第4話 森と少女とドラゴンと
――そこは太陽の光で満たされた森の中だった。
「は……ははは……やった! やったぞ!」
土の匂い。
木の匂い。
発光苔からは感じられない、太陽の光の暖かさ。
全てが俺の荒んだ心を癒やしていく。
俺が登ってきた階段の出口は、大樹の根本に空いた穴だった。
勇者パーティとダンジョンに潜ったときの入り口とは違う場所だが、そんなことはどうでもいい。
迷宮から脱出できたことに変わりはないのだから。
喜びで気が緩んだせいか、忘れていた空腹感が一気に襲いかかってくる。
「うぐっ、何か食わないと死にそうだ……森なんだから木の実や果物くらい……あった!」
手頃な木から熟した果実をもぎ取って口に運ぶ。
思いっきりかじろうとしたその瞬間、頭の中に強烈な危険信号が響き渡った。
「……っ! 駄目だ、中身が腐ってる! ……でも、どうしてそんなこと分かったんだ……?」
見るからに美味しそうな果物なのに、食べたいという気がすっかり失せてしまった。
有害だと判断できた理由が自分でも理解できない。それがとにかく不気味だ。
疑問の答えが出るより先に、甲高い声が辺りに響き渡った。
「きゃあああああああっ!」
半月ぶりに聞いた人間の声は、絹を裂くような少女の悲鳴だった。
「……!? 誰かいるのか!」
俺は反射的に悲鳴が聞こえた方へ走り出した。
悲鳴の主を助けようと思ったのか、それとも自分が助けを求めようと思ったのか、自分でも正直よく分からない。
「(くそっ! 逃げた方がよかったんじゃないか?)」
そんな考えも浮かんだが、すぐに頭から追い出した。
ダンジョンから脱出することはできたものの、ここから人里へのルートは全く分からない。
迷宮ではなく外の森林で遭難死するなんて、最低最悪の笑い話だ。
だから、人里の場所を知っている他の人間と合流するのがベストなのである。
「いた! あそこか……!」
森の中の開けた場所に二人組の少女がいた。
一人は安っぽいローブをまとった小柄な子だ。
冒険者らしさは感じられず、町娘が迷い込んでしまったような印象を受けた。
もう一人は見慣れないデザインの軽装鎧を着た、黒髪の少女だ。
長い髪を後ろで一つに結っていて、スカートのようにも見える赤い裾広がりのズボンを履いてる。
確かあれは、東方の袴とかいう衣服だったか。
改めてよく見ると軽装鎧の装甲板も東方風だ。
「逃げろ、シルヴィア!」
「で、でもサクラを置いていくなんて……!」
サクラと呼ばれた黒髪の少女は、シルヴィアという少女をかばいながら目の前の敵を威圧している。
その敵とは、あらゆる冒険者にとって特別視される有翼の怪物――
「(嘘だろ! ダンジョンの外にドラゴンだって!?)」
声を上げて叫ばなかった自分を褒めてやりたいくらいだった。
俺なら一瞬で食い殺されてしまう怪物だ。
見つかったら逃げることすら不可能だろう。
しかも、前足が翼になった亜種のワイバーンではない。
四肢と翼が揃った正真正銘のドラゴンである。
予想外の展開に驚きながら、再びサクラの方に目をやる。
彼女はシルヴィアと対照的に戦意むき出しだったが、何か様子がおかしい。
「(……って! ああああああっ! 何やってんだアイツ! めちゃくちゃ大怪我してるじゃないか!)」
サクラは脇腹から大量の血液をだくだくと流していた。
しかも手に持っている片刃の剣が真ん中でへし折れている。
そうか。さっきの悲鳴は、サクラが負傷したときにシルヴィアが上げた悲鳴だったのか。
「シルヴィア! 貴女だけは生きて帰るべきだ! 早く逃げろ!」
「サクラ……ごめんなさい!」
泣きじゃくったシルヴィアがこちらに走ってくる。
俺はそれとすれ違うように、サクラの方へと駆け出した。
「えっ……!?」
「うおおおおおっ!」
弱り果てた体の全力を絞り出して、発光苔と【合成】したナイフをドラゴンに投げつける。
ナイフは空中でくるくると回転し、ドラゴンの額にこつんと弾かれて、森のどこかへ飛んでいった。
ダメージは完全にゼロ。だが、これでいい。
ドラゴンは額に当たった光る『何か』に気を取られ、サクラから視線を逸らした。
その隙に長剣の方をサクラの側に放り投げる。
本当なら格好良く地面に突き刺さって欲しかったが、勢いが足りずに地面を転がった。
「聞こえるか、そこのサムライ! そいつを使え!」
「……っ! かたじけない!」
光るナイフへの興味を失ったドラゴンが、改めてサクラを食い殺そうと牙を向ける。
サクラはそれよりも更に速く剣を拾い上げ、神速の剣技でドラゴンの足と喉を斬り裂いた。
ドラゴンは頭を地面に突っ込むように崩れ落ち、そのままピクリとも動かなくなった。
まさしく一瞬の出来事。
きっと、ドラゴンは自分が殺されたことにすら気付かなかったに違いない。
「やった!」
思わず喜びの声を上げてしまう。
想像以上の切れ味だった。
まさかドラゴンに真っ向から致命傷を与えることができるなんて。
「はぁ、はぁ……貴殿の助力に、感謝、する。おかげで……助か……」
サクラは俺とシルヴィアの方へ歩み寄ろうとしたが、途中で力尽きたように倒れ込んだ。
「ああっ! サクラ!」
「おい、大丈夫か?」
シルヴィアと一緒に駆けつけて、サクラの脇腹の傷を確かめる。
「まずいぞ。こいつは致命傷かもしれない……!」
十五年の冒険者としてのキャリアの中で、重傷を負ってきた奴を何度も見てきた。
その経験が告げている。
サクラの傷は『スキル』による治療がなければ死に至ると。
「お前達、治療系のスキルは持ってないのか」
シルヴィアは泣きながら首を横に振った。
この様子だとポーションなども使い果たしてしまったのだろう。
「あ、あなたは……あなたは何か……」
「悪いが俺も無理だ。使えるスキルは【修復】だけで、人間には効果が――」
ちょっと待て、本当に無理なのか? 妙に冴えた頭で自問する。
【修復】スキルは生物の損傷を治すことができない。
それは誰もが知っている常識だ。
しかし、本当にそうだろうか。
今の俺なら、目の前で死にかけている少女を助けることができるんじゃないだろうか――
これは根拠のない自信なんかじゃない。
可能性がゼロではないと言える理由が確かに存在しているのだ。
「試してみる価値は……あるよな……!」