第415話 死闘は未だ終わらず
――意識を取り戻した瞬間、サクラは全身を襲う激痛に悲鳴を上げそうになった。
痛いという感覚だけがハッキリとしていて、具体的にどこがどのように傷ついているのかは皆目検討もつかない。
かなり出血している気もするが、どの程度の血が流れてしまったのかも分からない。
ただ一つ明確だったのは、燃え盛る大議事堂の床にうつ伏せで倒れているということだけだ。
「(確か……私、は……)」
酷く朦朧とした頭で、気を失う前の出来事を思い出す。
アルジャーノンと対峙している最中、突如として少女型の自動人形が現れて交戦状態になり――ああ、そうだ、死力を尽くして斬り結んだ末に遅れを取り、決定的な斬撃の直撃を許してしまったのだ。
敗北を喫しながらもとどめを刺されていないのは、幸運でもなければ敵の油断でもない。
あの斬撃は自分自身でも理解できるほどに致命的だった。
強力な自己再生系スキルがなければ確実に死ぬと断言できる傷であり、奴らが決着を確信したのも当然だと納得できる。
では何故、自分はこうして生き長らえているのか?
答えはすぐに理解できた。
「(床を伝わって流れ込んでくるこの魔力……ルーク殿の【修復】だ……大樹全体を癒やしているのか、私に注がれる魔力はほんの一部だが……それでも命を繋ぐには充分過ぎるな……)」
サクラは感覚の薄れた右手で刀の柄を握り、わずかに顔を動かして視線を上げた。
薄紅色の刀身は中程でへし折られ、まともな刀の形を成してはいなかったが、それでも喉笛を斬り裂くには足りている。
呼吸を整えながら機を窺うサクラの耳に、アルジャーノンの呆れとも焦りとも付かない響きの声が飛び込んできた。
「なんだこりゃ? おいおい、どういうことだ」
「アルジャーノン! 一体何があったの!」
「見りゃ分かるだろ。フラクシヌスのど真ん中をぶち抜いた穴がふさがり始めてんだよ」
「私が聞いているのは再生が始まった理由よ! いくらフラクシヌスといえど、これほどの余力が残っているはずがないでしょう!」
大議事堂の最奥の壁には焼け焦げた大穴が穿たれ、その前にはアルジャーノンと少女型の自動人形が、サクラに背を向け大穴を見上げる形で立ち尽くしている。
あんな大穴はさっきまで空いていなかったはずだ。
よもや気を失っている間に凶行を許してしまったのか。
上半身だけの火炎の巨人も健在だが、以前よりも少しばかり火勢が落ちているように思える。
どうやら二人とも、これがルークの【修復】スキルによるものだとは気付いていないらしい。
ブラン経由で情報を得られていない……ということは考えにくい。
恐らく情報が不十分で、これほど大規模な【修復】ができるとは思っていないのだろう。
「(一太刀を見舞える程度には回復してきたが……狙うべきはどちらだ? アルジャーノンの不可視の防御はまだ限界が見えない……正面戦闘になった場合の脅威度は少女の方が上……ならば!)」
サクラは冷静な思考を重ねながら、音を立てないよう慎重に身を起こし、刀を握っていない方の手で体を支えながら靴底でしっかりと床面を捉えた。
「……いいえ、原因の究明は後回しでいいわ。アルジャーノン、もう一度最大出力を叩き込みなさい」
「無茶言うなよ、ハダリー。さっき無理に火力を絞り出したせいで、ムスペルの出力はガッツリ低下中なんだぜ?」
「では、自爆させなさい。ムスペルのメダリオンにはまだ予備があるもの。フラクシヌスと相討ちなら安いものよ」
こちらに背中を向けたまま肩を竦めるアルジャーノン。
少女人形が踵を返そうとしたその瞬間、サクラは地を這うような姿勢から床を蹴って【縮地】を発動させた。
