第419話 万感の思いの宣戦布告
最初は幻聴だと思った。
ルークは大樹の修復にかかりきりで、こんなところに駆けつけられるはずがないのだから。
けれど肉体に巡る【修復】の力が強まり、切断された両腕の出血が止まっていくのを見て、間違いなく状況が変わりつつあることを理解する。
そうしていると、フラクシヌスから呼びかけられるときと同じような感覚で、ルークの声が直接頭の中に響いてきた。
『よかった……間に合ったみたいだな。フラクシヌスに協力してもらって、【修復】スキルの魔力の大部分を皆に集中させているんだ』
この声がハダリーに届いている様子はない。
ガーネットの出血が止まったことにも気付かないまま、灼熱の刀と【縮地】で抗戦するサクラへの対応に追われているようだ。
恐らくは【修復】の効果を受けた者だけに届く声なのだろう。
異様に長く鞭のように撓る剣が生む銀色の旋風。
薄衣のような炎を纏ったサクラ自身と、白熱するヒヒイロカネの刀が生む陽光の旋風。
時折、サクラは【縮地】による肉薄も試みていたが、その度に撓る剣が出現地点を襲って後退に追い込まれる。
戦力外に転げ落ちた自分が情けなくなるほどの攻防である。
『この大樹はフラクシヌスの肉体そのもの……体内の魔力の流れを制御する要領で、お前達に【修復】の効果を届ける手伝いをしてもらっているわけだ』
ガーネットの視界の隅で、斬り刻まれて吹き飛ばされたエゼルとナギが、傷口の塞がった身体を起こそうとしている。
しかし、ガーネットの両腕は肘の先を失ったまま戻らない。
それはそうだ。
いかに【修復】といえど、物質の総量を増やすことはできないのだから。
ハダリーの足元に転がっている切断された腕を回収しない限り、自分は戦えない身体のまま膝を突いていることしかできないのだ。
原理的に考えれば、他の部位から肉と骨の材料を引っ張ってくれば、両腕を再構成することもできるかもしれない。
けれど、そんなことをして耐えられるほど、自分の肉体は大きくはなかった。
『この場所から俺にできるのは【修復】だけ……さすがに【分解】を他人の樹幹越しにぶつけるのは難しいからな……だけど命さえ無事なら絶対に治してみせる!』
エゼルとナギが戦線に復帰し、召喚系スキルで出現させた魔力の剣の射出や、高速移動と魔道具の併用でサクラを援護し始める。
ハダリーは外装の崩れた顔に憤怒の形相を浮かべながら、薄く長い鞭状の剣を二振りに増やし、二倍の手数でサクラ達を圧倒し始めた。
「また再生! フラクシヌスと同じように! 本当に厄介な能力ね!」
大議事堂の内壁が次から次に削られて、無数の破片が銀色の旋風の只中で砂嵐のように渦を巻く。
自分達が戦っているのでなければ、感心すらしてしまいそうなくらいの曲芸っぷりだ。
無傷で戦い続けられているのは神降ろしを発動させたサクラだけで、エゼルとナギは何度も傷つきながら、ルークの【修復】で立ち上がり続けている。
「アルジャーノン! どうせどこかに隠れているんでしょう! ムスペルを自爆させなさい!」
どこへともなく叫ぶハダリー。
すると上半身だけの炎の巨人の輪郭が崩れ、宙に浮かぶ球体状の炎へと形を変えていく。
サクラが持つヒヒイロカネの刀であれば、炎熱を吸収する性質によって炎の塊すらも斬り裂くことができる。
しかし、勢いを増すハダリーの猛攻に渡り合いながらでは、炎の球体に対する攻撃までは至れない。
「…………クソッ」
ああ――なんて情けない。
幼い自分を庇った母が、一秒ごとに冷たくなっていくのを見ていることしかできなかったように、仲間達が傷つきながらも戦い続ける様を眺めることしかできないのか。
炎の巨人の悪足掻きの爆発が、大議事堂を薙ぎ払うのを待つことしかできないのか。
打つべき仇の一人と見定めた自動人形が、自分をいつでも殺せる敗残兵として、完全に無視しているのを受け入れることしかできないのか。
「……嫌だね、そんなのお断りだ……!」
仇への憎悪と自分自身への怒りが胸の奥で混ざり合い、激しい闘志となって湧き上がってくる。
この程度で折れるようならここまで来てはいない。
とっくの昔に仇討ちを諦めて、アージェンティア家の令嬢として、綺麗なドレスを着るだけの生活に戻っていたはずだ。
剣を握ることも早々に止めて、あいつに出会うこともなく騎士を辞していたはずだ。
自動人形達にどんな背景があり、どんな目的を掲げてアスロポリスを襲ったのかは分からない。
けれど、これだけは心の底から断言できる。
復讐の下準備に捧げてきた十年間も、復讐を終えた後に送ると決めたあいつとの人生も、人形達の目的ごときに遅れを取るほど軽くはないのだと。
