む話だ」
「……妙なことはするんじゃねぇぞ」
「言われるまでもなく。それにしても、僕に声が掛からなかったのは少し不可解だな。白狼騎士団でこの分野を担う立場だという自負はあったのだが」
特に感情が籠もっていないアンブローズの言葉に、ガーネットはあくまで冷静に答えた。
「こいつはホワイトウルフ商店の問題だ。騎士団の人員を使うのは公私混同……白狼のはそう考えてるんだよ」
「なるほど。それなら仕方ない」
まぁそんなことよりも――と、アンブローズは現状の話題を下らないものと切って捨て、話を別の方向へと切り替えにかかった。
「本当のことを言うと、今の僕はルーク卿にも実験にも興味が向いていないんだ」
「じゃあ何で……」
「ガーネット卿。君は戦闘能力の向上を希望しているそうだね。それについて、少しばかり話を聞かせてくれないか」




