第418話 悔しさの理由
――ずっと心の片隅で考えていた。
いざアガート・ラムの一員と対峙したとき、自分はどんな風に壊れるのだろうかと。
このガーネット・アージェンティアという人間が、果たしてどれだけ正気を保ち続けることができるのだろうかと。
きっと怒りに我を失い、周囲の迷惑も自分の命も顧みず、激情のままに暴れまわることになるに決まっている――本気でそう思っていたし、あいつにもそのつもりで話していた。
「(ああ……不思議なもんだな。幹部だっていう奴と直接打ち合ってるっていうのに、びっくりするくらいに冷静だぜ)」
凄まじい速度と正確性で振るわれる二振りの短剣を、ミスリルの剣でどうにか凌ぎ、合間を縫って反撃に転じる。
同じく最前線で斬り結ぶエゼルと互いの隙を補い合い、更に二人でも対応しきれない状況になれば、ナギが投剣や魔道具で敵の動きを鈍らせる。
一対一では良くて防戦一方が関の山だったはずだが、三人がかりの連携攻撃ならば話は別だ。
「(こんな連携、頭に血が上ってたらできやしねぇな)」
もちろん憤怒と憎悪は、胸の奥底で絶えることなく煮え滾っている。
目の前の人形を壊してやりたいという衝動が消えるはずなどない。
ただ単に、自分でも不思議なくらいの冷静な思考が、激情の手綱を取って肉体を適切に動かしているのである。
ブランがハダリーと呼んだ少女型の自動人形は、かつて戦った夜の切り裂き魔とは比べ物にならないほどに強い。
恐らく夜の切り裂き魔は、人間社会で最大の都市に潜伏する関係上、成り済ましの精度を高めるために戦闘能力を犠牲にしなければならなかったのだろう。
一方、周囲が魔族ばかりでぼろが出にくいハダリーは、本来の戦闘能力を保ったまま潜伏することができたのだ。
「(……とにかく、これなら! この調子で戦い続ければ、きっと……!)」
炎の巨人をサクラが抑えている間に、少しずつではあるが、ガーネットとエゼルの連携攻撃がハダリーの防御を崩しつつあった。
左右の手の短剣は二人の斬撃を受け流すだけで精一杯になり、距離を離そうとする試みもナギの適切な妨害で果たせない。
「はあっ!」
エゼルが繰り出した薙ぎ払いがハダリーの眼前を掠め、前髪の先をわずかに切り落とす。
回避のために重心を大きく後ろへ傾けざるを得ず、次の一手はかわすのではなく防がざるを得なくなる。
そしてガーネットは間髪入れずに逆袈裟の斬り上げを放ち、防御として翳された二振りの短剣を弾き飛ばした。
ハダリーを守るものはもはや何もない。
体内に仕込んだ仕掛けを発動させる暇も与えてやるものか。
「おおおおおっ!」
短剣を弾いた勢いで高く掲げた剣を躊躇なく振り下ろす。
人間であれば骨ごと両断されかねない一撃――しかしハダリーの身体に直撃した刃は、耳をつんざく金属音を上げるに留まった。
「(硬い……! サクラが言ってたとおりだけど、限度ってもんがあんだろ!)」
柄を握る両手に、スキルを使わず金属鎧を殴りつけたかのような痺れが走る。
これまでに戦ったどの人形よりも堅牢な骨格。
他の人形の手足は切断可能で、非金属素材が中心だったと感じたが、ハダリーは明らかに性質が違う。
「(しっかし、これだけ硬ぇなら防御も回避も必要ないだろうに……!)」
ガーネットはハダリーの行動の不合理さを訝しみながら、立て続けに追撃を繰り出そうとする。
その視界に、刃の直撃を浴びたハダリーの顔が飛び込んでくる。
斜めに斬り裂かれ、ひび割れた外装。
銀色の頭蓋骨にも似た本来の頭部。
――そして激しい憎悪に歪んだ少女の顔。
ハダリーは左腕を盾代わりにガーネットの追撃を受け止めると、怨嗟の叫びを吐き散らした。
「あああ……よくも! よくも私の顔を!」
ガーネットは思わず面食らいそうになった。
まさかこいつが攻撃を身体で受けたがらなかったのは、外装が傷つくのを避けたかったからなのか?
