第399話 居住区の中の対面
サクラとノワールは少しばかり迷った末に、あえてアルジャーノンの誘いに乗ることにした。
ああも拒否し続けていた居住区への立ち入りを、不知火蔵人の娘との遭遇という想定外の事態が起きたことで曲げたのだから、誘い込んで罠に嵌める準備ができているとは考えにくい。
それに、曲がりなりにも評議員という公の地位があり、なおかつ自分達がここに来ていることは管理者サイドにも伝わっているのだから、過剰に警戒する必要はないだろうという期待もあった。
「若い嬢ちゃん達を誘っといて茶菓子もろくに出せそうにねぇのは心苦しいが、最低限の義理を果たすだけだと思って付き合ってくれや」
アルジャーノンの先導で応接室へ向かう間に、サクラは壁の内側の様子をさり気なく観察する。
アスロポリスで一般的な樹木の住居だけではなく、外壁と同様に木材で作られた小振りの倉庫らしき建物も並んでいる。
また、荷物の搬入作業に従事する男達が、こちらに警戒の眼差しを向けてくるのも視界に入った。
決して温暖とは言えない第二階層の気候に合わせたのか、誰も彼もが肌を露出させない服を着ていて、なおかつ厚手の作業用手袋まで着用している。
そのせいで、魔族の変装ではなく本当に人間なのかという確証までは得られないが、少なくとも顔立ちは人間のそれとしか思えない。
更に建物の中に入ってからも観察を続けたが、廊下を歩いている間に他の誰かとすれ違うことはなく、ましてやブランが姿を見せる気配もなかった。
「出来合いなうえにモドキで悪ぃな」
応接室に到着してすぐに、アルジャーノンはポットに用意されていたハーブティを三つのコップに注ぎ、サクラとノワールに一つずつ取るように促した。
二人がコップを選んだ後で、毒など入っていないと示すかのように、アルジャーノンが残り一つの中身を一気に飲み干す。
「……少し、待って、くれ……」
今度はノワールがテーブルに置いたコップの周囲数ヶ所を指でトントンと叩き、簡易の魔法陣のような魔力の流れを作ってみせた。
「大丈夫……怪しくは、ない……」
「ノワール殿がそう仰るのでしたら」
念入りな確認を済ませてから、サクラもコップに口をつける。
アルジャーノンが二人の警戒ぶりに苦笑しながら、テーブルを挟んだ向かいの椅子に腰を下ろす。
サクラはそこですかさず、自分から話題を切り出した。
この男に会話のペースを握らせると、聞きたいことを聞けないまま適当にあしらわれてしまう気がしたのだ。
「キングスウェル公爵邸に残された父の日記を拝見しました。それによると、貴方は父の暴走した神降ろしを制御することができたそうですね。一体どのような手段を用いたのですか?」
「日記ぃ? ……ああ、そういや『どこかでなくしたから後で探さなければ』とか言ってたな。俺の実家に置き忘れてたのか。てことは、最後のダンジョン突入前の……」
「教えて頂けますか?」
脱線を許さず改めて問いかける。
アルジャーノンは悩んだ顔を見せ、しばし考え込んでから再び口を開いた。
「すまん、俺のスキルの応用だっていう以上のことは言えねぇ。こればっかりは機密事項って奴だ。俺の活動の根幹にも関わってくるんでな。シラヌイ本人にも具体的な仕組みは教えなかったくらいだ」
「……そうですか、分かりました」
サクラはこれ以上の追及を切り上げることにした。
問い詰めたところで成果は得られそうになく、アルジャーノン自身のスキルの応用であるという発言を引き出せただけでも収穫とすべきだろう。
すると今度は、ノワールがすかさず次の質問を投げかける。
「……ブラン、は……ずっと、あんな、感じ……なのか……?」
「いや、最初の頃はあそこまで……あー、何だ、追い詰められちゃいなかったな。精神的には随分と弱っていたみてぇだが。あいつが悪化したのは魔王軍が現れてからだぜ」
「魔王軍……やっぱり……」
「以降はここから出ようとしないか、俺が町の外まで行くのについて来て町から離れようとするかのどちらかだな。それまでは、俺の手伝いってことで評議会にも顔を出したりしてたんだが」
召喚魔法の暴走で虚空に消えたブランがアスロポリスに流れ着いてから、敗走した魔王軍が到着するまでの間に、いくらかのタイムラグがあったのだろう。
その期間はブランの精神もまだ落ち着いていて、他の評議員からもアルジャーノンが従えた人間として認知される程度にはなっていたが、魔王軍の出現で完全に状況が変わってしまったのだ。
「見たところ、嬢ちゃんはブランの姉妹か何かなんだろ? 引き合わせてやりてぇのは山々だが、肝心の本人があんな状況じゃあな……」
「アルジャーノン様っ!」
突如、応接室に怒声が響いたかと思うと、つい先程遭遇した少女が怒りも露わに踏み込んできた。
「部外者を招き入れるとはどういうつもりですか!」
「やっべ! 悪ぃな嬢ちゃん達、今日のところはお開きだ!」
大慌てのアルジャーノンに追い払われる形で、サクラとノワールは挨拶もそこそこに居住区から飛び出すことになってしまった。
どうやらあの中では、アスロポリスにおいて人間を代表する評議員と、それに保護される人間達――という前評判からは想像できない人間関係が成立しているらしい。
サクラは急に走ったせいで息が上がったノワールを気遣いながら、偶然の訪問によって得られた手がかりを振り返ることにした。
「それにしても、妙に生活感の薄い建物でしたね。大規模なパーティ相応の人数が暮らしているにしては……単に几帳面な住人がいて、清掃と整理整頓を徹底しているだけかもしれませんが」
「はぁ、はぁ、はぁ……住民、は……言われる、ほど……多く、なかった、とか……?」
「管理者が最初に頭数を確認しないとは思えません。何人いるのかを把握したうえで居住区を割り当てたと考えるべきでしょう」
だから、管理者に申請した人数自体が虚偽である可能性はかなり低いと言える。
住民は確かに申請通りの数がいた。
しかし居住区は生活感が――人間が暮らしている空気が薄いように感じられる。
「それに私達が頂いた薬草茶。出来合いの作り置きだと言っていましたが、容器は二人か三人用の大きさが一つだけ。大勢が共同生活を送っているなら、もっと大量の作り置きがあっても自然です」
「……つまり、実は、別の場所に、住んでいる……?」
「かもしれません……が、それも空になった容器を随時片付けているだけで、作り置きを補充する前だったと言われればその通りでもあり……あああっ!」
サクラは黒髪をわしわしと掻き乱して天を仰いだ。
「私の頭ではいくら考えても堂々巡りです。怪しいと思えば怪しく見えて、怪しくないと思えば自然に見える……刀を振るっても解決しない問題はとにもかくにもややこしい……!」
「と、とり、あえず……皆の、ところに、戻ろう……色んな、意見も……聞ける、かも……」
「……そうですね。衆力功ありとも言います。ここで頭を抱えているよりずっといいでしょう」
本来はただ遠巻きに様子を見るだけのつもりだったが、想定外の収穫をいくつも得ることができた。
それらを報告するだけでも充分な貢献になると割り切って、サクラとノワールはひとまず帰路に着くことにしたのだった。




