第384話 人間の評議員
――騎士団長のルークが、アスロポリス評議会のエヴェルソルと対面する少し前。
ノワールは同行者のサクラと一緒に、大議事堂と当面の宿が収まっている大樹の根本に出て、朝の日差しを眩しそうに見上げた。
「では、さっそく参りましょうか。あまり遠くまで行けないのが残念ですが」
「そ……そう、だな……でも、迷ったら……大変……だ……」
仲間達は進展があるまでの都市内待機を指示されており、黒魔法使いのノワールも自由に動ける時間を与えられていた。
待機時間の使い方は人それぞれだ。
例えば、勇者エゼルの従者であるエドワードは、黄金牙騎士団のライオネルに指導を依頼し、武術の鍛錬に励んでいるという。
虹霓鱗騎士団のヒルドは、騎士であると同時に古代魔法文明の研究者でもあるという立場からか、先日の一件で見聞きした出来事を嬉々として報告書に纏めていた。
勇者エゼルはあまり理解できていない様子でそれを見ていたが、ノワールはヒルドの気持ちが痛いほどによく分かった。
とても強い興味のある分野で、他の誰も知らないような発見をしてしまったとあっては、それこそ寝食を忘れて没頭してしまうのも当然である。
「今後の参考になりそうな魔道具があればいいですね。ノワール殿が作る魔道具は、我々の生活でも大いに役立っておりますから」
「……う、うん。魔族の、技術……吸収、でき、れば……」
ノワールの外出目的は、いわゆる買い物だ。
魔王軍の技術がそうであったように、魔族が作る魔道具は地上の人間の常識を超えていることがある。
また、魔道具以外にも魔導書の類を入手できれば大収穫だろう。
とりわけ、このアスロポリスは多種多様な魔族によって構成されており、幅広い知識を入手できる期待はかなり大きいと言えた。
「(そういえば魔王軍もここにいたんだ。もしかしたら、魔王軍が使っていた技術のことも何か分かるかも……)」
脳裏に浮かぶのは、双子の妹である白魔法使いブランの最期。
助命と引き換えに魔王ガンダルフの軍門に降ったブランは、幾度となく人類側と敵対する行為を繰り返した末、最終的に試作段階だった召喚魔法の呪紋を左腕に刻み込まれることとなった。
そして、他ならぬノワールの手で呪紋を暴走させられ、虚空に引きずり込まれる形でこの世から姿を消したのだった。
……普通なら、ブランのことなどよりも、勇者ファルコンと女剣士ジュリアを竜人に改造した手段の解明を期待するのかもしれない。
黄金牙の騎士も何人か同じ目に遭っているのだから尚更だ。
しかし血を分けた唯一の肉親ということもあってか、最初に思い浮かぶのはどうしてもブランの最期の姿なのであった。
「ノワール殿。顔色が優れないようですが、如何なさいましたか」
「いや……なんでも、ない。大丈夫、だ……出発、しよう……」
こんな自分を心配してくれるサクラに空元気を見せて、ノワールはアスロポリスの町並みの中へと踏み出していった。
そこからしばらくの間、ノワールはさしたる問題もなく街歩きを楽しむことができた。
天井の光を取り戻したパーティの一員ということで常に注目を浴び、無遠慮に話しかけてくる者も一人や二人ではなかったが、そういった輩はサクラがあしらってくれている。
もしも自分一人だったらとても対応しきれなかったので、同行してくれたサクラには感謝するしかなかった。
「さて、成果の程は如何でしたか?」
「わ……悪く、ない、かな……」
サクラにも荷物持ちを手伝ってもらい、当面の宿がある大樹へと戻っていく。
分析のやり甲斐がありそうな魔道具を幾つか調達し、入門書のようではあるが魔族の魔導書も手に入った。
初めての戦果としては上々と言えるだろう。
「……次は、もっと……お金を、用意、して……出かけたい、な……」
