第373話 太陽を喰らうもの 後編
「面倒な奴だ」
忌々しげに舌打ちを一つしてから、ノルズリは話を本題に引き戻した。
「私は当時のことは詳しくない。我らの軍勢において、その時代を生きたのは陛下とヴェストリくらいのものだ。過去の出来事を知りたければ、フラクシヌスにでも頭を下げればいいだろう」
魔王軍四魔将、土のヴェストリ。
数百年を若々しいままに生きるエルフの端くれでありながら、老いさらばえた老人となるほどの年月を過ごしてきた存在だ。
「だが、これだけは陛下より聞き及んでいる。フェンリルはアルファズルが命と引き換えに討ち果たしたとな」
「アルファズルが……となるとやはり、フェンリルとやらが蹂躙したっていう文明は古代魔法文明のことか……」
俺は足を緩めずに階段を駆け上がりながら、片手で右目の周りを押さえた。
アルファズル。それは古代魔法文明の最末期を生き、現代においても様々な形で語り継がれている人間の名前だ。
――『魔王城領域』のドワーフ曰く、このダンジョン全体の創造主であり神として崇められる信仰対象。
――キングスウェル公爵領を含めた地上の一部地域の住人曰く、該当地域で信仰される知識と学問の神『知恵者』の別名。
――北方樹海連合のエイル曰く、文明の崩壊が不可避であることを予測し、滅亡に備えた施策を整えて人類を存続させ、その後の再臨を予言した男。
――そして、魔王ガンダルフとの戦いで死にかけた俺の精神の中に現れ、右眼球を『叡智の右眼』に変える術を与えた存在。
また、魔王ガンダルフは俺を『アルファズルに連なる者』と呼んだ。
アルファズルが創造した迷宮を彷徨い歩くうちに、何らかの理由によって、アルファズルの力を色濃く受け継ぐ存在になりつつあったのだと。
一体どのように古代魔法文明が滅亡し、どのように人類を存続させたのかはずっと不明のままだったが、後世に再臨する手段とやらだけは想像がついている。
かつて俺に対して肉体を明け渡せと要求したのと同様、俺のように近付いてしまった者の肉体を手に入れることでそれを実現しようとしていたのだ。
さながら、サクラが神降ろしの暴走で、火之炫日女なる存在に体を奪われかけたのと同じように。
「(アルファズル……ガンダルフ……エイル……火之炫日女……樹人……まさか……)」
以前、北方樹海連合の議員にして、『白亜の妖精郷』に住まうハイエルフのエイルと争ったときのことを思い出す。
あれは『叡智の右眼』に内包された記憶の世界に引きずり込まれた俺達と、記憶世界の情報を持ち帰らせまいとするエイルのせめぎ合いだった。
最終的に、俺達は記憶を奪われることなく脱出に成功したものの、再びあの空間へ入り込めないよう締め出されるという結末を迎えた。
そのときに見た光景の一つが、若き日のアルファズルと仲間達の姿であった。
アルファズル、ガンダルフ、エイル、火之炫日女。
名も知れぬドワーフ、そして――樹人。
今は確かめることもできない想像に過ぎないけれど、まさかあの樹人こそが、在りし日の管理者フラクシヌスではなかったのだろうか。
道理でヒルドが外聞もなく興奮するはずである。
俺達は知らぬ間に、古代魔法文明の滅亡の秘密に近付いていたのだから。
「フェンリルの死はガンダルフ陛下が直々にお確かめになられた。しかし三体の眷属は撃破されたこと自体は間違いないものの、確実に死亡したかどうかまでは不明瞭なままだった」
「魔王の言っていることが正しければ、だな」
「口を慎め。陛下に誤謬などありはしない」
ノルズリは一瞬だけこちらを睨み、すぐに視線を前へ戻した。
「……じきに塔の頂上だ。まずは現物をその目に焼き付けるがいい」
螺旋階段を踏破したその先に広がっていたのは、眩い光に満たされた広大な空間だった。
光は上からではなく、とある一方向から横殴りに降り注いできている。
