第382話 蜥蜴人エヴェルソル
部屋の中で俺達を待っていたのは、一体の年老いた大柄な蜥蜴人であった。
背丈は俺よりも頭一つ大きく、頭部の形状は完全な蜥蜴型。
硬い鱗がくまなく体表を覆い尽くし、ところどころが棘のように尖っている。
ごく普通にダンジョンで遭遇したなら、即座に臨戦態勢を取らずにはいられない面構えだったが、厚手の黒いローブを着こなしたその出で立ちは知的な雰囲気を漂わせていた。
「おおお、貴殿がルーク・ホワイトウルフか。此度は同胞を代表してお礼申し上げる」
老いた蜥蜴人は男性的な低い声で喜びを露わにした。
見た目が人間からかけ離れた魔族は、おしなべて性別や顔色を見分けにくいものだが、不思議なもので声を聞けばどちらも比較的分かりやすくなる。
「某はエヴェルソル。蜥蜴人の代弁者として評議員を務めさせていただいている。ええとだな、人間はこうやって挨拶をするのだったか」
エヴェルソルと名乗る魔族は、ごつごつとした右手をおもむろに差し出してきた。
握手を求められたのだと気付くまでに少し時間が掛かったが、そうと気付いたらすぐに俺も右手を出して握りあった。
ガーネットは硬い鱗と鋭い爪を持つ蜥蜴人の手が、相対的に貧弱な俺の手を握る様を不安そうに見やっている。
蜥蜴人と握手をするなんて、俺にとっても初めての経験であり、こんな手触りをしていたのかと新たな知見を得てしまうくらいだった。
「天井の光の喪失は、某らにとってまさに死活問題であった。なにせ蜥蜴であるが故な。多少の熱は溜め込めるつくりをしてはいるが、あれ以上に夜が続けばとても耐え切れぬところだった」
人間や獣の類は自然と体に熱を帯びるが、トカゲやワニの類は陽の光を浴びて体温を高めるという。
そうしなければ体を動かすことすらままならないのだそうだ。
トカゲに近い肉体を持つ蜥蜴人にとって、明けることのない夜は人間が極寒の地に閉じ込められたようなものなのだろう。
だからといって、人間の方が優れた生物だというわけではない。
熱を生むための体力を消耗しないからか、蜥蜴人は人間や獣人と比べてほんの僅かな食糧でも生きていくことができる。
その観点で蜥蜴人を上回るのは、恐らく植物に近い肉体を持つ樹人くらいのものだ。
「さて、返礼としてはまるで足りるものではないが、貴殿からの質疑に答えるよう仰せつかっている。何なりと聞いてくれたまえ」
「……それでは、まずは……」
急な呼び出しではあったものの、幸か不幸か聞きたいことは前々から山程あった。
なので質問に窮するということはなく、むしろどれから尋ねるべきか悩んでしまうくらいだ。
「最初に、アスロポリスではここを……このダンジョンや各階層のことをどう呼んでいるのか教えてもらえますか」
「ふむ、基本的な呼称のすり合わせは重要であるな」
「恥ずかしながら、地上の命名は少々不完全でして。そちらの呼び方に合わせるのも考慮しようかと」
致し方ないことではあるのだが、地上の人間による命名はかなり場当たり的なものだった。
最初は高難易度の迷宮部分の存在だけが知られていて、そこに『奈落の千年回廊』の名を与えた。
この段階では『奈落の千年回廊』がダンジョンの全てだと思われていたので、大規模なダンジョンの階層の名前ではなく、ダンジョン自体の名前として考案されたものだ。
しかし、迷宮を抜けた先には魔王ガンダルフ率いる軍勢の勢力圏が広がっていた。
そこに『魔王城領域』という名前が与えられ、『奈落の千年回廊』はダンジョン全体ではなく迷宮部分の呼称に変化したが、その代わりとなるダンジョン全体の名称は未だ決定されていない。
更に魔王城の地下に広がる迷宮を抜けた先――つまり、俺達がいるこの地下空間もまた、現時点では仮に『深層領域』と呼ばれるだけで正式名称が付けられていないのだ。
「某らはこの世界……地上でいうところのダンジョンを『元素の方舟』と呼び習わしている」
「……元素の、方舟?」
「うむ。四つの元素を一つずつ詰めた箱を、四つ縦に重ねた様子を思い浮かべるといい。世界に対する某らの認識はそのようなものだ」
「四つの箱……まさか……」
俺は思い浮かんだ内容をそのままエヴェルソルに告げた。
「元素魔法でいうところの、四大元素。俺達が『魔王城領域』と呼ぶ階層は、一面の岩山と荒野が広がる地下空間……つまり『土』の属性を表していたということですね」
「そしてこの階層は、ご覧の通り『水』を象徴している……というのが某らの考えだ。無論、創造者アルファズルの真意は分からぬがな」
魔法は専門分野ではないが、四大元素くらいのメジャーな知識なら、冒険の助けになるだろうと期待して仕入れてある。
確かに、この階層の特徴を一言で表すなら、やはり地下とは思えない豊かな水と緑だろう。
青々と茂った植物は豊富な水の賜物だと考えれば、最も本質的なのは水の方ということになる。
「地上では、四元素の並び順を重い方から土、水、風、火としています。このダンジョンも同じだとすると、更に深い領域には風の階層と火の階層もあるということでしょうか」
「貴殿の想像通り、某らはそのように考えている。だがしかし、アスロポリスに住まう種族の大部分は、遥か昔からずっとこの階層で生きてきた。他のことはよく分からぬのだ」
エヴェルソルの説明が正しいなら、ギルドの連中がひっくり返って歓喜しそうな情報である。
俺だって、重大な立場を背負っていなかったら、一も二もなく盛大に食いついていたに違いない。
そもそも『魔王城領域』が発見された時点で大発見であり、この領域の発見に至っては、それこそ世界の秘密の深淵に触れたような認識だった。
ところがそれですら、まだ折り返し地点に過ぎなかったというのだ。
この階層の探索がほとんど進んでいないのを鑑みれば、折り返し地点にも至っていないとすら言えるだろう。
俺は内心で湧き上がる興奮をどうにか抑えながら、努めて冷静に質問を続けた。
「……では、各階層の名称はどのような?」
「期待外れなら申し訳ないが、さほど凝った呼び方はしておらんよ。貴殿らが『魔王城領域』と呼ぶ場所は『元素の方舟』の第一階層で、ここは第二階層……単純にこれだけだ」
「なるほど……ん? 『魔王城領域』が第一階層なのですか? 『奈落の千年回廊』は?」
「某らは迷宮を階層として扱っておらんのだよ」
エヴェルソルは笑うように肩を揺すった。
相変わらず表情は読み辛いが、彼もこの会話を楽しんでいることが伝わってくる仕草だ。
「呼称は至って単純明快。地上との境界に第一迷宮があると伝えられ、この階層の直上には第二迷宮があり、直下には第三迷宮が……恐らくは第四迷宮もあるのだろうな」
「……他の階層に赴かれたことはないのですか?」
「試みたこともないと言えば嘘になる。若い頃の度胸試しで、第二迷宮へ通じる塔を上がってみたことは一度や二度ではない。まぁ、途中で怖気付いて逃げ帰るのが常ではあったがな」
今度は分かりやすく声を上げて哄笑するエヴェルソル。
俺も絶え間なく判明する新事実に心を踊らせながら、次の質問を告げることにした。




