第403話 綻び始める欺瞞
「何を聞きたいのか言ってみろ。内容次第では答えてやらんこともない」
ノルズリがこちらの用件に食いついたのを確かめてから、二つある質問のうち一つ目を――厳密にはその前振りとなる確認事項を投げかける。
「お前達を出し抜いてこの階層に逃れた男……アルジャーノン評議員が人間の居住区を作ったことは知ってるな?」
「話に聞いているが、詳しくは知らん」
詳しくは知らない――曖昧な反応を怪訝に思ったのが伝わったのか、ノルズリは問い直すまでもなく詳細に言い直した。
「我々はアスロポリスの住民からも少なくない反感を買っている。第一階層へ進軍する際に、この町に定住していたダークエルフを根こそぎ徴兵した故な」
「管理者フラクシヌスは中立政策を貫いてお前達を受け入れたけど、住民が心から納得しているわけじゃない……ということか」
「とりわけ、我々から逃げおおせたごく少数の同族は、恨み骨髄に徹するという有様だな」
ノルズリは己を顧みた自嘲とも、反発する住民達に対する嘲笑とも取れる笑みを口元に浮かべた。
言われてみれば、何度かアスロポリスの町中でダークエルフを見かけることがあったが、あれは逃げ込んできた魔王軍の負傷兵ではなく、遠い昔に魔王軍の手を逃れた人物だったのかもしれない。
もっとも、俺達にはどちらだったのかを判別する手段はないのだが。
「故に最新の情勢はなかなか我らの耳には届かんのだ。恨まれ憎まれている輩と情報を共有しようという物好きなど、お前達のように取引として持ちかけてくる奴くらいのものだろう」
「なるほどね……親切にしたいと思われるような立場じゃないか」
アスロポリスの視点に立てば、魔王軍はある日突然第三階層から上がってきて、大勢の住民を連れ去ったうえ、最近になってボロボロに敗走して逃げ込んできた連中だ。
しかも魔族には人間離れした寿命を持つ者も多く、当時の住民が今も大勢生きていてもおかしくはない。
町の中立政策を堅持するなら受け入れざるを得ないが、他の種族に関する最新情報を与えてやりたいと思わないのは、至って当然の反応と言えるだろう。
「無論、我らとて情報収集に努めてはいるが……居住区で露骨な『餌』を飼っていたのは笑い草だったな。我らがアレの奪還なり排除なりを試みれば、大手を振って武力を行使できるとでも考えたか」
ノルズリが愉快そうに語る『餌』とは、恐らくブランのことだろう。
身の安全のため魔王軍に寝返り、魔王城陥落の際に不慮の出来事で姿を消してしまったブラン――アルジャーノンが彼女を匿っていることを、ノルズリは魔王軍に対する罠だと考えているのだ。
いくらブランとはいえ人間を『餌』呼ばわりすることへの不快感を抑えながら、俺はようやく一つ目の本命の質問を口にした。
「それじゃあ、居住区の人間がどこから来たのかは知っているか?」
「知らん。不可思議かつ不可解ではあるがな」
「……アルジャーノンは、自分と一緒に魔王城を抜けてきた連中だと言っていたぞ」
「何だと……?」
突如、ノルズリの顔に鋭い殺意が浮かぶ。
俺達を足止めすると同時に向けてきた殺気とは比べ物にならない、心の底からの苛立ちと不愉快さが込もった気迫だ。
その反応を見て、俺は『やはりそうか』と納得を懐きながら、間を置かず更に踏み込んでいく。
「居住区の人間を引き連れて魔王城を突破した。アルジャーノンはそう説明していた。違うのか?」
「ふざけるな! 我らがあれほどの人数を食い止められず取り逃がしたと言いたいのか!」
激憤も露わに吼えるノルズリ。
一つ嘘を吐き、一つ隠し事をすれば、二つや三つでは済まないほどの綻びが生まれてくるものだ。
今、アルジャーノンが吐いた嘘の綻びを皮切りに、欺瞞という名の織物が散り散りに解かれようとしている。
「奴は東方の剣士と二人だけで現れた! そして片割れを犠牲に我らの目を盗み、たった一人で下層へと逃れたのだ! 取り巻きを連れていただと? 馬鹿馬鹿しいにも程が――」
怒声を撒き散らしていたノルズリが突如として押し黙る。
そして褐色の顔から苛烈な表情が薄れていき、目を剥きながら冷静さを取り戻した声色でぽつりと呟く。
「――そうか、そういうことか」
ノルズリは俺達に向けていた視線をどこか遠くへと動かした。
もはや俺達に一片の関心も抱いていないかのように、怒りと殺意を込めた眼差しを、ここからは見えない何者かへと振り向けている。
「話はここまでだ。やらねばならぬことができた」
「……っ! 待て、ノルズリ!」
俺が叫ぶが早いか、ノルズリは目にも留まらぬ速度で氷の壁の上から跳躍し、住居と一体化した木々の枝を蹴って姿を消してしまった。
「まだ聞きたいことがあるってのに……! 追いかけるぞ、ガーネット!」
「おうっ!」
必要最小限のやり取りだけで意志を疎通し、俺とガーネットはノルズリが向かっていったであろう場所めがけて走り出した。
姿はもう見えないが、奴の目的地はおおよそ見当がついている。
ガーネットも俺と同じ考えに至っていて、どこへ行くべきか改めて確認する必要はなかった。
しかし申し訳ないことに、こちらの都合で巻き込んでしまったポプルスは、何も理解できていない様子で必死に俺達の後を追って走ることしかできずにいた。
「ど、どこに、いかれるのですか」
ポプルスは走ること自体に慣れていないらしく、不器用な動きで足を動かしながらも、だんだんと引き離されそうになっている。
「人間の居住区だ! まさかここまで即決即断されるとは……! ガーネット! ポプルスを頼む!」
「了解っ! こいつがいねぇと後で言い訳が面倒だからな!」
ガーネットは速度を調節してポプルスに並走するや否や、その小さな体をひょいと肩に担ぎ上げ、再び加速して俺よりも速く走り始めた。
スキルで肉体を強化しているとはいえ、身体能力の差をこうも改めて見せつけられると、逆に否定的な気持ちが全く湧き上がってこない。
むしろ頼もしさすら感じてしまう――というのは、さすがに個人的な贔屓が入った感想だろうか。
やがて視界の先に、木材の壁で囲まれた居住区が見えてくる。
もう少しで到着すると思った瞬間、その壁が内側から打ち破られ、無数の破片が勢いよく宙を舞った。
「なっ……!」
ポプルスを担いだまま急停止するガーネット。
俺も少し遅れて足を止め、目を細めて粉塵の向こうの光景を確かめようとする。
舞い上がった土埃と壁の破片の奥から現れたのは、想像通り魔将ノルズリであった。
ガーネットはノルズリから視線を外すことなくポプルスを降ろし、自分の後ろに隠れさせた。
「……おいおい、ノルズリさんよぉ。先制攻撃なんざ仕掛けちまって大丈夫なのか? 戦闘禁止のルールを全力で破っちまったぜ?」
「後で条文をよく読み直せ。あれは正式な住民と滞在者に対する武力行使を禁ずる項目だ。正体を偽り潜伏していた物を排除することは咎められん。例えばこいつのようにな」
ノルズリが片手に引きずっていたものを前方へ放り投げる。
がしゃりと音を立てて落下したそれは、人間に偽装されていた高度な自動人形の残骸であった。