――肉薄、そして一閃。
半分に折れた刀は狙い過たずハダリーの首筋を捉え――そして砕けた。
「なっ……!」
「あら、元気になった? それじゃあもう一度、おやすみなさい」
ハダリーが舞踏のような優雅さで体を回転させ、視認できないほどに疾い蹴りをサクラの腹部に叩き込む。
サクラは凄まじい速度で後方へ吹き飛ばされ、受け身も取れずに背中から壁に激突した。
「……ごはっ!」
口から鮮血が迸る。
刃は間違いなく届いた。首の肉にあたる素材も斬り裂いた。
斬撃を防いだのは骨格だ。
先の戦闘で、男性型自動人形の腕に仕込まれたミスリル合金の刃物に斬撃を止められたように、ハダリーの首の芯にはとてつもなく硬い素材の『骨』が通っているのだ。
「ねぇ、アルジャーノン? さすがにもう我慢の限界だわ。殺してしまっても構わないわよね」
ハダリーは首筋に深く刻まれた切れ込みを神経質そうに触りながら、まるで人間味のない眼差しをサクラに向けた。
「沈黙は肯定と受け取るわ。恨むならシラヌイ・クロードの躾の悪さを恨みなさい」
サクラは短剣を弄ぶように回すハダリーを睨み返しながら、刀身の大部分を失った刀を手放して、同じ素材で作られた脇差に手をかけた。
壁から伝わってくる微かな【修復】の魔力が、辛うじて体を動かすだけの力を与えてくれている。
刀は後で【修復】してもらえばいい。
問題は、増援が来るまで戦闘を継続するか、それとも隙を見て【縮地】で逃走するかの判断だ。
「(一足で跳べる間合いは視界の範囲内……一回の発動では大議事堂の出口までが限度、そこからもう一度発動させる必要があるが……)」
確実に逃げ切れる予感は全くしなかった。
成功するかどうかは完全に賭け――それもかなり分の悪い選択だと直感が告げている。
「(迷っている暇はない! まかり間違って囚われの身にでもなれば、皆の足を引っ張ってしまうだけだ!)」
ハダリーがゆらりと身を動かし、走り出す予兆を見せる。
サクラは即座に床を蹴って【縮地】を発動させ、大議事堂の出入口まで空間を飛び越えて転移した。
視界が一瞬だけ途切れ、すぐさま出入口付近の光景に切り替わる。
立て続けに【縮地】を発動させようとしたその瞬間、視界が僅かに薄暗くなった。
「はい、残念」
――目と鼻の先に、こちらへ飛び掛かってくるハダリーの姿があった。
長く引き伸ばされたように感じる一瞬の狭間に、不気味な笑顔と両手の短剣のきらめきがありありと見て取れる。
読まれていた――走馬灯じみた加速をする思考の中で、サクラは己が賭けに負けたことを理解した。
恐らくハダリーは、数回ほど見せた【縮地】の効果とサクラの満身創痍ぶりから、次の一手は逃走であると読み切ったのだ。
今にも力尽きそうな足が床を蹴るよりも、ハダリーの短剣が首筋に迫る方がずっと速く――
「……ちいっ!」
――しかしそれよりも更に速く、別の短剣がハダリーの顔面に飛来した。
ハダリーはサクラへの攻撃を素早く取りやめ、眼球に迫っていた短剣……厳密には棒状の手裏剣を弾き落とす。
それとほぼ同時に、サクラの両脇を凄まじい速度で駆け抜けた何者かが、ほとんど同時にハダリーへ斬撃を繰り出した。
「いよっし! 間に合ったぁ!」
「見つけたぞ、アガート・ラム!」
二振りのミスリル合金製の剣を、左右の短剣で受け止めるハダリー。
だが二人がかりの力押しには抗いきれず、ミスリルの剣身が振り抜かれる勢いで後方に大きく飛び退いた。
「ガーネット! エゼル!」
サクラに名を呼ばれた二人の剣士は、油断なく剣を構えながら、肩越しに力強い顔を見せたのだった。




