第365話 フラクシヌスの要求
ポプルスが恭しく頭を下げた相手は、人でもなければ生物でもない。
大議事堂の奥の壁、その内側から淡い光を漏れさせる巨大な魔力の塊であった。
『見苦しいと思わせてしまったなら謝罪します。この通り、今の私はここから動くことができない体――先程、不躾にも分身体でご挨拶をした理由、分かっていただけましたか?』
俺はただ愕然とそれを見上げることしかできなかった。
魔族は姿形こそ人間と違えど、れっきとした生物であることに変わりはない。
しかし目の前で光を放ち、頭の中に直接届くような声を発するあれは、とてもじゃないが生物とは思えない存在である。
ダンジョン慣れしていないガーネット達は元より、それなりの経験を積んでいるはずの勇者エゼル達も、俺と同様に我が目を疑っているようだった。
俺達の中で平静を保っているのは、唯一ダスティンだけである。
「何らかの理由で肉体を失ったか。俺が討った魔王の一人も似たような有様になっていた。あのときとは魔力の圧が違いすぎるがな……」
ダスティンが管理者フラクシヌスと思しき輝きを見据えながら呟く。
俺はそれを聞き、珍しいだけでありえない現象ではないのだと認識を改め、気を取り直して交渉を開始することにした。
驚いてしまうのは当然の反応かもしれないが、やるべきことを済ませるまで後回しだ。
「管理者フラクシヌス。地上の代表として交渉をさせていただきたい」
『もちろんです。そのためにここまでお呼びしたのですから』
白狼騎士団から持ちかける交渉内容は、大きく分けて二つ。
一つは、深層領域へ逃れたと思しき魔王軍に関する情報提供の要請。
もう一つは、この中立都市アスロポリスを、冒険者の探索拠点として利用することを認めてもらいたいというものだ。
当然、交渉である以上はこちらが一方的に要求を突きつけるわけではなく、見返りに向こうの希望を聞き入れるという前提である。
まずはこちらの希望を伝え、フラクシヌスがそれに見合うと考えた条件を提示してもらい、不釣り合いと感じれば互いに条件変更の余地を探り合う――今はそのための一歩目を踏み出した段階だ。
『中立を掲げている以上、一つ目の要請を受け入れることはできません。ですが我々に申請をしたうえで、住民達に協力を要請するというならば、私達もそれを止めることはいたしません』
「……分かりました。最初に三条件を提示された時点で、これは無理だろうと思っていましたよ」
『察するに、地上の勢力に対する義理立てといったところでしょうか。貴方も大変な立場のようだ』
フラクシヌスに背景を見透かされてしまい、思わず苦笑する。
この要請は、通らないかもしれないが一応試みてくれという前提で、黄金牙騎士団から頼まれていたものだ。
とりあえず提案だけしておいて、やはり無理だったという返答を持ち帰ろうとしたのだが。
『二つ目の要請はやぶさかではありません。町を拠点として魔王軍と争うのであれば拒絶していましたが、直接的な目的が探索ならその必要もないでしょう』
「探索成果が魔王軍との戦いを有利に進めるものだとしても……ですか?」
『許容範囲内です。貴方達だけではなく、全ての種族と勢力が同じ条件で滞在しています。ですが……』
管理者フラクシヌスは思わせ振りに一旦言葉を切った。
考え込んでいるのか、それとも俺達の反応を窺っているのか。
顔色はおろか、姿形すら見えないせいで考えを読むのが難しい。
『……この町の恩恵を受けるためには、都市の安全と中立を保つための奉仕活動を請け負う必要がある。先程そう申し上げましたね』
「はい。そして、受け入れ難いものであれば拒否して町を出れば良い、とも」
『貢献の内容は時と場合によって様々ですが、原則としてそれぞれの余裕の大きさに応じた義務を背負っていただきます』
告げられるであろう内容を予想しながら、一言一句たりとも聞き逃さないように意識を集中させる。
『追い詰められ逃げ延びたのではなく、充分な備えを整えて訪れる地上の人間達……彼らを客人として受け入れ、町の恩恵を分け与える条件として、今ここにいる貴方達にお願いしたいことがあります』
「それは……どのような?」
やはりそうきたか、という気分だった。
様々な原因で中立都市に転がり込んできた者に大きすぎる要求を突きつけても、まず間違いなく達成することはできないだろう。
逆に、余裕たっぷりな連中に軽すぎる要求をすれば、余裕のない連中が不公平だと不満を抱く原因になりかねない。
そう考えると、グリーンホロウという平和で安定した拠点を持つ俺達は、相応に重い要求を突きつけられてもおかしくないのだが――
『この階層から光が失われて久しく、人心は不安と恐怖で乱れ続けています。しかしながら、私はこの町の維持と守護に力を注がざるを得ず、抜本的な対応にあたることができません。そこで……貴方達には光を取り戻していただきたい』
――いくらなんでも、こんな要求は想定外だった。
「ちょ……ちょっと待ってください! 天井を元に戻せだなんて、そんなこと言われても……!」
「……そ、そうか……! 【修復】、スキル……!」
焦る俺の背後で、ノワールが何の前触れもなく大きな声を上げる。
しかしノワールはこの場の全員から一斉に視線を浴びせられたことで押し黙ってしまい、代わりに意図を察したヒルドが説明を引き継いだ。
「地下空間の天井の発光機能が故障したことで『朝』が失われたのなら、ルーク団長の【修復】スキルで復旧させることができるかもしれない。そういうことですね」
「……いや、ちょっと待て。一体どれだけの面積があると思ってるんだ。俺個人の魔力なら家一軒が限界だし、魔力結晶を使うにしてもどれだけかき集める必要があるのか……」
俺はかれこれ一年以上に渡り、進化した【修復】スキルと付き合い使いこなしてきた。
だからこそ、現時点における限界も熟知しているし、地下空間の天井全体の【修復】が現実的でないことも理解している。
こいつは純粋なエネルギーリソースの問題だ。
スキル性能がどれだけ高かろうと、広範囲に効果を及ぼせるかどうかは、注ぎ込むことができる魔力の量だけに左右される。
そして俺の保有魔力そのものは、スキルがどれだけ進化しようと人並み程度のままなのだ。
『ご心配には及びません。システムのどこに障害が発生しているのかは分析済みです。現地は魔獣フェンリルウルフの巣窟と化しておりますが、こちらからも戦力を派遣させていただきます』
「つまり、後は現地に赴いて、フェンリルウルフを退けながら【修復】をすればいいと……」
『ご出発なされるまでは都市内でお休みください。冒険者の受け入れは貢献の達成後となりますが、この場にいる貴方達は既に客人。どうぞ旅の疲れを癒やしていただきたい』
俺は俯き気味に額を押さえた。
逃げ道が一つ一つ丁寧に潰されている感すらある。
この流れで要請を拒むなら、俺個人の拒否感以外に理由が思い浮かばない。
「……分かりました。ですが、現地の様子を見て復元不可能だと判明した場合は、条件を別のものに変更してもらえませんか」
『構いません。それではルーク・ホワイトウルフ殿。この階層の朝を貴方に託します』
託されたところで背負いきれるか怪しい重荷だったが、俺はどうにか弱音を飲み込んで、首を縦に振って了承の意志を示したのだった。




