第381話 アスロポリスの新たな朝
中立都市アスロポリスで迎える二度目の朝は、以前とまるで違う爽やかな空気に満たされていた。
大樹と一体化した木造住宅のような建物の一室、都市の管理者である樹人のフラクシヌスから割り当てられた寝室の窓から、明るい朝の日差しが差し込んできている。
当然、これは本物の陽光ではない。
ダンジョンの奥底に広がる、丘陵や森林、そして幾つもの川と地底湖を内包した広大な地下空間の天井が、地上の時間帯と連動して発光と消灯を繰り返しているものだ。
「(……我ながら、昔じゃ考えられない状況に首を突っ込んでるな)」
使い慣れない寝台から身を起こし、眠気の残る頭を振りながら昨日までの出来事を思い起こす。
かつて人類と魔王ガンダルフの軍勢が地下空間の『魔王城領域』で戦争を繰り広げ、敗走した魔王軍の後を追って辿り着いた先がこの階層。
白狼騎士団はこのダンジョンを探索する冒険者の統括および、王宮や他の騎士団との仲立ちを任務とし、その一環としてアスロポリスの管理者と対面することになった。
管理者フラクシヌスは地上の人間がアスロポリスを利用する条件として、この階層を苦しめている異常事態――天井の光が失われて夜が明けなくなった状況の解決を要請。
その条件を承諾した俺達は、魔王軍四魔将の一人である氷のノルズリとのまさかの共闘や、かつて世界を滅ぼしかけた災厄の眷属とされる魔獣スコルとの死闘など、いくつもの得難い経験をしながら無事に天井の光を取り戻したのだった。
「(よし、夢じゃない。窓の外も魔族だらけだ)」
寝台を下りて窓辺に行き、爽やかな朝に喜ぶ住民達へと視線を落とす。
獣人に魚人に蜥蜴人。
ノーマルのエルフにダークエルフにドワーフ。
樹人もいれば鬼人もいる。
さすがに魔族ではなく魔物に分類される生物は――例えばゴブリンのような――見当たらないが、既知の魔族の博覧会じみた光景である。
アスロポリスは、管理者が提示する条件を遵守する限り、あらゆる種族が中立の恩恵を受けられると掲げている町だ。
しかし俺達以外の人間の姿は一度も見たことがなく、住人は様々な種類の魔族のみで構成されていた。
これは単に、地上の人間がこの階層まで辿り着いたのが、ごく最近の出来事だからというだけだ。
いくら種族を問わない中立都市でも、この階層に存在しない種族の住人がいるはずがない。
もちろん、今後は冒険者達が探索の拠点として利用することになり、町中で人間の姿を目にする機会も多くなるのだろう。
そんなことを考えながら、ひとまず朝の身支度に取り掛かろうとしたところで、部屋に備え付けのシャワーから上機嫌なガーネットが出てきた。
「あー、さっぱりした。やっぱ温かいお湯は気持ちがいいな」
「なんだもう試してみたのか」
「せっかく作ってもらったんだから、使わねぇ方が失礼だろ?」
お湯で濡れた髪を拭きながら、ガーネットは無造作に椅子へ腰を下ろした。
樹木と住居が一体化した建物が立ち並ぶ特殊性のためか、この建物のシャワーは水しか出ない仕様になっている。
火災防止を考えてのことなのは分かるけれど、俺達人間にとってはなかなか厳しいものがある。
ということでノワールが作ってくれたのが、シャワーの口に取り付けることで水を加熱してくれる魔道具だった。
使い捨てだから人間用の設備ができるまでの繋ぎだと思ってくれとのことだったが、ガーネットの反応を見る限り十二分に満足できる性能らしい。
「で、これからしばらくは『待ち』の姿勢ってことでいいんだよな」
「ああ。冒険者連中が到着するなり、フラクシヌスの準備が終わるなりしないと、俺達の仕事もなかなか先に進められないからな」
アスロポリスを拠点とした探索体制の確立と、管理者フラクシヌスからの古代魔法文明に関する情報の収集――白狼騎士団の当面の仕事はこの二つに大別できる。
前者は、実際に探索を行う冒険者パーティの関与が必要不可欠なので、彼らの代表者がアスロポリスに到着するまでは最低限の下準備をすることしかできない。
幸い、ノワールが放った使い魔である鳥の模型が、俺達のメッセージを携えて無事に最寄りのキャンプ地まで到着したことは分かっている。
後はキャンプ地からの連絡が本隊まで届き、本隊から派遣された人員がアスロポリスに到着するのを待つばかりだ。
後者は、フラクシヌスが情報の整理を終えるのを待つしかない。
古代魔法文明は気が遠くなるほど昔の文明で、フラクシヌスが当時から生きていたのだとすれば、それほど古い記憶を呼び起こす必要がある。
適当に思い出した記憶をその場で喋るだけなら、どうしても情報の正確性に疑問符が付いてしまう。
だから情報を整理する時間が必要になったというわけだ。
「つっても、準備が整うまでダラダラしてるわけにもいかねぇよなぁ。さーて、どうしたもんか」
ガーネットが困り顔で椅子の背もたれを軋ませたちょうどそのとき、部屋の扉の向こうから俺達を呼ぶ声がした。
「失礼いたします。ルーク様、よろしければお時間をいただけないでしょうか」
部屋を訪ねてきたのは、管理者フラクシヌスの使者だという樹人のポプルスだった。
俺とガーネットは手早く朝の身支度を終えてから、その年若い樹人の誘導で、大議事堂に併設されたどこかの部屋へ案内されることになった。
「ルーク様。アスロポリスの評議会についてはお話ししましたでしょうか」
「いや、まだ聞いてないな。管理者だけじゃなくてそんなものもあるのか?」
ポプルスは植物的な質感の長い緑髪や、体の一部である装身具のような花弁や枝葉を揺らしながら、蔦の絡んだ四肢を規則正しく振って廊下を歩いている。
人間的な表情を浮かべることになれていないせいか、常に無表情とも未熟な微笑ともつかない顔色をしている子だ。
「フラクシヌス様はアスロポリスの最高意思決定者ではありますが、町の運営に関する全ての雑務をお一人でこなせるわけではありません。そこで運営補助機関として評議会が設けられています」
確かに、フラクシヌスのように物理的な肉体を持たない存在であっても、あらゆる仕事を無制限にこなし続けられるはずはない。
重要度の低い仕事を委任してしまおうと考えるのは当然だ。
「評議員は原則として各種族から一名ずつ選出され、各種族の代弁者としても活動しておられます。もちろん原則ですから例外はありますけど」
「その話を今ここでしたということは、これから会う相手が評議員の誰かってことなのか?」
「はい。フラクシヌス様のご指示で、評議会の方から白狼騎士団様方に、アスロポリスについての様々なご説明をさせていただくことになりました」
話がそこまで進んだところで、ポプルスは不意に分厚い扉の前で立ち止まった。
「こちらで評議員が待機しております。見た目は少々威圧的だともっぱらの評判ですが、温厚な方なのでご安心くださいませ」
ポプルスは脅しなのかフォローなのかよく分からないことを言いながら、分厚い扉を押し開けて俺達に入室を促した。
部屋の中で俺達を待っていたのは、一体の年老いた大柄な蜥蜴人であった。




