第404話 炎と氷と湖と船と
ノルズリが片手に引きずっていたものを前方へ放り投げる。
がしゃりと音を立てて落下したそれは、人間に偽装されていた高度な自動人形の残骸であった。
「……やはりお前達の『真なる敵』か」
「ほう、知っていたか。地上の人間の諜報能力も馬鹿にしたものではないな」
俺の言葉を受け、ノルズリは口の端を上げた。
アルジャーノンが囲んでいた連中が人間ではなかったと分かっても、さして大きな驚きはなかった。
人間と変わりなく振る舞っていた夜の切り裂き魔――自動人形を送り込んだのが真なる敵とやらで、その情報源がアルジャーノンであるならば、奴と自動人形の間に繋がりがあることは想像に難くない。
そして、魔将の目を盗んで魔王城の通過に成功したのがアルジャーノンだけだというなら、もはや結論は一つしかないだろう。
「貴様らも勘付いていたとおり、ここにいた自称人間共は奴らの成りすましだ。魔獣スコルの騒動やら何やらで、管理者の注意が逸れた隙に付け入ったのだろう」
「まさかもう全員片付けたわけじゃ……」
「いや、敷地内にいたのはこれだけだ。留守を守っていたのだろうが……ともかく、貴様ら以前にあの男以外の人間などいるはずがない。元からいた人間は滅んで久しいからな」
「……何だって?」
危うく聞き流しそうになるくらいの自然さで、ノルズリは耳を疑うようなことを口走った。
元からいた人間だって? どこにいたと?
……まさか『元素の方舟』に?
思いもせずに増えてしまった疑問と、最初から予定していた二つ目の質問――どちらを先に回収するべきかで思考が停止した直後、突如として俺の右目が激しく熱を帯び始めた。
「がっ……!」
「っ! ルークっ!?」
右眼球が弾けるように形を失い、青い炎にも似た魔力の塊へと姿を変える。
これは間違いなく『叡智の右眼』だ――けれど何故、勝手に発動してしまったのか。
しかし混乱に身を委ねることなど許されず、『右眼』が強烈な危険信号を脳髄に叩き込んでくる。
「伏せろ、ガーネット!」
ほとんど反射的に体が動く。
駆け寄ってきたガーネットを力の限り突き飛ばし、近くにいたポプルスと諸共に押し倒す。
次の瞬間、一条の光が地表と壁と建造物の表面をなぞり、その軌跡が凄まじい熱を撒き散らして爆発した。
先日の戦いで魔獣スコルが放った熱線、それによく似た超高密度の魔力の一閃。
着弾箇所を起点として、木造の壁と建造物が炎上し始める。
ガーネットは二、三秒だけ唖然として固まっていたが、すぐさま異常事態を悟って跳ねるように起き上がり、ミスリルの剣を抜き放った。
「……回避されたか。それにしても、さすがに対応が早い。引き返して正解だったな」
閃光が放たれた方向から男の声がする。
居住区から少しばかり離れた、大通り沿いの大樹の上方。
突き出した太い枝に一人の男が腰掛けて、人形的な関節が露わになった右腕を突き出している。
その手の平には孔のようなものが穿たれており、孔の周囲の空気がまるで陽炎のように揺らいでいることが、『右眼』を通して容易に見て取れた。
「下がってろ、ルーク! あいつはオレが!」
「阿呆が。下がるべきなのは貴様もだ」
ガーネットが駆け出そうとしたそのとき、周囲一帯を薄い氷が一瞬のうちに覆い尽くし、焼けた地表と燃え始めていた壁を瞬く間に冷却する。
氷を展開したのは、言うまでもなく氷のノルズリだ。
足元から這い上がる氷が全身を包み、氷の甲冑と大剣を形作っていく。
細部まで金属甲冑に似せた造形で加工されていくあたり、ノルズリという魔将の性格が窺えるかのようだ。
「んだとっ!? あいつの同類ならオレだって戦ったことが……」
「大方、潜入特化の軽装仕様だろう? あれは制式仕様だ。長期潜入仕様とは直接戦闘能力の桁が違う」