「聞こえるか、白狼の」
『ガーネット! 腕は大丈夫か! 痛みはちゃんと消えているよな!』
「そこまで見えてんのかよ。恥ずかしくって死にそうだぜ」
小声で軽口を飛ばしながら、フラクシヌスを介して遠くのルークに語りかける。
「フラクシヌスは樹人なんだよな。てことは、昔は腕も脚も顔も普通にあって、それがでかくなってこの大樹になったんだろ?」
『……そのはずだ。こうして【修復】を使っていても、普通の木とは違う感覚がある』
「だったら都合がいいや。ルーク、頼みがある」
ガーネットは全身を低く屈め、自分を無視してサクラ達を痛めつけるハダリーを見据えながら、【修復】の魔力に覆われた両腕の切断面を床に突いた。
それはまるで、今すぐにでも走り出す準備を整えるかのように。
「腕をくれ。今すぐに。剣さえ握れりゃ後は何とでもしてみせる」
『なっ……! だけど【修復】の素材が……!』
「そこら中にあるだろ? 昔は腕も脚もある樹人の一部だった素材がな」
可能かどうかも分からないふざけた要求だ。
こんなことを素面で口走ってしまうあたり、自分も冷静なように見えて思考がイカれてしまっているのかもしれない。
けれど今は、できるに違いないという確信に口の端が上がるのを止められなかった。
『……試してみる価値はあるかもしれない。できなくても状況が変わらないだけなんだ』
「だろ? 信じてるぜ、ルーク」
『ははっ……! そんな風に言われたら失敗できないな!』
床面に押し付けた腕に膨大な量の魔力が流れ込む。
失った両腕の感覚が、断面から滲み出て来るかのように取り戻されていく。
『走れ、ガーネット!』
心に沁み込むルークの声を合図に、ガーネットは低く屈めた体勢のまま駆け出した。
床面を覆う魔力の光から引き抜かれる新たな両腕。
それは生きた樹木で形成された甲冑の籠手にも似た無骨な形で、しかし指先までしっかりと感覚の通った確かな『腕』だった。
疾走しながらエゼルが取り落したままだったイーヴァルディの剣を拾い、ハダリーめがけて一直線に駆け抜けていく。
「まだ動けたのか! 次は頭を四つに斬り裂いてあげるわ!」
ハダリーが油断なくガーネットの接近を悟り、二振りの鞭剣の軌跡を変えるべく腕を振るおうとする。
そのとき、突如として伸びた何本もの植物の蔦が、背後からハダリーの両腕を絡め取って動きを鈍らせた。
発生源はフラクシヌスが負傷者を匿った瘤状のシェルター――その一つが内側からこじ開けられ、焼け爛れた体を【修復】された虹霓鱗のヒルドが魔法を発動させていた。
まるで、このままで終われないのはガーネットだけではないとでも言うように。
「なっ……! この……エルフ風情がぁ!」
細い蔦が自動人形を引き止められたのは、ほんの一瞬。
人間離れした膂力によって瞬く間に引きちぎられ、すぐさま攻撃動作が再開される。
――刹那、イーヴァルディの剣がハダリーの頭を縦に断ち切った。
「――――は」
「アガート・ラム!」
骨格の尋常ならざる強度を生んでいた被膜を武器に転化した以上、肉体の強度が著しく低下するのは自明の理。
ガーネットの渾身の力を乗せた一太刀は、ハダリーの頭を割り、胸を垂直に断ち、腹をも裂き、高度な技術で生み出されたヒトガタを真っ二つに斬り捨てた。
同時に攻撃の緩みを見切ったサクラが、爆発寸前の巨大火球にヒヒイロカネの刃を突き立てて、その灼熱を吸い上げていく。
「――こん、な、ことが――!」
「こいつがオレの――」
縦に両断され崩れ落ちながらも、確定した敗北に顔を歪める自動人形。
ガーネットはありとあらゆる想いを込めて、ルークの手でミスリル合金へと進化したイーヴァルディの剣を、正確無比な軌跡で横薙ぎに振り抜いた。
「――宣戦布告だ!」
縦に割られた頭が更に頸部を切断され、胴体から切り離されて床に転がる。
ガーネットは床に剣を突き立てて体重を預け、肩で息をしながら、ハダリーがもう動かなくなったことを確かめた。
炎の巨人が変化した巨大火球も爆発に至ることなく鎮められ、どこかに身を隠したアルジャーノンが悪足掻きをする様子もない。
遂に勝利したのだという確信が、疲労と出血で弱りきった肉体の現状を思い出させ、全身から活力を奪い去っていく。
これは復讐の終わりではない。
ようやく踏み出した最初の一歩だ。
……頭では理解していても、泣きたくなるくらいの歓喜が湧いてくるのを止められない。
今はただ、一秒でも早く喜びを分かち合いたかった。
復讐を肯定し、それすらも含めた全てを受け入れてくれる、この世でたった一人のあの男と。




