第388話 樹人の街と火の共生
水棲人の評議員に教えられた場所は、湖に浮かぶアスロポリス本島に付随する、短い橋で結ばれたごく小さな島であった。
例によって、その島にも樹木と住居が一体化した建築物がいくつか立ち並んでいたが、本島と比べて今ひとつ手入れが行き届いていないらしく、全体的に樹木の方が優勢になっている。
そして先程の評議員の同族や、より魚に近い形質の魔族達が、建物の整備や清掃に勤しんでくれていた。
「だいぶ中央から離れたところだな。やっぱ近くに置いとくほど信用はされてねぇってことか」
ガーネットが小島の風景を見渡しながらそう言った直後、背後の湖面が弾けて何かが飛び出してきた。
「うおっ!?」
驚き身構えるガーネットの十歩ほど前方に着地したそれは、ぶるりと身を振るって鰭の水を飛ばすと、陽気な態度でこちらに向き直った。
引き締まった身体の水棲人だ。
きっと裸体なのだろうが、体表の魚らしさが強いせいか、そういうつるりとした服を着込んでいるようにしか思えない外見である。
「いやはやお早いご到着で! お恥ずかしながら整備は終わっておりませんが、お泊まりいただく分には支障ありません!」
水棲人の青年は、見るからに湖水で冷え切っていそうな見た目に反して、在る種の暑苦しさすら感じる態度でまくし立ててきた。
その勢いに思わず面食らいながらも、恐らく彼が現場責任者だろうと当たりをつけ、現状について色々と確認しておくことにする。
「ええと……この小島が冒険者の駐屯地候補ということでよろしいんですか?」
「む、説明が足りませんでしたね。いかにもそのとおりです! 人間の方々は日常的に火を使って生活なさると伺いましたので、防火体制の整った立地をご用意させていただきました!」
青年は鰭が生えた腕を勢いよく広げ、改めて小島の風景をよく見るよう俺達に促した。
「アスロポリス本島は樹人の居住地でしたので、原則として火の使用は厳しく制限されております。しかしながら、例えばドワーフの工房のように、火の使用が必要不可欠なこともございます! そういった場合は本島から水路を挟んだ島が提供されることになっております!」
「そういえば、シャワーも冷水しか出ないようになっていましたね。俺の連れが知らずに使って悲鳴を上げていましたよ」
雑談としてそのエピソードを口にした直後、すかさずガーネットの蹴りが俺の脚を捉えた。
「なんとっ! は、反逆でありますか!?」
水棲人の青年が大袈裟な身振りで体を仰け反らせる。
「ははは、いつものことですからお気になさらず。俺も分かって言っていますから」
「次にやったら【修復】が必要なくらいに蹴っ飛ばすぞ?」
「むむ、主従ではなく輩のご関係でしたか。これはとんだ早とちりを」
俺達にとってはごく日常的なやり取りを交わしつつ、続きを説明してくれるよう水棲人の青年に促す。
「では……この島は小さな水路で本島と分かたれておりますので、万が一火災が発生した場合も延焼しにくい構造になっております! もっとも、現在に至るまで家屋二軒以上を焼いた火災は起きておりませんが!」
「先程ドワーフと言っていましたが、アスロポリスでもドワーフは鍛冶仕事をしているんですか?」
「はい! アスロポリスの金属製品は、防衛用の兵器も含めて全て彼らの製造品です!」
なるほど、正直に言ってかなり興味深い情報だ。
武器屋を本職とする立場上、ドワーフの武器工房には関心を抱かざるを得ないし、いくつか武器を持ち帰れば、第一階層こと『魔王城領域』で鍛冶稼業の復興に励むニューラーズの助けになるかもしれない。
やるべきことが一通り終わったら、時間を見つけて見学させてもらうのも良さそうだ。
「幸いにも、実際の火災で使用したことは滅多にありませんが、我々のような水棲の魔族は延焼防止と消火のための訓練を受けております! 例えばこのように!」
青年が湖の方に腕を振り向ける。
すると放たれた魔力が湖面に激しい波紋を生み、その波が周囲一帯に伝わっていく。
次の瞬間、アスロポリス本島とこの島を隔てる狭い水路に、水の壁が高々と吹き上がった。
ガーネットとロイがそれを見上げて小さく歓声を上げる。
一方、俺は水の壁の上方ではなく、水の壁を生み出している湖面の方に目をやっていた。
「水中の魔族が魔法を使ったんですか?」
「ご明察です! 水中作業中の同胞に合図を送り、日頃の訓練通りに防火水壁を展開いたしました! 急な合図でもこの通り完璧に! 皆様もご安心して過ごしていただけるかと!」
青年は指の間に水掻きの付いた拳をぎゅっと握って、自信に満ちた表情を浮かべた――ように見えた。
壁を消して水路から顔を上げた同種族の若者達も、同じような顔でこちらを見やっている。
どうやら自分達の火災対策の練度をアピールしたかったらしい。
火災自体が滅多に起こらないとのことなので、訓練の成果を見せつける機会に飢えているのだろうか。
「本当に大したものですね。これなら安心して料理も風呂の準備もできそうだ」
「でしょうでしょう! これもまた、我らのアスロポリスに対する奉仕の一つ! 全力で遂行いたします!」
心底嬉しげな青年に、今度はロイが質問を投げかける。
「これは念のための確認ですが、もしも火災が起きてしまった場合、自分達はどのように対応をすればいいのでしょうか」
「皆様は迅速な避難をお願いします! 橋を渡って逃げてもよいですし、湖に飛び込んでしばし待っていただけば我らが救助いたします! 消火活動もこの通り!」
水棲人の青年は再び腕を湖面に振り向け、先程とは違うパターンの波紋を発生させた。
すると今度は波紋の起きた場所の水が盛り上がり、壁状ではなく太い柱のように吹き上がったかと思うと、その先端がこちらに向かって軌道を変えて突っ込んできた。
息が止まりそうなほどに冷たい水と、立っているのもやっとな水圧が、俺達を含めた数名の人間を飲み込んでいく。
その勢いが止まった後には、ずぶ濡れの地面と人間達、そして興奮の色を強めるばかりの水棲人の青年が。
「誤差極小、精度万全! どのような火災も立ちどころに消し止めてみせましょう!」
「ああ、うん……合図をしてくれてたら嬉しかったな……寒っ!」
「のわっ! も、申し訳ありませんっ! すぐに火の準備をさせます!」
大慌てで平謝りに謝る水棲人の青年。
俺は怒りに頬を引きつらせて腕をまくるガーネットを宥めながら、寝床よりも先に風呂の準備をしてもらうことを心に決めたのであった。




