第411話 団長なき共同戦線 後編
――サクラとエゼルが回廊を駆け抜け、ヒルドが大議事堂に向けて走っていたその頃。
大樹の外周から突き出したバルコニー状の露天広間において、大規模な消火活動が行われていた。
火元は露天の広間よりも更に上方の樹幹。
まるでそこだけ夜が訪れていないかのような火勢で燃え上がり、今にも大樹の広大な枝葉にまで燃え移らんとしている。
「なんて酷い……こんなになるまで気付かなかったのか……!」
消火活動の人員として呼び集められたエドワードは、露天広間の上方で燃え盛る炎を見上げ、苦々しく声を漏らした。
地表から放たれた流れ弾の熱線が着弾したようなのだが、内部からは見えにくい位置だったことが災いし、悟られぬうちに燃え広がっていたのである。
「とにかく消火を! これと……こいつだ!」
対応しきれるかは分からないが、できる限りのことをしなければならない。
左右の手でそれぞれ一巻ずつのスペル・スクロールを広げ、主流を突風で吹き上げさせて浴びせかける。
他の魔族達も各々の手段で火勢を抑え込もうとするが、凄まじい猛火の前には文字通りの焼け石に水であり、効果が出ている様子は全く見られなかった。
「くそっ……! そうだ、アレは使えないのか! 湖から水柱を出して浴びせる魔法だ!」
エドワードに呼びかけられた付近の魔族は、心底悔しそうに首を横に振った。
「無理だ、ここまでは届かない! 島の中心付近なうえにこの高さでは……!」
大議事堂を擁するこの大樹は島で最大の樹木であり、エディ達がいる露天広間はその中ほどよりも更に高い位置にある。
ほとんど全ての樹木を優に見下ろすほどの高さであり、水棲魔族の水柱が届かないのも当然の場所であった。
「……っ! じゃあ火災には何の対策もしてなかったのか!?」
「そんなはずあるか! 既にフラクシヌス様が動かれている! 湖水をフラクシヌス様の魔力で吸い上げ、火元の樹木に巡らせることで火災を鎮めることができる……! できるはずなんだ!」
「だったらどうして!」
やり取りが言い争いに近付きかけた矢先、屋内から黒く長い髪を靡かせた人間の女が飛び出してくる。
「ノワールさん!」
「はぁ、はぁ……な、何とか、間に合っ……た……」
息も絶え絶えで疲労困憊な体に鞭を打って、ノワールはエドワードの傍らまで駆け寄って猛火を見上げた。
「そ、その消火、機構は……機能、している……けど……し、島中で、火災が……起きて、いる、から……効果が、分散、するんだ……」
「……なんてことだ……」
エドワードの脳裏に『諦め』の二文字が浮かぶ。
水柱による消火は届かず、樹木の内側からの鎮火は火災規模に追いつかず、自分達の力はまるで足りていない。
「打つ手はないのか……いや、駄目だ! 姉さんから託された役目を果たせないだなんて、そんなことあってなるものか!」
何としてでも対応策を見つけ出そうと、エドワードは魔道具を収めた鞄を漁った。
そこに横合いからノワールの細い手が伸び、呪符の束を握り締める。
「なっ!?」
「……これだけ、あれば……!」
ノワールの手元を起点に突風じみた魔力の流れが巻き起こる。
ありったけの呪符が渦を巻いて宙を舞い、猛火の周囲を取り囲んだかと思うと、ノワールの手振りを合図として一斉に炎の中へ飛び込んでいく。
「爆ぜよ……!」
猛火の内側でそれ以上に凄まじい爆発が引き起こされ、爆風が露天広間の表層を薙ぎ払う。
エドワードも魔族達も吹き飛ばされないよう必死に耐える中、爆発を生じさせた本人であるノワールだけが転倒し、木製の床を受け身も取れずに転がった。
「うぐっ……」
「ノワールさん!」
驚き慌てるエドワードの視界の隅で、あれほどまでに激しく燃え盛っていた炎が、急速に熱と輝きを失っていく。
驚きと喜びに満ちた魔族達の歓声。
露天広間の直上で燃え盛っていた炎は跡形もなく、大樹の表面の焼け焦げた部分が根こそぎ吹き飛ばされて、浅く広い陥没が形成されていた。
「なっ……! ほ、本当に炎が消えて……そうか、爆発で生じる高速の気流で火を吹き飛ばしたのか!」
「……そ、それと……水や、冷気の、呪符も……発動を……元素魔法、の、使い手……なら……もっとうまく、できた……かも……」
ノワールは到着してすぐにこの方法を思いついたのか。
いや、もしかしたら最初から選択肢の一つとして、ずっと頭に入れ続けて消火にあたっていたのかもしれない。
右へ左へ休む暇もなく駆け回りながら、普通の手段では対応できない状況への対策を考えていたのだとしたら、即座に思いついたのとは別の意味で驚嘆すべきことだろう。
ノワールは上半身だけを起こして床にへたり込んだまま、片手で前髪を除けて周囲を見渡した。
