第390話 優先すべきものとは
シャワーを終えてすぐに、俺達は予め用意してもらっていたタオルで体を拭き、ヒーティングのスペルスクロールで乾かしていた服を着込んでいった。
さすがにジャケットまでは乾いていないが、今すぐ必要になるものでもないので、まずはそれ以外の着衣から身に付けていく。
「……あれ? シャツが乾いてないな。いつもならとっくに……」
「あ、悪ぃ。オレの服を置くときに、ちょっとばかり位置ずらしたせいかもしれねぇわ」
「完全にそれだろ。しょうがない、もう少し乾かしとくか」
部屋に備え付けのベッドの縁に座り、近くに持ってきた椅子の背もたれにシャツを掛けて、座面に広げたスペルスクロールの熱気がよく当たるようにする。
こうしておけば、スクロールの効果が切れるまでには乾くだろう。
熱の発生源が近いので、上半身裸の肌寒さもそれなりに軽減されている。
一息ついた俺の隣に、ガーネットがおもむろに腰を下ろした。
「さてと、これから先の予定はどうするつもりだ? 駐屯地が完成するまで面倒見てやるのか?」
「あいつらは皆、俺よりランクの高い冒険者なんだ。一から十までお節介なんか焼かなくても、陣地の設営くらい問題なくやれるさ」
金色の髪がまだ水気を帯びていたことが気になったので、ガーネットが使っていたタオルを手にとって、わしわしと水滴を拭い取ってやる。
完全に二人きりというのもあってか、ガーネットはすっかり油断した様子で頬を綻ばせている。
事情を知らない連中にはとても見せられたものじゃないが、それを言ったらこの状況自体がそうである。
「とりあえず、俺が駐屯地絡みでやらないといけないのは、パーティの責任者を町の管理者と評議会に紹介することくらいかな。ロイも立派なAランクなんだから、後は卒なくこなせるはずだ」
「へぇ、若いくせに大したもんじゃねぇか」
「普通にお前より歳上だからな?」
「知ってるっての。騎士でいうなら、オレが副長クラスになるようなもんだろ? お前が育てたってだけはあるぜ」
別にロイは俺が育てたわけではないのだが、ムキになって訂正するようなことでもないので、そのまま聞き流しておくことにした。
俺がしたことといえば、故郷を捨てて行き倒れていた少年の頃のロイを拾って、当面の衣食住を工面して冒険者ギルドを紹介してやったくらいのものだ。
長くパーティを組んだわけでもないし、目をみはる速度でランクアップしていったのは完全にあいつの実力である。
「しっかし、今更な話かもしれねぇけどよ。ダスティンやらロイやら、トップクラスの連中と懇意だったくせに、勇者ファルコンみてぇな野郎の依頼に縋るなんざ、いくらなんでも意地張りすぎだったんじゃねぇのか?」
「本当に今更な話題だな……さすがに懐かしすぎるぞ、それは」
話題が明日以降の活動方針の説明から、一年以上も前の過去へと一気にすっ飛んでしまった。
あまりの脈絡の無さに呆れつつ、懐かしい過去の心境を思い返す。
「……まぁ、確かに意地を張ってたんだけどさ。ロイが向けてくる感謝やら敬意やらは、当時の俺にとっては重荷であり苦痛でもあったんだ。どう考えてもEランクの身の丈に合わないからな」
「難儀な奴」
「全くだ」
ガーネットが漏らした率直で短い感想を、それ以上に短い言葉で全面的に肯定する。
「あいつらのお零れなんかに縋ってたまるかって意地を張り続けて、自分でも募集条件を満たせた大仕事に飛びついて、後は知っての通り。グリーンホロウの安全のために高ランクの知り合いに声を掛けまくったのだって、当時は本当に苦渋の決断だったんだ」
けれどいつしか、あいつらとの間に感じていた心理的な壁も薄れていき、今では引け目を感じることなく接することができていた。
やはり、武器屋のホワイトウルフ商店の成功や、騎士の地位の叙勲やら新騎士団やらといった社会的地位の向上に伴って、劣等感のようなものが解消されていったからだろうか。
我ながら随分と現金なものである。
「ふぅん……」
「……どうかしたのか?」
何気なく視線を動かすと、意味深な笑みを浮かべたガーネットと目が合った。
「迷惑被るのが自分だけならいくらでも意地を張り通すのに、他の誰かのためなら拘りくらい捨てちまうっつーの……ほんと、お前のいいところだよなって思ってさ」
真っ向切って褒められてしまい、思わず口籠って視線を逸らしてしまう。
――そのせいで、直後のガーネットの表情の変化を見逃すことになってしまった。
「オレには無理だな。いよいよ目的を果たせるぞってなったら、たぶん他の連中の迷惑なんざ考えられなくなっちまうぜ」
ガーネットの声は自嘲的な笑いが混ざっているように聞こえた。
それは違う。俺の場合はあくまで個人的な拘りだからこそ、捨て去らなければならない場面も多いだけだ。
お前の願いは肉親の復讐であり、社会に害為す犯罪組織の討伐だ。
俺の願いなんかよりも遥かに優先されるべきものなのだ。
しかし――言葉にしてそう伝えようとした矢先、部屋の扉が軽くノックされた。
叩き方の強さからすると、火急の用件ではないようだが……。
「ん、オレが出るわ」
ガーネットは立ち上がろうとした俺を止めて、訪問者に応対するため扉の方へと向かっていった。
扉の前にいたのは、平服姿の勇者エゼルであった。
「何だ、エゼルじゃねぇか」
「えっ……えっとー……やること全部終わったら、一緒に行きたいところがあるって話をしに……来たんだけど……」
エゼルはまずガーネットをまじまじと眺め、ジャケットを脱いだシャツ姿でシャワー上がりの湿気を帯びたその姿を確かめてから、ベッドの縁に座る俺の方へと視線を投げた。
それから何度か、俺とガーネットの間で眼差しを右往左往させたかと思うと、何かを察した顔で頬を紅潮させた。
「……お邪魔しましたー……ごゆっくりー……」
「おいこら待ちやがれ」
さり気なく立ち去ろうとするエゼルを、ガーネットが首根っこを引っ掴んで引き止める。
「あぁ? どこ行く気だ?」
「いやいやいや、私はそんな、ご一緒させていただく趣味はないわけでー……!」
「妙なこと言ってんじゃねぇよ!」
ああも遠慮なく騒いでいるあたり、扉の向こうにエゼル以外の誰かの姿は全くないらしい。
そうでもなければ、どちらも本当の性別を暗示させるような発言をしたりはしないはずである。
友人らしい気の置けなさで揉み合う二人を見やりながら、俺はただ苦笑を浮かべることしかできなかった。




