第421話 これからのための下準備
資料室に併設された会議室兼作業室。
チャンドラーが言っていたとおり、マークはそこの大きなテーブルに突っ伏して、予定外の仕事が増えたことへの恨み節を呟いていた。
それとマークの他にもう一人、虹霓鱗のヒルドも同じ部屋で報告書作りに勤しんでいたが、こちらはマークとは対照的な没頭ぶりであった。
ヒルドに話しかけるのは邪魔をするようで躊躇われたので、まずはマークの方に声を掛けることにする。
「よう、マーク。進捗は……良くないみたいだな」
「当然です。俺が元の騎士団でやってきた仕事と勝手が違いすぎて、何をどう報告すればいいのやら」
その気持ちは痛いほどよく分かる。
俺も一年前に冒険者を休業してからというもの、慣れない仕事に戸惑うことばかりだ。
「ところでガーネット卿の兄上とやらはどうしたんです? 戦闘が終わった後の混乱のせいで、結局合流できずじまいでしたけど」
マークが雑談として口にした質問に、ガーネットがこれまた何気ない態度で回答する。
「ヴァレンタインなら自力で戻ってるぞ。昨日の夜、お前らと別れた後でオレんとこに来てな。久し振りに遠出したせいで体の節々が痛むから、当分はこっちの温泉で休養するってさ」
「……人知れず妙なことしてなきゃいいんですがね」
「その辺は現地の冒険者の報告待ちだな。ま、どうせ高級宿に泊ってるだろうから、普段の生活で顔を合わせることはないと思うぜ」
俺達がいつも世話になっている春の若葉亭は、グリーンホロウで最大の宿屋ではあるが、最高級の宿屋というわけではない。
むしろ一般の旅人や冒険者を大勢泊めることを前提とした、気軽に利用しやすい庶民的な宿である。
貴族などの裕福な層が利用する宿は、町の喧騒から離れたところに広い敷地を保有していて、ゆったりと温泉を楽しむことができると聞いている。
素顔を見せることを好まないヴァレンタインにとってみれば、そういった環境は必要不可欠なのだろう。
「それで、ヒルドの方は……」
俺が名前を呼びながら恐る恐る視線を向けてみても、ヒルドは大量の資料に囲まれたまま、報告書を書き綴る手を止めようとしなかった。
「もうしばらくお待ち下さい! 王宮と虹霓鱗に報告したいことが山程ありますので!」
「……まぁ、そうなるよな。フラクシヌスから聞いた話は、どれもこれも地上の常識からかけ離れた代物だったわけだし」
戦いが終わってから地上に戻るまでの間に、俺達はフラクシヌスからより詳細な情報の提供を受けていた。
ただし受け答えの中心は専門家のヒルドであり、俺やガーネットは専門用語の大半が分からないまま、後からヒルドに情報を纏めてもらう前提で立ち会うだけだったのだが。
「報告書、楽しみにしてるよ。専門的すぎるわ情報量が多いわ、とにかく俺の手に余る情報だったからな」
「お任せください。それが私の本業みたいなものですから!」
まさに水を得た魚のよう。
ヒルドはこれまで見たことがないくらいに、心からいきいきと作業を続けている。
邪魔をしないようにそろそろ立ち去ろうかと思ったところで、マークが何気ない質問を俺に投げかけてきた。
「ところで、ソフィア卿がどこにいるか知りませんか? 俺に指示を出してどこかに出かけてから、一向に戻ってこないんですけど」
「ん? ああ、ソフィアにはちょっと頼み事をしてあるんだ。今頃は町の方にいるんじゃないかな」
――ルーク・ホワイトウルフが騎士団本部にやって来たちょうどその頃。
白狼騎士団の一員であるソフィア・ウェッジウッドは、団長命令でグリーンホロウのとある施設を訪れていた。
「お待ちしておりました、ソフィア卿。お話はガーネットから伺っております」
「フェリックス卿。急な申し出を受けて頂き、ありがとうございます」
ソフィアを出迎えたのは、銀翼騎士団副長にしてグリーンホロウ支部長のフェリックスだった。
名実共に銀翼騎士団の幹部と呼んで差し支えないその青年は、友好的な態度でにこやかにソフィアを奥へと招き入れていく。
「既にご存知だと思いますが、ここはある種の収監施設です。ダンジョン調査の本格化に伴う人口増加に伴い、犯罪件数が増大することを視野に入れて開設した設備ですね」
「裁判を待つ容疑者と、判決を受けた受刑者の双方を拘禁する設備と聞いています」
「ええ。本来は個別に用意すべき施設なのですが、少々特殊な状況ですので特例としてこうなりました」
フェリックスが説明した用途に相応しく、施設内の警備は厳重だ。
見張りや巡回などの物理的な警備のみならず、魔法や魔道具を用いた魔力的な警戒網も徹底されている。
「凶悪犯の収監もされていると聞きましたが、具体的にはどのような?」
「収監する可能性もあるという程度ですよ。大抵は数日程の拘留で反省を促すのが関の山です。なので、恐らく彼女が開設以来最大の収監者になるでしょうね」
そんな会話を交わしながら、施設の最奥まで案内されたソフィアの視界に、奇怪な風体の人物がゆらりと姿を現した。
厚手のローブで全身を、瞳の模様が染め抜かれた前垂れで顔を隠した、魔法使い然とした男――翠眼騎士団のアンブローズ卿。
「やっと来たか。待ちかねたよ、ソフィア卿」
「……っ!? アンブローズ卿……貴方……」
「喋ることができたのか、かな? ヴァレンタインが僕のことを『喋れない』と紹介した覚えはないから、記憶を掘り返してみるといい」
ソフィアは考えを先回りされてしまい、二の句を継ぐことができなかった。
これについては、魔法か何かで心を読まれたわけではなく、ただ単に驚かれることも想定内だっただけだろう。
「ヴァレンタインとのすり替わりは最初からプランの一つだったから、仕込みとしてあえて喋らなかった。それだけのことだ」
「確かに……貴方が言葉を発せないというのはこちらの予断でした。しかし何故ここに? ルーク卿から要請を受けたわけではないでしょう」
アンブローズは初対面のイメージに反した流暢な、しかし内心を読み解かせないような喋り方で、平然と自分自身の行動についての情報を開示した。
「もちろん僕の個人的な判断だ。ここまで立ち入る許可は銀翼から得ている。君が会う予定の罪人の職業を考慮すれば、専門家が立ち会うことが望ましいと思ってね」
「……私が同席を許可しなかった場合は?」
「諦めて帰るさ。本当に個人的な親切心でしかないからね。騙し討ちを仕掛けたせめてもの埋め合わせという奴だ」
親切心……果たして本当にそうなのか疑問はある。
だが、拒絶する合理的な根拠が見当たらないのも事実だった。
「分かりました。フェリックス卿もよろしいですか?」
「ソフィア卿が構わないのであれば。それでは鍵をお開けします」
厳重に施錠された独房の鍵が開けられる。
内装は真新しく、牢獄と聞いて広く想像されるような、たちどころに健康を害するような不潔さとは無縁な環境だ。
そして堅牢な檻によって入口付近と区切られた居住スペースでは、左腕を失った一人の白い女性が、備え付けの椅子に腰掛けたまま高い採光窓を見上げていた。
なるほど、よく似ている――ソフィアが彼女と会うのはこれが初めてだったが、率直にそんな感想を抱いた。
「白狼騎士団のソフィア・ウェッジウッドです。魔導峡谷のブラン、貴女に大切なお話があります」