兜部分が形成されて顔が隠れる寸前に、ノルズリは嘲笑うかのような視線をガーネットに送った。
「それに、白狼の森のルークの【修復】能力がなければ、貴様もどうせ無残な肉片と化していただろうに」
「なっ……! んなこと何で……!」
「客観的な性能比較の結果だ。違うというなら証明してみせろ。都合よくもう一つ隠れているぞ?」
返答も待たずに疾走するノルズリ。
奴の進行方向上に氷塊が生成されていき、氷の橋を地表から斜めに生み出しながら、樹上の自動人形めがけて駆け抜けていく。
自動人形が冷徹に迎撃の熱線を放ち、ノルズリの氷盾が正面から光芒を受け止める。
圧倒的熱量に溶かされ突破される寸前、予定通りだと言わんばかりの鮮やかさで、ノルズリは高く跳躍して貫通した熱線を回避する。
すかさず自動人形はもう一方の手を上方に振り向け、跳躍の最高点に達したノルズリに熱線を繰り出した。
ノルズリはそれすら先読みしていたかのように、空中で足元に生成した氷塊を蹴って軌道を変え、熱線を回避すると共に自動人形がいる太い枝に着地した。
ハイレベルな読み合いを経て樹上の白兵戦に移行するノルズリと自動人形。
しかし、それに意識を奪われてばかりいるわけにはいかない。
俺の『右眼』が、ノルズリの言っていたもう一つの接近を捉えていたのだから。
「上だ! ガーネット!」
音もなく降下して二振りの短剣を振るう小柄な影。
ガーネットが翳したミスリルの剣がその刃を受け止め、直後に繰り出された斜め上方への回し蹴りが小柄な影を吹き飛ばす。
だがそれも大したダメージにはなっておらず、小柄な刺客は蹴りの勢いを巧みに受け流し、地表で軽業じみた後方回転を何度か繰り返して停止した。
「あはっ! ほんとだほんとだ! 『叡智の右眼』だ!」
小柄な少女の形をした人形は、目を見開いて理性の存在を疑わざるを得ない笑顔を浮かべ、順手に握っていた二振りの短剣を回転させて逆手に持ち替えた。
夜の切り裂き魔も軽業師の少女に成りすましていたが、その身体性能はガーネットを始めとする銀翼の騎士を大きく上回っていた。
眼前にいるあの人形も、それと同等の性能を持つと考えるべきだろう。
「死にたくないなら『右眼』は置いていってよ。周りの骨ごと抉って持ってかえるからさぁ!」
夜を目前に控えたアスロポリスの各所で、眩い閃光と黒い煙が立ち上る。
こいつらと同じ自動人形がそこら中で破壊工作に及んでいるのか。
居住区にいた人形が一体だけだという証言が正しいなら、それ以外の全てが破壊に回されていてもおかしくはない。
前に説明された水棲魔族による消火システムが発動し、島周辺の湖から水柱が高く打ち上がり、膨大な水量が居住区内で燃え盛る建物に降り注ぐ。
「させると思うか、人間モドキが!」
「モドキはどっちだぁ!」
開かれた間合いを詰めるべく駆け出そうとする二人の少女。
直後、俺は『右眼』に飛び込んできた情報に驚愕し、思わず大声で騒いでいた!
「止まれ! 動くな!」
びくりと動きを止めるガーネット。
地表に黒い影が浮かび、瞬く間に大きさを増していく。
それは消火のための巨大な水柱が運んだ異物。
あるいは、水柱の水流を利用して乗り込んできた闖入者。
「へぁ?」
少女型の人形が察したときにはもう遅い。
高く弧を描いた水流に乗って宙を舞った帆のない船が、ガーネットの眼前で少女型の人形を敷き潰した。
「げはあっ!?」
「はあっ!?」
あまりのことに絶句するガーネット。
船は着地の勢いのままに地表を深く削って滑り続け、側面から樹木にぶつかって停止する。
そして船体が魔力に還元されて消失し、乗り込んでいた人間が飛び降り、もしくは転がり落ちてくる。
真っ先に落っこちてきたのは、俺にとってある意味で最も身近な存在――
「マーク! な、何なんだこれは! どうしてお前が!?」




