第374話 世界の終わる瞬間
「あいつはこの階層の天井から魔力を吸い上げて、肉体を再生させようとしているんだろ? 発光機能が停止して夜が明けなくなったのもそのせいで……つまりこの階層は、あいつに太陽を喰われてしまったわけだ」
俺達が管理者フラクシヌスから託された課題、地下空間天井部の発光機能の停止の解決。
アスロポリスの住人達を悩ませ、いずれはこの階層の動植物を根絶させかねない異常現象の原因は、古の魔獣が肉体再生のために寄生し魔力を吸い上げていたからだった――
こんなことを一体誰が想像できただろう。
まさしく異常事態、想定の範囲外の出来事である。
「どうする、あれの破壊を試みるか。決断はお前が下せ」
二振りの魔槍を携えたダスティンが、巨狼スコルを見据えながら判断を委ねてくる。
確かに、今この場で判断を下すべき立場なのは団長である俺だ。
手に余るだの何だのと弱音を吐くことなど許されない。
けれど問題は、果たして戦って勝てるかどうか、そして他にもっと効率的で安全な手段があるのかどうか。
「……相手が動かないなら、まずは情報を集めてからだ」
俺は右目に手を翳して【分解】を発動させ、右眼球を『叡智の右眼』へと変換した。
青い炎のような魔力の塊に姿を変えた眼球が、眩い光に満たされた大部屋に秘匿された構造を見つけ出す。
「壁面……天井……床にも魔力の流れが埋め込まれているのか。部屋中に色々な仕掛けがあったみたいだけど、それらに流れる魔力の経路が捻じ曲げられて……」
まるで幾何学的な河川のように、壁や床の内側で分岐と合流を繰り返す魔力の流れ。
恐らくはダンジョンにありがちな各種のギミックを動かすため、必要な魔力を供給する経路だったのだろう。
しかしそれらは途中で強引に歪められ、強引にとある一箇所へと集中させられていた。
「……行き着く先はあの巨獣。どうにかして魔力の流入を断ち切れないか……?」
魔獣スコルが魔力を吸い上げていることが原因なら、その流れを断ち切ってやれば状況の改善が見込めるはずだ。
「丁寧にやらないと起こしちゃうかもしれないけど」
「分かってる。でもそういうことを気にするのは、魔力を遮断する手段を見つけてからだ」
勇者エゼルの忠告を肯定しながら、スコルが眠る方向から遡るようにして、魔力が流れる経路を『叡智の右眼』で追っていく。
さながら、紙に描かれた迷路をゴールから解いていくようなものだ。
あれらが何らかの仕掛けを制御するための魔力供給経路であるのなら、その仕掛けと供給を管理する手段がどこかにあるはず。
こいつを探して操作したり破壊したりするのは、冒険者のダンジョン探索において、正面突破が困難なギミックを攻略するときの常套手段である。
「……あった、あれだ。皆、こっちに来てくれ」
螺旋階段に繋がる出入り口が大広間のおおよそ中央の壁にあり、そこから見て上手に魔獣スコルが眠っているとすれば、反対側に位置する下手の壁面。
俺はその壁際に皆を呼び寄せてから、壁の一部に偽装された操作レバーを引き起こした。
がしゃん、と物理的な機巧が作動する音がして、横長の操作盤がまるで机の引き出しのように壁から姿を現した。
「多分これで魔力の流れを制御できるはずだ。ノワール、ヒルド。何とかできそうか?」
「私がやってみます。行き詰まったらノワールさんも手伝ってください」
ヒルドが自ら前に進み出て操作盤に手を伸ばす。
手元の操作に連動して、眼前の壁面に魔力の発光で文字や記号が浮かび上がっては消えていく。
「一番楽な展開は、これだけで異常が直ってスコルも眠ったままっていうパターンなんだが……」
ガーネットに冗談めかしてそんなことを言った瞬間、右眼が映す風景が突如として歪み捻じ曲がる。
「……なっ……!」
瞬く間に左目の視界も闇に包まれたかと思うと、俺達がいる大広間とは全く違う光景が目の前に広がった。
――吹き荒れる粉塵が空を覆っている。
空は昏く、地は荒れ果て、一呼吸だけで死に至りそうな瘴気が地表を覆う。
眼前に聳えるあまりにも巨大な影。
最初、それは山であるかのように思われた。
しかしその実態は、周囲で最も大きな山岳に前脚を置いた、文字通り天を衝き雲を貫く巨狼の姿であった。
対峙する俺は、この視界の持ち主は、無論ルーク・ホワイトウルフなどではない。
ネームレス、知恵者、あるいはアルファズル。
それらの名で呼ばれる男が、足場も翼もなく宙に浮かび、身の丈を優に凌駕する長槍を携えて大魔獣と向かい合っていた。
巨狼が咆哮する。
たったそれだけで雲と粉塵が消し飛び、地表が震えひび割れ、大地が形を変えていく。
視界を遮るものが吹き飛んだことで、本来であれば雲よりも大山岳よりも高い位置に浮かぶアルファズルの視点から、より広い範囲の光景を視認することができるようになる。
――地平線よりも更に向こうで鎌首をもたげ、空よりも高く頭を伸ばす規格外の大蛇。
――その影だけで一つの国に夜をもたらしうる翼長の、牙と爪を突き立てあって相争う漆黒のドラゴンと大鷲。
――北方の空から緩やかに姿を表す巨大な空を飛ぶ戦艦。
視界に映る何もかもが常軌を逸している。
これが世界の終わる瞬間なのだと本能的に理解してしまう。
しかしアルファズルは一欠片ほどの恐れもなく、怒りと決意に満ちた顔で巨狼と対峙し続けている。
『……ガンダルフ、エイル、炫日女……フラクシヌス、イーヴァルディ……』
アルファズルは長大な槍を構え、仲間達の名を口にしながら、強大な魔法の発動に備えて魔力を高めていった。
『今生で会うことはもうないだろうが……なに、楽しかったさ……本当にな。縁があればまた……後の生で会うとしよう……!』
魔力が凄まじい光を放ち、地上に太陽が顕現したと錯覚せんばかりの輝きを生む。
その眩さに塗り潰されるかのようにして、俺の意識は再び遠ざかっていった――
「――ク! ルーク! おい、ルーク!」
再び意識を取り戻したそのとき、目の前にあったのは焦りに満ちたガーネットの顔だった。
「よかった、気がついたか! いきなりぶっ倒れそうになりやがって……!」
「悪い……何かの記憶が頭に……多分あれは、アルファズルの……」
「……ったく、心配させんじゃねぇよ」
ガーネットに体を支えられながら意識をハッキリさせようとしていると、横合いからエゼルの激しい言葉が投げかけられた。
「いい雰囲気になるのは後にして! 今はそれどころじゃないから!」
普段のからかいとは全く違う、焦りと動揺に急き立てられた声。
俺は何らかの異常が起きたのだと悟って顔を上げ、そしてすぐにその原因を理解した。
「魔獣が……スコルが! 目を覚ましたのよ!」




