第414話 それは陽動のみならず
「とりあえず、オレらも安全なとこまで逃げるぞ。このままじゃいつ落っこちてもおかしくねぇ」
脱力したノワールを軽々と担ぎ上げ、ガーネットはたった一回の跳躍で、足場が傾いていない場所まで移動した。
露天広間の出入口付近、破損と亀裂が及んでいない安全圏。
そこでは放心したブランが力なくへたり込み、逃走や抵抗を試みる気配すらなく俯き気味に押し黙っていた。
ブランのすぐ側では、エドワードともうひとりの男が、周囲の気配とブランの動向に油断なく注意を払っている。
褐色肌をしたこの男には全く見覚えがない。
他の騎士団はおろか冒険者の中でも見たことがない顔だ。
「こいつか? 追加で派遣された騎士のチャンドラーだ」
「よろしくな、魔法使いの嬢ちゃん。ああいや、歳は大して離れちゃいねぇか。しっかし、新しい団長は綺麗どころばっかり……」
「相手はしなくていいぞ。ややこしい事情があるんで、詳しい説明は後回しでいいな?」
ガーネットは謎の男についてごく簡潔に説明し、ノワールの返答を待たずに追及の矛先をブランへ振り向けた。
ノワールから見ても、今のガーネットは普段と空気が違う。
騎士らしく振る舞っているからというわけでもなく、もっと根本的で本質的な、決して譲れないものに直面しているかのような――そういう真剣さと本気さが伝わってくる。
もしも仲間ではなく敵として対面していたら、一瞥されただけで心臓が止まってしまったかもしれないくらいだ。
「さて、オレ達がお前を死なせなかった理由は分かるな。ノワールはどうだったか知らねぇが、オレ達は騎士として命令を受けて行動したんだぜ」
「……どうせ拒否権はないんでしょう。何を聞きたいの?」
「まずは攻撃の目的だ。お前達……アガート・ラムの狙いは何だ?」
膝を開いた不躾な格好でしゃがみ込んで、ガーネットは観念した様子のブランの顔を覗き込んでいる。
彼の本職は治安維持を任務とする銀翼の騎士。
こういった場合の尋問も慣れたものなのだろう。
「管理者フラクシヌスの暗殺。確かそう言っていたわ」
「じゃあ町を壊しまくってるのは何故だ。陽動にしては無秩序すぎる。ぶっ壊すのが目的としか思えねぇな」
「その通りよ。外にいる連中は町を壊すことそのものが目的……そんな怖い顔しないでよ。ちゃんと説明するから」
ブランはかつての軽い口調を僅かながら取り戻していたが、尋問には従順に応える意志を見せている。
地上の人間に捕らえられても、すぐさま命を奪われるわけではないと理解して、心の底から安堵しているのだろう――双子の姉であるノワールはそう感じ取った。
「アスロポリスを構成する浮島はね、樹人であるフラクシヌスが、自分の体を樹木に変えたうえで拡大に拡大を重ねた代物らしいの」
「……何だって?」
ガーネットのみならず、ブランを除くこの場の全員が驚きを抑えられなかった。
つまり管理者フラクシヌスは、肉体を失って大議事堂の壁に魂を宿らせていたのではなく、樹木化と巨大化を重ねた肉体の『核』とも呼べるモノがあそこにあっただけなのだ。
ノワールはあまりのスケールの大きさに目眩を覚えそうになったが、さすがにガーネットは平常心を保ち続け、ブランから更に情報を引き出そうとする。
「つまりオレ達は、ずっとフラクシヌスの体の上を駆けずり回ってたのか?」
「そういうことになるわね」
あくまでアルジャーノンが言っていたことだけれど、と前置きをしてから、ブランは詳細な説明を重ねた。
「この島は隅々までフラクシヌスそのもの。そこら中から生えている木も肉体の派生物。建物の中まで知覚できるわけではないけれど、破損した場所はフラクシヌスの魔力と再生力で復元できる……」
「裏を返せば、町を壊せば壊すほど、フラクシヌスの力を削ぎ落とせる……そうか、そういうことか!」
自動人形による町の破壊は、アスロポリスの戦力を分散させるための陽動だけではなかった。
大規模な破壊行為自体が、管理者フラクシヌスを暗殺するための布石となっていたのだ。
そう考えると、魔獣スコルによってこの階層が暗闇に閉ざされたのも、樹人であるフラクシヌスを弱らせることに繋がっていたのかもしれない。
偶然にも都合よくそうなった……あるいは、魔獣スコルの出現すらも彼らの――
「こうしちゃいられねぇ! 管理者が本当の狙いってことは、大議事堂が本命だな! チャンドラー、こいつらを頼む! オレは大議事堂に……」
「無駄よ、もう手遅れに決まってるわ。さっきの爆発も、きっと決着が付いた瞬間だったんでしょうね」
ガーネットが勢いよく立ち上がろうとしたところで、ブランは諦観の込もった笑い声を漏らした。
決してガーネットを嘲笑っているのではなく、もはや笑うしかないほどの絶望を知っているのだという思いの表れのようだった。
「姉さん……私を置いていった人形を覚えているでしょう? アレはハダリーといって、自動人形達……アガート・ラムの幹部の一体だと、アルジャーノンが言っていたわ。彼女が動いた以上、今から向かったところで……」
「へぇ! そいつは都合がいい!」
アガート・ラムの幹部。その一言を聞いた瞬間、ガーネットは歯を剥いた獰猛な笑みを浮かべた。
敵意、悪意、害意――憎悪と怒りに付随するあらゆる意志が混ざりあった感情の発露。
一切の事情を知らないブランは、ガーネットが見せた反応にただ戸惑うばかりだった。
「ど、どうして!? 無駄に命を懸ける意味なんか……!」
「オレにはあるんだよ。それに、もう手遅れだって? オレ達の大将が誰なのか、忘れたとは言わせねぇぞ」
――不意にガーネットの笑みの質が変わる。
否定的な感情が凝り固まった獰猛な笑みから、肯定的な感情に満たされた不敵な笑みへ。
次の瞬間、凄まじい魔力の流れが大樹全体を駆け巡る。
崩落しかけていた露天広間の半分が音を立てて動き、ひとりでに足場の傾きが元に戻って亀裂が塞がっていく。
更に、ノワールの爆風消火によって樹幹に生じた陥没すらも、見る間に痕跡を失って元通りの樹皮を取り戻していた。
「な……なによこれ! どうなってるの!」
「こ、これは、ルークの……【修復】スキル……!?」
「魔力結晶も大盤振る舞いの全力発動だ。連中の思い通りになんかさせてたまるかよ」
そしてガーネットはこの場の守りをチャンドラーに任せ、全力疾走で大樹の中へと駆け込んでいったのだった。




