第401話 銀の腕、アガート・ラム
アガート・ラム――その名がドワーフの親方の口に上った瞬間、ガーネットは俺が制止する暇もなく、胸ぐらを掴まんばかりの勢いで親方に詰め寄った。
「おいお前! 今、何つった!」
「なっ、何だいきなり!」
「確かに言ったよな! アガート・ラムだって!」
ガーネットのあまりの剣幕に、ドワーフの親方は押され気味に後ずさりながらも、最低限の意地を張ったまま睨み返す。
俺はすぐさま二人の間に割って入り、歯を剥いて熱り立つガーネットを腕で押して下がらせる。
わずかに触れた腕から、ガーネットの体の震えが伝わってきた。
体が引き裂かれんばかりの怒りに震え、今すぐにでも目の前のドワーフを組み敷いて吐かせたいという衝動を必死に堪えて、手の平に爪が食い込むほどに強く拳を握っている。
きつく食い縛った歯の間から漏れる息の音は、まるで外敵を前にした獣のそれのようだった。
「申し訳ありません。詳細は伏せさせてもらいますが、地上にもアガート・ラムを名乗る組織が存在し、彼の肉親もその犠牲になってしまったのです」
いつかアガート・ラムの手がかりを掴んだとき、ガーネットが冷静でいられないであろうことは最初から分かっていた。
幼い彼女の目の前で、母親の命を奪った怨敵なのだから。
そのときは俺が代わりに落ち着いて対応しなければならないと思っていたし、それはガーネット自身も理解できているはずだ。
「地上でも? なんてこった……」
「……何があったのか教えて頂けますか」
親方の声に同情と憐憫の色が混ざったのを聞き逃さず、俺は事情を話してくれるように促した。
「期待させたなら悪いが、俺も名前しか知らんのだ。昔、この階層で珍しくミスリルが見つかったことがあってな。俺の息子が若い衆を引き連れて取りに行ったのさ」
ドワーフの親方は深いシワの寄った顔に哀愁を浮かべた。
「結論から言うとだ……全員、殺された。見つかったはずのミスリルも行方知れず。その中で一人だけ、連れ帰るまでは息があった奴がいたんだが……誰にやられたんだと尋ねたら、アガート・ラム、とだけ答えたんだそうだ」
俺は何も言えずに親方の話に耳を傾けた。
とてもじゃないが、途中で口を挟める空気ではない。
「管理者から聞いた話じゃ、どこぞの魔族の言葉で『銀の腕』とかいう意味らしい。この階層にいる魔族の言葉ではなく、個人の名前なのか集団の呼び名なのかも分からん。そこの小僧の仇かどうかなんざ、とてもとても……」
「いえ、ありがとうございました。それと、辛いことを聞いてしまってすみません」
「気にしなくていい。お互い様だ」
ドワーフの親方の証言は確定情報とは程遠いものだった。
では大した意味はなかったのか? ――答えは否だ。
その証拠に、ガーネットは残念がるどころか更に強く憤りを溜め込んでいる。
アガート・ラムがこの階層で何らかの活動をしていた可能性があるというだけで、ガーネットにとってはこれまで尻尾を掴めなかった怨敵の貴重な手がかりになりうるのだ。
「……だが、しかしなぁ」
親方は俺に抑えられたガーネットと、心配そうな視線を送っているエゼル、そして空気の激変に戸惑うエディを順番に見やった。
そして豊かな髭に手をやりながら、イーヴァルティの宝剣をエゼルに突き返す。
「この様子じゃ、落ち着いて工房の見学なんざできんだろう。日を改めたらどうだ?」
「申し訳ないですが、そうさせてください。知ってしまったからには動かずにはいられませんから」
「まぁ、頑張れよ。もしもアガート・ラムとやらに喧嘩を売れそうなら、その剣でぶった切ってやってくれ。俺はそれだけで満足さ」
ドワーフの親方はそれだけ告げて踵を返し、工房の中へ戻っていった。
予想外にも得てしまった、未踏破ダンジョン『元素の方舟』第二階層におけるアガート・ラムの活動の痕跡。
その更なる情報を得られるであろう場所といえば、やはり管理者フラクシヌスがいるところだろう。
