第394話 ヴァレンタイン・アージェンティア
「お初にお目にかかります。ヴァレンタイン・アージェンティア様。銀翼騎士団を率いる一族の方がお越しになるとは、想像もしておりませんでした」
ヴァレンタイン・アージェンティア。
銀翼騎士団を率いるアージェンティア家の次兄。
本来の後継者であった長兄の死によって家を継ぐはずであった男だが、何らかの原因によって――重傷を負ったとも病に冒されたとも噂される――騎士団長の職務を担うことができなくなり、肉親にも素顔を見せることがなくなったという。
この人物についてソフィアが知っているのはこれだけだ。
恐らく、これ以上の情報を持つ人物は、親兄弟や王宮の中でもごく限られた存在くらいだろう。
「ん? ああ、そうだね。直接会うのは初めてだった。君が銀翼の部隊に派遣されていた頃の報告を聞いていたから、あまりそんな気がしなかったよ」
白覆面に礼服という異様な格好でありながら、ヴァレンタインは身振りを交えた妙な人間味のある態度で返答した。
顔を隠している分、代わりに仕草で表情を表しているかのようだ。
「紅茶を淹れて参ります。お口に合うかは分かりませんが」
「いや、結構だよ。俺達は人前で素顔を晒せない身の上だからね」
「……これは失礼しました。ところで……お連れの方のお名前とご身分をお伺いしても?」
ソフィアは席を立とうとするのを途中で止めて、斜め向かいに座る二人目の客人に視線を移した。
怪しげな魔道具をアクセサリーのように散りばめたローブを纏い、目の模様が描かれた前垂れで顔を隠したその姿は、どう考えても魔法に携わる者であると考えて間違いない。
それもホワイトウルフ商店のノワールや、冒険者のメリッサのように表立って活動するタイプではなく、自身の領域に籠もって公表できない研究を繰り返す類だ。
「おっと、いけない。忘れてしまうところだった。彼はアンブローズ。翠眼騎士団の一員にして、僕の主治医のようなものさ」
この短い発言の中に、ソフィアは少なくとも二種類の違和感を覚えた。
「翠眼騎士団といえば、大陸各地の魔法使いと錬金術師の活動を監視し、彼らが公的な手続きを行う場合の窓口になる騎士団であると伺っております。しかしそちらの方は、どちらかと言うと……」
「監視される側に見えるかい? 無理もないね」
不躾と受け止められても仕方のないソフィアの疑問に、ヴァレンタインは平然と回答する態度を見せた。
「申し訳ありません。青孔雀騎士団といえど、必ずしも担当外の騎士団について、細部まで知り尽くしているわけではありませんので」
「うん、だから次の派遣先が決まったら、充分な知識を蓄えてから任地に赴くんだろう? それは翠眼騎士団も変わらないんだけど、さすがに必要な専門知識が多すぎて手に負えないことが多いんだそうだ」
不気味な沈黙を続けるアンブローズ本人の代わりに、ヴァレンタインが白覆面の下で饒舌に解説を口にする。
ここまでの説明を聞いただけで、ソフィアはヴァレンタインの言わんとすることをおおよそ理解できた。
「なるほど。魔法使いや錬金術師の活動を正しく監視するためには、魔法と錬金術の知識が必要不可欠。しかし騎士が公務の傍らで身につけられる知識には限界がある……」
「だから、魔法や錬金術の専門家を団員として抱え込む。アンブローズは君達の団長と同じく、正規の教練を受けることなく推薦で叙任を受けた騎士だ。つまり本業は魔法使いなのさ」
ルーク団長を引き合いに出されると納得するしかなかった。
彼もまた推薦で騎士となり、ベテラン冒険者の経験を見込まれて、この土地のダンジョンを探索する冒険者達の統括を任されたのだから。
「では、魔法使いが主治医というのは……」
「俺の体は尋常な医術では手が付けられなかった……これ以上の説明が必要かな?」
「……いいえ。不用意な質問をお詫びします」
「別に構わないとも。それより、そろそろ本題に入ろうか」
ヴァレンタインは椅子に座ったまま前屈みになり、両脚に肘を突いて組んだ手の甲に顎を乗せた。
「駐留部隊から聞いたよ。団長殿とガーネットはダンジョンに潜っていて不在だそうだね。なんでも重要任務の真っ最中なんだとか」
