第376話 死闘の終わりを視る瞳
現状で出せる指示を全て出し切って、俺は全神経と魔力を『叡智の右眼』へと集中させていった。
大広間の壁面、天井、床の裏を流れる魔力。
それらは俺達の対面に位置する壁に無理やり集約され、そこから異形の管の束を通じて魔獣スコルに流れ込み、再生力や灼熱のエネルギーを供給している。
ならば、最初に試すべきは経路の物理的な寸断だ。
「サクラ! 後ろの管の切断を試してくれ!」
「畏まりました!」
「あくまで様子見! 危ないと思ったらすぐに離脱だ! いいな!」
俺の言葉が終わるが早いか、サクラは【縮地】でスコルの後方に移動して、千年を経た大木よりも遥かに太い束に桜色の刃を振るった。
そして管の表面を蹴って再度の【縮地】を発動。
魔獣スコル本体やフェンリルウルフの群れと争う前衛を越えて、俺とガーネットのすぐ隣に着地した。
「どうだ? 手応えはあったか」
「切断自体は問題なく可能です。しかし……凄まじい熱を放っていて接近自体が酷く苦痛なうえ、切断面もすぐに再生されてしまいます。それに……」
サクラは汗を滲ませながら言葉を濁す。
ほんの一瞬とはいえ灼熱に身を晒した体温を下げるための発汗だけでなく、見てはならないものを見てしまった冷や汗も混ざっているように感じられた。
「……斬撃を見舞った直後、管の表面に……その、眼球が……いくつもの『目』が浮かび上がったような……」
「目だって?」
「悪寒を覚えてすぐさま離脱したので、何かの見間違いであった可能性も否めません」
その報告を受け、俺は『叡智の右眼』で供給管の束を見据えようとしたが、スコルの巨体が邪魔になって視線が通らなかった。
ただの障害物なら無視できるかもしれなかったが、相手は膨大な魔力を漲らせた大魔獣。
スコルの魔力が分厚い壁となって真っ先に『右眼』の視覚に反応してしまい、それよりも奥の状況を確かめることが難しい。
「とことん気味が悪ぃな、クソッ。白狼の、次はどうする!」
「……再生力の限界、もしくは再生の核になる部分があればいいんだが……」
頭で考えても答えは出ない。
実際に行動を起こし、その様子を『右眼』で分析していくしか、今の俺にできそうなことはなかった。
悩む時間も勿体ないと割り切って、前衛の面々へと再び指示を飛ばす。
「最大火力を正面から叩き込んでみてくれ! あいつの再生の限界を確かめたい!」
「それなら姉さんが!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! いくらなんでも手が空かないから!」
勇者エゼルと騎士ライオネル、そしてダスティン達はフェンリルウルフの群れを片っ端から仕留め続けているが、その戦いが終わりを迎える気配はない。
そこにサクラが合流してもなお押し切れないほどのペースで、フェンリルウルフが次から次に生成され続けているからだ。
しかも前衛の脅威はそれだけではない。
スコルと壁面を繋ぐ束から分離した管が、その先端をまるで牙のように変化させて、スコルの体の一部である触手か何かのように襲いかかってくるのだ。
無論、それらの一部は後方で指示を飛ばす俺の方にも振り向けられたが、今のところはエディの魔道具や俺の呪装弾、そして最後の守りのガーネットによって防ぎ止められている。
「ノワールとノルズリの援護は……難しいか……!」
俺は現状を俯瞰して歯噛みした。
魔獣スコルは触手や眷属に戦いを任せて傍観しているわけではない。
すぐにでも俺を噛み砕かんと上半身だけの肉体を暴れさせようとし、そのたびにノワールの呪縛や泥状の影の拘束、そしてノルズリの凍結によって食い止められている。
それも決して二人が圧倒的有利というわけではない。
いわば動きの出掛かりを二人がかりで潰している状況であり、魔力が尽きるまでの時間稼ぎに過ぎないのだ。
「――私を見くびるな、人間ッ!」
俺が溢した言葉を侮蔑と受け取ったのか、ノルズリは激憤と共に渾身の魔力を炸裂させ、スコルの上半身全体を巨大な氷塊で封じ込めた。
目に見える速度で溶けてひび割れていく氷塊。
煮え滾る油を氷の皿で受け止めるよりも更に無謀な拘束であり、たったの十秒も維持できないことは明らかだ。
しかし、たったそれだけでも眷属と触手の追加が停止したことは、エゼルにとって値千金の好機であった。
「今だっ! 天剣招来、この手に集え!」
高く掲げたドワーフの宝剣に、百を越える輝かしい魔力の刃が折り重なるように収束していく。
その積層は剣身のみならずエゼルの腕までも包み込み、まるで腕を覆う鎧と一体になった騎乗槍の如き輪郭を成していった。
「さすがにこんな出力でぶっ放すのは初めてだけど……切り札、いくよ! ――光輝一閃!」
氷塊の拘束が砕け散った次の瞬間、エゼルが繰り出した刺突と共に黄金の魔力の一撃が放出され、魔獣スコルの頭部を、胸部を、そして背部を吹き飛ばす。
巨獣は肉体の中央部を跡形もなく喪失し、前脚と体の表面の一部、そして壁へと繋がる管の束を残して消滅した。
「どうだっ!」
「……さすがに、想像以上だぞ」
硬直しかけた思考を叩き起こし、残骸を『右眼』で観察する。
意外にも、残された部位は生命活動を含めた様々な活動を停止して、ただの残骸として沈黙していた。
「まさか、これで終わったのか……?」
――しかし、現実はそんな淡い期待を容易く踏み潰していった。
管の束が突如として大蛇のようにのたうったかと思うと、その断面を床面に叩きつけて、眷属のフェンリルウルフを生み出すのと同様の手段で何かを生み出そうとする。
即座にその意図を察したダスティンとライオネルが破壊を試みるも、スコルの胴体と同等の厚みを持つそれを斬り倒すには至らず、内側から何かが生まれ出る寸前に飛び退いた。
それは先程までと全く同じ、管の束によって壁面と連結した魔獣スコルの上半身であった。
「嘘……でしょ……?」
勇者エゼルは唖然と目を剥いている。
自身の最高火力、しかも新たな剣によって大幅に強化された一撃を繰り出したにもかかわらず、結果は傷一つ残さない完全再生。
言葉を発していない連中も――ダスティンあたりは別だろうが――内心では大きな絶望感を覚えていることだろう。
だが、その絶望は不要なものだ。
エゼルの渾身の一撃は無駄などではない。
待ち望んだ瞬間をもたらしてくれた、まさしく決定的な一撃だった。
「ありがとう、勇者エゼル。おかげでようやく視えたよ。あいつを今この場で打ち倒す方法が!」