しかし外装に痛覚がある様子は全く見られない。
だとすると、純然たる美的感覚で嫌がっているだけだったというのか。
そんな態度の戦いぶりに、自分達は苦戦を強いられていたとでもいうのか。
処理のできない憤りがガーネットの腹の底から噴き上がってくる。
「クソが! 人形のくせに何を言ってやがる!」
「お前達に! 何が分かる!」
ハダリーは右腕を真横に振るうと、手中に素早く魔力を集中させた。
次の瞬間、ハダリーの服の内側から銀色の流体が流れ出し、瞬く間に右手へと集まっていく。
それと同時に、顔面を横切った破損から覗いていた骨格が銀色の輝きを失い、白い素材の色合いを露わにする。
「(こいつ……! 骨格に金属か何かをコーティングして……!)」
異常を察して飛び退くガーネット。
しかし、何故かミスリルの剣は、ハダリーの左腕に食い込んだまま取り残されていた。
「――――あ?」
真紅の飛沫が視界に散る。
ハダリーのところに残ってしまった剣の柄には、前腕の中程から先だけの腕が二本、しっかりと柄を握ったままぶら下がっている。
そして自分の両腕は、肘よりも少しばかり先の部分で、あまりにも鮮やかな断面を残して斬り落とされていた。
「許さない! その命で償いなさい!」
銀色の流体は、ハダリーの手中で異様に長い帯のような剣に姿を変えていた。
そしてハダリーが目にも留まらぬ速度で右腕を振るうと、鞭状の剣身が銀色の嵐と化して大議事堂の隅々までを切り裂き始めた。
瞬き一つの間に刻まれていく大議事堂。
炎の巨人も完全なる無差別攻撃に晒され、アルジャーノンは纏っていた防壁を一撃で吹き飛ばされて這々の体で身を隠す。
神降ろしを発動させたサクラは【縮地】の連発と演舞のような斬撃で全てを凌いでいたが、生身のナギはそうもいかず、高速移動での回避中に補捉されて血を撒き散らしながら壁に激突した。
「(こいつは、さすがに……やばい……けど……)」
切断された両腕の激痛と出血に意識が揺らぐ。
もしもルークが隣にいればすぐにでも塞げた傷だったが、今は回避どころかこの場から動くことすらままならない致命傷だ。
「ガーネット!」
銀色の旋風が間近に迫った瞬間、エゼルがガーネットの頭を押さえつけて強引に伏せさせる。
「……っ! 悪ぃ、エゼ……」
ぱぁん、と弾けるような音がして、ガーネットに血飛沫が降り注ぎ、斬り刻まれたエゼルの身体が吹き飛ばされていく。
エゼルの手から滑り落ちたイーヴァルディの剣が床に落ちる。
ガーネットも立ち上がる力を絞り出すことができず、その場に膝を突いてうずくまっていることしかできなかった。
サクラが叫ぶ声もどこか遠くの喧騒のようで、言葉の意味を理解することができそうにない。
「(クソッ……ちくしょう……! フラクシヌスの片手間で……本気も出さずに手加減して……あいつにとって、オレ達はその程度の脅威でしかなかったのかよ……!)」
怒りと憎しみに加えて、悔しさまでもが感情を揺り動かす。
ハダリーがこの武器を出し惜しんだ理由までは分からなかったが、使われた時点でこうも一方的になるほどの力の差があったのだ。
まともに戦えるのはサクラだけだが、あんなにも痛めつけられた状態で無理に神降ろしを発動させて、果たしてどれだけ持つことか。
悔しい、悲しい、情けない――母の仇を討つどころではなかったのもそうだが、しかしそれだけでなく……あるいはそれ以上に、ルークの信頼に応えられなかったことが苦しかった。
オレに任せろと息巻いて大樹に飛び込んでおきながら、無様に退けられて死体になって帰ってくるなんて、あいつに対する最低最悪の裏切りだ。
せめて相討ちにでも。そんな考えすら浮かんできたときだった。
――諦めるな! 俺がついてる――!
愛しい男の声が頭に響き、大議事堂の床を通して、これまでよりもずっと強い魔力が流れ込んできた。