「ガーネット卿は大変精力的に役目を果たされております。少々、護衛騎士というよりも個人的なボディーガードに近い印象はありますが」
「それはよかった。しかし不在なのは残念だ。血を分けた弟と、将来の義弟の働きぶりを見せてもらいたかったんだが」
やれやれと首を横に振りながら、ヴァレンタインはすぐに前屈みの姿勢を崩し、重心を後ろに傾けて椅子の背もたれに体重を預けた。
本当に残念だと思っているのだろうか――ソフィアの胸中に微かな疑念が過る。
働きぶりを見たいのが嘘だという意味ではない。
不在なのが残念……つまり不在だったのが想定外というのは本当なのか、という方向性の疑念だ。
「……いや、待てよ? 居場所が分かっているなら……」
「お言葉ですが、ヴァレンタイン様。白狼騎士団の留守を預かる者として、冒険者でも騎士でもない方のダンジョンへの立ち入りは看過しかねます」
不気味な沈黙が両者の間を吹き抜ける。
ソフィアは緊張による喉の渇きを感じながら、顔の見えないヴァレンタインをまっすぐに見据え続けた。
間違いない。ヴァレンタイン・アージェンティアはダンジョンに下りたがっている。
そのための大義名分として、ガーネットとルーク団長に会いに行くという体裁を用意したに違いない。
覆面の内側で、ふぅ、と短い息が漏れる音がして、ソフィアは思わず背筋に力を込めた。
「困ったね。本当に困った。本当のことを言うと、俺はガーネットに重大な話をするためにやって来たんだ」
「……言伝をお預かりさせていただきます。ガーネット卿も遠からず帰還なさるでしょうから」
「駄目だ。銀翼騎士団とアージェンティアの外部に漏れる危険を犯すことはできない情報だからね。そもそも、彼らの帰還を待つのは二度手間になりかねない」
何がどう二度手間になるのか。そう聞き返したところで答えは返ってこないだろう。
「俺自身はしばらくここに逗留するつもりだから……ああ、もちろん温泉で湯治をするためだ。体の節々の疼きを抑えたいからね。本当に他意はない」
「…………」
「ともかく、ただ情報を伝えるだけなら彼らの帰還を待ってもいいんだが、それを待つのは効率が悪いんだ。できることなら避けたいと思っている。どうにかできないかな?」
ソフィアはしばし思考に没入し、自分に下せる決定の範疇で最善は何かと考えた。
仮に、どうにもならないからと拒絶したところで、彼が全面的に引き下がってくれるとは思えない。
アージェンティア家の一員としての影響力や、あるいは同行者の魔法の力などを駆使して、無茶な横車を押してダンジョンに潜る可能性も考慮すべきだろう。
戦力が必要なら冒険者を雇えばいい。
道案内ができる人材も多少は地上に戻っているだろう。
もしもそうなってしまったら、彼らの活動を白狼騎士団の管理下に置くことは難しくなってしまう。
「そうだ、いいことを思いついた」
「……何でしょうか」
「俺は地上に残ろう。その代わり、このアンブローズ卿を彼らのところまで連れて行ってくれ。彼になら秘密を綴った封書を預けてもいい」
「で……ですが、翠眼騎士団はこのダンジョンに何の関わりも……」
慌てるソフィアの機先を制するようにして、ヴァレンタインが決定的な一手を打ち込んできた。
「関わりは今すぐ作れるさ。翠眼騎士団から白狼騎士団に派遣される人員……実はね、アンブローズ卿はその最有力候補なんだ」
「えっ……!?」
「俺の治療があるからと返事を保留にしてくれていたんだけど、彼が首を縦に振ればすぐに正式決定となる程度にまで話が進んでいる……どうかな?」
ソフィアは反論に窮してしまった。
基本的に、各騎士団から派遣される人員の選択については、よほどの道義的問題がない限り拒否できるものではなかった。
そうでなければ、婚約者への建前として同性騎士を希望するルーク団長は、自分を早々に返品して別の騎士を求めていたに違いない。
「……分かりました。ただしお一人での行動は、様々な危険があるため許容できません。こちらが用意するパーティの一員として行動していただきます」
次回から視点がルーク側に戻ります。




