第385話 アルジャーノン
俺とガーネットは揃って息を呑み、アルジャーノンと名乗った老人を前に目を見開いた。
老人――アルジャーノンは俺達の反応の違和感を目敏く感じ取った様子で、髭を弄りながら意味深な表情を浮かべた。
「名乗っただけでこの反応……そうか、最初から俺のことを知っていたな? さてはチャールズあたりから情報が漏れたか。そうだろう? キングスウェル公爵のチャールズだ。あれから息子に地位を譲ってなけりゃの話だが」
アルジャーノンは俺達が思い浮かべていた人物を何の躊躇もなく言及した。
兄弟だからこその直感だろうか。
ここまで的確に言い当てられてしまったら、適当に誤魔化すことはできそうにない。
「そういうことです。公爵閣下は俺達に少々の情報を提供してくださいました。貴方が……公爵閣下の兄上が長年に渡って『奈落の千年回廊』に挑み続け、遂には迷宮から帰還しなかったことも含めて」
「参ったなぁ。てことはアレか? 置きっぱなしにしてた研究資料も根こそぎか? ああ、参った。マジで参った。小っ恥ずかしいったらありゃしねぇ。他所様に見せられるような代物じゃねぇってのによ」
アルジャーノンは酷く饒舌に、良く言えば親しみやすく、悪く言えば乱雑な口調でまくし立てている。
とてもじゃないが、貴族の頂点に立つ公爵家の跡取り候補だったとは思えない言動だ。
良家の生まれでありながら口調が粗暴というだけなら、すぐ隣にいるガーネットも同じと言えなくもないが、さすがに騎士と公爵では差があり過ぎる。
いくら最近の騎士が下手な貴族よりも力を得ているとはいえ、公爵とはそれこそ比較にもなりはしないのだ。
「……これまでに何人もの冒険者や護衛を雇ったと聞いています。例えば……東方人の男性だとか。覚えておいでですか?」
「もちろんだとも。一人残らず覚えてるよ。記憶力がスキルで底上げされてるからな。特にシラヌイの奴のことは忘れたくても忘れられねぇ」
アルジャーノンはわざとらしいくらいに悲しげな表情を浮かべて首を振った。
不知火というのはサクラの名字だ。
当然ながら、キングスウェル公爵の兄と共に『奈落の千年回廊』に潜ったと思われるサクラの父も、彼女と同じ姓を名乗っていたはずである。
俺は東方人としか言っていないのに、名字までぴったり言い当ててしまったことで、目の前の人物が本当に公爵の兄だという確信が強まっていく。
「この階層に降りる現実的な手段が他にねぇと分かって、一か八か魔王城をこっそり抜けていくことになったんだがな。運悪くとんでもなく強いダークエルフに見つかっちまったんだ」
「……心当たりは何人もいますね」
「だろ? それで、このままじゃ全滅するってところを、シラヌイの奴が殿になって逃してくれたんだぜ。必ず追いつくと言ってはいたんだが、未だに音沙汰がねぇってことは……そういうことなんだろうな」
アルジャーノンの感情表現はいちいち大仰で、悲しみの表現すらもどこか演技臭く感じてしまうが、個性の範疇だと言われれば納得できなくもない程度ではある。
サクラの父親は、その身体を魔王軍の魔将スズリの仮初の肉体として使われてしまっている。
仮にアルジャーノンの証言が正しいなら、殿を務めきった後で敗北し、捕縛ないしは殺害されて肉体を利用されているのだろう。
しかし、その事実をアルジャーノンに打ち明けることは躊躇われた。
この老人を疑わなければならない理由が多すぎて、こちらだけが持っている情報を軽々しく明かすことはできなかったのだ。
「まぁ、あれだ。俺は公爵家から見限られたも同然なんでな。今は一介のアスロポリス評議員さ。もっとも、人間なんざいねぇも同然の超少数派なんだが。とりあえず今後とも宜しく頼むぜ」
一方的に喋り続けた末に、アルジャーノンは俺達の反応を待たずに踵を返して部屋を出ようとした。
奔放過ぎる振る舞いに流されそうになるのを踏み留まり、立ち去ろうとするアルジャーノンを呼び止める。
「待ってください。貴方には聞きたいことが山程あります」
「ははは。焦るな焦るな。別に急ぎの用件じゃないんだろう?」
アルジャーノンは部屋の出入り口で立ち止まり、肩越しに振り向いて言葉を返した。
「こう見えても俺は多忙でね。しばらくはお前さん達に割ける時間がなさそうなんだ。山場を超えたらたっぷり時間を取ってやるから、それまで待ってくれねぇか」
「……分かりました。後で管理者フラクシヌスにも確認を取っておきます」
「おいおい、嘘じゃねぇって。若いくせにスレてんなぁ」
「時間を取れるのがいつ頃になるかという確認ですよ」
アルジャーノンは心底愉快そうにひとしきり笑ってから、宣言通りに部屋を後にした。
本音を言えば、ガーネットに彼を取り押さえるよう頼みたいくらいだったが、それはどう考えてもアスロポリスのルールに抵触してしまう。
しかも評議会の一員ともなれば、下手な強硬手段は悪い結果を生むことにしか繋がらない。
焦りは禁物だと自分に言い聞かせながら、部屋の主であるエヴェルソルにもう一つだけ質問を投げかける。
「アスロポリスには何人ほどの人間がいるのですか?」
「ごく少人数だと聞いている。アルジャーノン氏がこの階層へ下りてくるときに伴っていた者達だそうだ。普段は部外者に会おうとしないので、詳しいことは某にも分からん」
「……ありがとうございます」
それから間もなく、割り当てられた所定の時間に達してしまい、御使いのポプルスが俺達を迎えにやって来る。
「時間切れか。分からねぇことが余計に増えちまったぜ」
「初日の成果としては上々だろう。追及すべき相手も見つかったんだからな」
ガーネットと先程の件について意見を交わしつつ、自室に戻るために廊下を歩いていると、向こうの方から酷く慌てた様子のサクラとノワールが走ってくるのが見えた。
サクラはともかく、ノワールがあんなに髪を振り乱して走る姿は本当に珍しく、一目見ただけで面食らってしまう。
「どうしたんだ、一体。そんなに慌てたりして」
「ブランが……ブランが……!」
動揺が収まらない様子のノワールの口から漏れるその名前は、俺達にとっても決して聞き逃がせるものではなかった。
――その日の昼前に、俺は仲間達を部屋に集めて会議の時間を取ることにした。
参加者は俺とガーネット、サクラとノワール、勇者エゼルとエディ、黄金牙のライオネルと虹霓鱗のヒルド、そしてダスティンの合計九人。
四人部屋に倍以上の人数を詰め込んでしまうことになるが、この話は全員にしておかなければならない。
「急に集まってもらって悪かったな。すぐにでも話しておきたいことがあるんだ。具体的には……アスロポリスの人間の評議員についてだ」
言及が久々すぎてキングスウェル公爵ってなんだっけ?と思われている方もいるかもしれませんが、ご安心を。
次の話でがっつりと振り返ります。