俺達は誰からともなく――約束の日没までまだ時間があるにもかかわらず――サクラやノワールとの合流予定地点まで引き返すことにしたのだった。
――ルーク・ホワイトウルフの一行がドワーフの居住区を離れ、サクラとノワールが人間の居住区を後にしてから、しばしの時が過ぎた頃。
人間の居住区内の応接室において、評議員であるはずのアルジャーノンに対し高圧的な言葉を向ける者がいた。
「アルジャーノン。あれは一体何のつもり? 外壁の内側には誰も入れるなと命じたはずでしょう」
「前にも言っただろ? シラヌイ・クロードにゃ到底返しきれねぇ恩があるってよ。その娘を無碍にしたとあっちゃあ、お迎えが来た後でシラヌイに顔向けできねぇよ」
普段と変わらぬ態度で肩を竦めるアルジャーノン。
その動作を不快そうに睨むもう一人――それは彼を『アルジャーノン様』と呼び、サクラとノワールと追い返そうとした少女であった。
「恩? まったく、下らないことを……状況が分かっていないのかしら。あなたが主導した仕込みは、どれもこれも不十分な結果に終わりそうなんでしょう? それなのに不確定要素を自分から招き入れるなんて」
「しょうがねぇだろ? ガンダルフの軍勢が人間ごときに負けて逃げ帰ってくるなんざ、お前も想定してなかったじゃねぇか。人間の追手がここまで来たのも含めてな」
「……否定はしないわ」
少女はその幼い容貌とは不釣り合いな仕草で髪をなびかせ、応接室のテーブルに――椅子ではなく不躾にも天板に腰を降ろして、肌を覆い隠す白いタイツに包まれた脚を組んだ。
「けれど太陽は取り戻されてしまったし、魔将達もこちらの『餌』に食いつく様子はなし。可哀想なあの子に気付いて攻撃でも仕掛けてくれたら、こちらの本命のちょうどいい隠れ蓑になったのに」
「そっちの方は反対しただろ。町に残ったのは氷使いと炎使いの魔将だから、風使いと違って見え透いた罠には引っかからねぇって」
「ええ。だからこちらについては貴方の責を問いません」
冷たい眼差しでアルジャーノンを一瞥してから、少女は冷徹に言い放った。
「ですが、このままでは全て破綻するでしょう。アルジャーノン。この私の権限で命じます。作戦準備は現時点をもって中断、日没と共に作戦を第二段階に進めなさい」
「時期尚早だ! しかもAランクが二人も居座ってる状況なんだぜ!」
「作戦目的の全達成は諦めます。最優先目標の達成に全力を注ぎなさい。それならば現状でも充分でしょう」
「……ちっ」
露骨な舌打ちをしながらも、アルジャーノンはそれ以上の拒絶と反論を口にしなかった。
この一連のやり取りに、両者の本当の力関係が表れていることは、もはや誰の目にも明らかであった。
アルジャーノンが無言で退室しようとしたところで、小動物のように震えたブランが、空っぽの左袖を抱きながら応接室におずおずと入ってきた。
「もう、ノワールはいないの……?」
「……ええ、貴女を探していた地上の人間はもういないわ。こちらにいらっしゃい、ブラン」
猫を撫でてあやすような声で、少女はブランを呼び寄せて、大きなテーブルに腰掛けた自分の前にしゃがませた。
そして少女はブランにフードを外させると、顔の左半分に刻まれた痛々しい痕跡を、薄手の手袋に包まれた手で優しく撫で始めた。
「可哀想なブラン。人間に追われ、ダークエルフに追われ、あなたの居場所はどこにもない。彼らはどちらも裏切り者を許さないでしょうね。簡単に殺してくれるかどうかも怪しいと思うわ」
アルジャーノンは甘く優しくブランに囁きかける少女を侮蔑的に睨み、そして何も言わずに応接室を後にした。
「だけど安心してちょうだい。何度も言っているけれど、私達は貴女を受け入れてあげる。この作戦が終わったら、創造主様にお願いして綺麗な銀の腕も作ってあげるわ。本物の腕と変わりなく動く銀の腕を。だから……もう少しだけ力を貸してね?」