「今回の軍資金は、管理者殿に用立てていただいた分が全てでしたからね。あまり無駄遣いはできませんし、今日のところはこれくらいで潮時かと」
結局、サクラには護衛と荷物持ちばかりをさせてしまったが、彼女も彼女なりにアスロポリスの散策を楽しんでいたようだった。
本人としては散歩のついで程度の感覚だったのかもしれないけれど、後で何かお礼をしておいた方がいいだろう。
そんなことを考えながら大樹の玄関口に入ったところ、たまたますれ違った犬頭の獣人が、重厚な黒いローブを翻して振り返った。
「おや? 誰かと思えばブランじゃないか。ご主人さまはもう戻ってきたのかい」
――思考回路が凍りつく。
思い浮かべていたあらゆる考えが消し飛んで、脊柱を氷で貫かれたかのような感覚が駆け巡る。
血の気が引いて頭がうまく働かない。
気管を直接握りつぶされたかのように息苦しい。
震える足をどうにか動かして、息を止めたまま犬頭の獣人へと向き直る。
「今……ブラン、って……言った、のか……?」
「むっ? これは失礼、勘違いをしたようだ。種族柄、どうしても目は良くないものでね。匂いと背格好が似ていたから間違えてしまったようだ」
「ブランを、知っているの!?」
自分でも驚くほどの大声を張り上げてしまい、犬頭の獣人だけでなくサクラまでもが目を丸くする。
あの名前を聞いて驚いたのはサクラも同じはずだが、それ以上にノワールの反応の激しさに驚愕してしまったのだ。
犬頭の獣人は、突如として激情を露わにした人間の女に困惑しながらも、問われた内容への返答を口にした。
「し、知っているといえば、知っているな。特に親しいわけではなく、同じ役職に就いた者の従者というだけなのだが」
「従者……それって、一体、誰の……」
「人間の評議員だ。しばらく地方の視察のために町を出ていたが……そろそろ帰っている頃合いだな」
「人間の評議員だが……それがどうかしたのかね……?」
それは耳を疑わざるを得ない発言だったが、しかしエヴェルソルが嘘をついている様子はない。
むしろ虚偽の情報を提示する意味など全くない流れだった。
「……俺達よりも先にアスロポリスを訪れた人間がいるなんて、完全に初耳です。そのような事実は、冒険者ギルドも……地上の王宮すらも把握していません」
「何と! しかしだな、あの男は確かに人間と名乗り、フラクシヌス様もそう認定なさったのだ。何かの間違いではないのか」
「いえ……人知れず迷宮を踏破した者がいてもおかしくはありません。ですが……一体どこの誰なのですか」
お互いに困惑を深めるという状況に、一匹の蛇がどこからともなく這い寄り割って入ってくる。
その蛇はエヴェルソルの体を這い上がると、耳元でシュルシュルと鳴き声のような音を発した。
「ふむふむ。噂をすれば何とやらだ。当の本人が、君達の噂を聞きつけてここまで足を運んだらしい。おぉい、ちょうどよかった! 入ってくれたまえ!」
エヴェルソルが入室を促すと、部屋の扉がゆっくりと開かれて、一人の老人が姿を現した。
皺の深い顔と白く長い蓬髪から受ける印象とは反して、背筋はしゃんとまっすぐに伸び、双眸にも活力が溢れている。
その顔立ちはどこかで見たことが――いや、違う。疑問の余地などない。
俺が知る男と同じ面影を帯びた顔立ちだ。
老獪なあの公爵と、顔の造形の骨子がとてもよく似通っている。
老人は整えられた白い髭を撫でながら、口元を歪めて不敵な笑みを浮かべた。
「いやぁ、こいつはめでたい! 遂にギルドの冒険者もここまで来たか!」
「あなたは……まさか……」
「おっと! 挨拶が先だったな。お初にお目にかかる。俺はアルジャーノンという者だ。今はこの町で評議員なんぞをやらせてもらっている」