「み、皆は……他の、場所に、行ってくれ……私は……少し、休む……疲れた……」
「分かりました。でも俺は残りますし、戦えそうな奴にも付き合ってもらいますよ。もしものことがあったら、姉さんにもルーク卿にも顔向けできませんから」
「そうか……ありが、とう……」
ここはただの火災現場ではなく、殺意と敵意を持って襲いかかってくる敵がいる戦場だ。
いくら腕利きの魔法使いであってたとしても、疲労困憊の女性を一人で残していくのは危険過ぎる。
かといって、大勢を引き止めてしまえば消火活動に差し障る。
結局、エドワードが声を掛けた獣人二名がこの場に残り、武器を手に周囲を警戒し続けることになった。
「(アスロポリス側の戦士二人にノワール……俺も魔道具で援護はできるから、人形一体程度なら何とか抗えるはずだ)」
自動人形の戦闘能力は、一対一なら勇者エゼルすらも優に凌ぐが、そこに同程度の実力の持ち主が加われば形勢逆転できるといった塩梅だ。
この獣人達は勇者エゼルに及ばない程度の強さだが、そこにノワールと自分が加われば、自動人形一体と対等以上にはなる――エドワードはこのように戦力を概算していた。
不意に冷たい夜風が吹き抜け、炎の熱気で火照った体を冷ましていく。
エドワードは体温の低下に震えを覚え、目を強く瞑って寒気に耐えた。
――その鼻腔を生々しい血の臭いが突き抜けた。
声もなく鮮血を撒き散らして倒れる獣人。
もう一人の戦士が叫びながら突き出した槍が、瞬く間に切り裂かれて複数の木片と化し、その勢いのままに全身を切り裂かれて血を吹き出す。
秒殺――文字通りの惨状を前に、エドワードは指一本動かすことができなかった。
「(……違う……明らかに動きが違う! 他の人形とは別物だ! こいつは特別な……!)」
勇者エゼルの戦いを間近で見続けてきたエドワードは、突如として現れた敵の戦力を的確に理解した。
速度。威力。正確性。
そのいずれもが、これまでに遭遇した自動人形と比べて別格だ。
直感的に思い浮かんだのは魔王狩りのダスティン。
よもやこれは、彼の領域にまで達しているのでは――
「――――っ!」
短剣を握る手が閃光の如く振るわれる。
エドワードの動体視力ではどこを狙っているのかも見きれない。
攻撃の狙いが自分の喉笛だと理解したのは、黒い帯のような影がギリギリのところで短剣と腕を絡め取り、頸動脈に迫る刃を辛うじて食い止めた後だった。
「させ……る、もの、か……っ!」
「あら。これは面白い偶然ね」
ノワールが緊迫に張り詰めた表情のまま目を丸くする。
エドワードには知り得ないことであったが、二人の獣人の戦士を一瞬のうちに倒し、エドワードの命すらも奪いかけた自動人形――それは人間の居住区でノワールが出会った少女の姿をしていた。
少女型の人形は目にも留まらぬ速さで腕を振るって拘束を解き、軽やかに後方へ跳躍して距離を取った。
「……お前、達……一体、何者、なんだ……!」
「聞かれて答える正直者に見える? それに、答えたところで死ねばおしまい。他の記憶と一緒に消えるだけ……」
それは遠回しな殺害宣言。
無駄な足掻きと知りつつも、エドワードは鞄に手を伸ばし、攻撃用の魔道具を取り出そうとした。
次の瞬間――凄まじい魔力の波動が全身を震わせ、わずかに遅れて爆発の振動と轟音が大樹全体を揺るがした。
エドワードとノワール、そして少女型の人形までもが突然の出来事に驚愕を露わにする。
しかし、真っ先に驚き以外の感情を露わにしたのは、襲撃者である少女型の人形であった。
「早すぎる! あまりにも! あいつは何をやっているの! この程度では全く足りて……っ!」
少女型の人形は突如として険しく顔をしかめ、更に大きく跳んで近接戦闘の間合いから遠ざかった。
「状況が変わったわ。ここは貴女に任せます。できるわね? しくじれば、地上に連れ戻されて重罪人として裁かれる……そんなのは嫌でしょう?」
誰もいない空間に甘い声で呼びかけてから、少女型の人形はとても追跡できない速度で大樹の表層を駆け下りていく。
垂直に近い樹幹を走って移動するという人間離れした行為に驚く暇もなく、誰もいないはずだった空間が蜃気楼のように揺らぎ、隠蔽魔法の効果が途切れて一人の女性が姿を現す。
それはノワールと瓜二つの容姿を持つ女性であった。
違いといえば髪が白く、肩口に届く程度の長さで、顔の左半分に深い傷跡があり――そして、左腕を失っている。
まさか、あれは……エドワードが確認の言葉を発するよりも早く、ノワールは悲痛な声を上げた。
「ブランッ!」
「ごめんなさい、姉さん……私は、私は……!」
明日12/10は書籍版第3巻の公式発売日です。
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