第377話 神代の魔獣を討て 前編
魔獣スコルが咆哮と共に無数の触手を展開し、それを迎撃するための戦闘が再開する。
しかし、これから先は闇雲に耐え忍ぶだけの消耗戦ではない。
見出した勝機を掴むための反撃の始まりだ。
「奴の背後に回り込みたい! 少しでいいから隙を作ってくれ!」
前衛のメンバーに指示を飛ばし、すぐさまガーネットに向き直って作戦の概要を伝える。
「隙ができたらすぐ一緒に走ってくれ。うまく後ろに抜けられたら――」
「――っ! 馬鹿かテメェは!」
ガーネットは俺の胸ぐらを掴んで噛みつかんばかりに顔を近付けた。
「いくら【修復】で再生できるからってな! んなもん一歩間違えりゃ黒焦げだろうが! 意識が吹っ飛んだらその瞬間におしまいだ!」
「分かってる。けどな、リスクのない戦いなんてものはないんだ。お前もよく知ってるだろ」
「……テメェにやらせるわけにはいかねぇっつてんだよ」
「俺がやらなきゃ駄目なんだ。前衛の戦力が一人でも欠けたらスコルは止められない。動くべきは俺達だ」
胸ぐらを掴むガーネットの指に手をかけて解かせていく。
意外にも抵抗らしい抵抗は全く感じられず、ガーネットも理屈ではそれが最善手だと理解しているのが伝わってきた。
残念だが言葉を尽くして説得する時間の余裕はない。
怒らせたり不安にさせたりしたことの埋め合わせは戦いが終わった後だ。
今は成すべきことを成さなければ、地上へ帰還することすらままならないのだから。
「ルーク卿。話は聞かせていただきました。及ばずながら自分も援護します」
「エドワード……無理だけはするんじゃないぞ」
「まさか! 功を焦ったりなんかしません。自分にできることを地道にやるだけです」
そう語るエディの表情に、焦りの色や過度な興奮は浮かんでいない。
無理をするつもりは毛頭なく、しかし臆病になって引っ込んでいるつもりもない。そんな決意が感じられた。
「よし、援護を頼む。ヒルドはできることなら――」
「問題ありません! あともう少しで最低限の干渉はできそうです! 魔力の量を減らせば多少は楽になりますよね!?」
「――ああ、頼んだ!」
ヒルドもさっきの説明をきちんと聞き取っていたらしく、操作盤を必死に動かしながらこちらに目を向けることなく返答した。
残る問題は、目的の場所まで移動できる隙が生じるかどうか。
前衛に視線を戻した矢先、ライオネルが拘束された魔獣スコルの前脚を駆け上がり、その頭部に側面から斧槍を叩きつけた。
「おおお……っ!」
インパクトの瞬間にスキルが発動。
凄まじい衝撃が巨体を揺るがし安定を失わせる。
横転させるには至らなかったが、体勢を片側へと偏らせ、もう片方の側面に空間的な余裕を作り出す。
「今だっ!」
この瞬間を見逃すわけにはいかない。
俺は間髪入れず、ガーネットとエディを引き連れて全速力で魔獣スコルの側面を駆け抜けた。
――ルーク達が魔獣スコルの後方へ駆け出していった直後、ノワールはスコルが姿勢制御の最中に大きく後方へ振り返ったのを見た。
ほんの一瞬の間に、普段の何倍もの思考が頭の中を駆け巡る。
明らかに魔獣スコルはルークを唯一の敵と認識している。
自分達はそれの邪魔をする十把一絡げの障害物。
進行方向上にいるから排除を試みているだけであり、ルークが後ろへ回り込むなら相手をする価値などないというわけだ。
これまでの拘束と足止めは『前進を防ぐため』のものだった。
振り返り後ろへ飛びかかろうとする動きには効果を発揮しきれず、まるでスローモーションのような視界の中で、ぶちぶちと着実に引きちぎれていく。
眷属のフェンリルウルフはその場に残されたまま、サクラ達の足止めに振り向けられるようだ。
止めなければならない。それは確かだ。
けれど、自分の力だけで成し遂げられるのだろうか。
「(――――違う)」
自分の力だけで挑む必要はないし、それだけではきっと無理だ。
いくら怖くても、どれだけ嫌な記憶が脳裏を過ぎっても、今の自分には選ばなければならない選択肢がある。
「……ノルズリ! 合わ、せろ……!」
発動させた魔法の黒い泥濘が、魔獣スコルを絡め取らんと幾本もの触腕を伸ばす。
「凝結せよ……!」
固まったタールのようなロープ状の泥濘が巨体の突進の出掛かりを挫く。
しかし、これだけではスコルを引き止めるには足りなさ過ぎる。
一秒程度の遅延を生むのが精一杯だろう。
だからこそ、魔将の力が必要なのだ。
「私に命令するな!」
怒号と共に魔力が迸る。
タールフラッドを伝って冷気が走り、スコルの前脚の関節を凍結させた。
これで三秒追加。
更にノワールは別の魔法を発動させ、灼熱を放たんと開かれた顎に狙いを定めた。
「……シャドウバインド……!」
漆黒の影の輪がスコルの口吻の周囲に出現。
ノワールが両手で握り潰すような身振りをしたのに合わせ、影の輪が勢いよく縮小してスコルの顎を強引に閉じさせた。
スコルが口を開けんと力を込めて影の輪を軋ませ、そのフィードバックがノワールの手を弾き飛ばそうとする。
その圧力を細腕で必死に耐えながら、ノワールは氷の拘束を強めるノルズリを横目で見やった。
「ふん……あの戦争の折、貴様を取り逃がしたのも我らを敗北せしめたミスの一つだったな。これくらいはしてもらねば、我らの面子も立たんというものだ」
「……私、は……臆病な……だけだ。臆病、だから……逃げ出して……臆病、だから……失望、されるのが、怖いから……戦う……だけ、なんだ……」
地上には、こんなどうしようもない自分に敬意を抱いてくれる少女がいる。
心の底から応援してくれて、心の底から心配してくれる優しい子だ。
戦いを終えて地上に戻った後で、怖い魔族が隣にいたからすべきことをできなかったと報告する勇気は、とてもじゃないが持ち合わせてはない。
失望されるのが怖い。
仕方がなかったと杓子定規な慰めをされるのが怖い。
憧憬の薄れた眼差しを向けられてしまうのが怖い。
そんな恐怖と比べれば、魔王軍の魔将と肩を並べて互いに利用し合う恐怖など、気にかける価値もない些細なことだ。
「恐れを持たない戦士などアウストリのような蛮人くらいのものだ。この私とて、陛下の信を失うことは死にも勝る恐怖! それを避けるためならば、怨敵に背中を預けることだろうと躊躇はない!」
ノルズリは魔力を更に滾らせ、魔獣スコルの巨大な上半身の半分を一瞬のうちに氷の中へと閉じ込めた。
その動機に妙な親近感を覚えながら、ノワールもまた拘束に注ぎ込む魔力の増量を加速させていった。