肌がジリジリと焼け付くように熱く、呼吸すら苦痛に感じてしまいそうになる。
あまりの眩しさに視覚がよく働かないが、空間の広さは町の一区画がすっぽりと収まる程だろうか。
「見ろ。光が生じている方向だ」
「無茶言うなよ……!」
「泣き言は聞かん。目を凝らせ。すぐに分かる」
内心で毒づきながらも、ノルズリから言われるがままに目を凝らす。
光の洪水の奥、向かい側の壁の形状に何やら違和感がある。
垂直の壁面ではなく妙に大きな起伏があるような……。
「……あ、あれは……まさか……」
違和感の正体に気付いてしまった瞬間、俺はもはや言葉を失うより他になくなってしまった。
巨大な――あまりにも巨大な狼の前半分が、壁面と融合するようにして横たわっている。
より正確に言えば、頭部と胸部と前脚だけが壁面から突き出ている状態だ。
頭を起こせば天井にぶつかってしまうのではと思えるほどの巨体。
残りの部位は壁に埋まっている……いや、そもそも他の部位は存在せず、限られた部位だけが壁面に張り付いているかのようだった。
「体表に浮かんだ模様から察するに、あれは大魔獣フェンリルの眷属の一体……スコルと呼ばれた魔獣だ」
ノルズリは臨戦態勢を取ろうとしたサクラとガーネットを制しながら、落ち着いた様子で更に言葉を重ねた。
「アレは身を守る必要が生じた場合にのみ動く。私も遠巻きに観察していた分には微動だにしなかったが、破壊を試みた途端に反撃の熱線を浴びてあのざまだ」
「ちっ……それでふっ飛ばされて落っこちてきたわけか」
「緊急離脱を試みたと言ってもらおう」
歯噛みするガーネットを一瞥してから、ノルズリは俺達全員をぐるりと見渡した。
「スコルの肉体は、話に聞いていたよりも小さく萎びている。恐らく未だ肉体の再生途上にあるのだろう」
「おいおい、冗談じゃねぇぞ。既に家一軒を丸呑みできそうなサイズじゃねぇか。アレよりまだでかくなるってのか?」
「少なくとも本来のスコルならば、そこで眠っている今のスコルを、ほんの一口で飲み込める規模だったはずだ。フェンリルは更にそれが赤子同然に思える巨体だったらしいがな」
大真面目にそう答えられ、ガーネットは剣の柄を握り込みながら絶句した。
この状況でノルズリが冗談を飛ばしたとは到底思えない。
奴が魔王ガンダルフに教わった情報が正しければという前提ではあるが、本来の魔獣スコルは文字通り山のような巨体を誇っていたのだろう。
「白狼の森のルーク。貴様の『右眼』ならば、ここで何が起きているか見抜けるのではないか?」
「……こんなの『右眼』を使うまでもないじゃないか」
ノルズリの挑発的な発言を受けながら、目を細めて眩しさを堪え、光の洪水の向こうに横臥する上体だけの巨狼を睨む。
他の皆もきっと同じ考えに至っていることだろう。
根拠もなくそう確信してしまうくらい、目の前の光景は圧倒的な存在感を放っていた。
「あいつはこの階層の天井から魔力を吸い上げて、肉体を再生させようとしているんだろ? 発光機能が停止して夜が明けなくなったのもそのせいで……つまりこの階層は、あいつに太陽を喰われてしまったわけだ」
本日で連載開始からちょうど一年が経過しました。
ここまで連載を続けることができたのは皆様の応援のおかげです。
それともうひとつご報告があります。
書籍版第3巻の発売が12月10日に決定しました。
https://kadokawabooks.jp/product/2019/12/
https://kadokawabooks.jp/product/syuuhukusukirugabannnou/321908000169.html
前巻から3ヶ月での続刊ということで、正直かなりの驚きでした。
11月29日発売のコミカライズ単行本ともども、どうぞよろしくお願いします。




