第360話 アスロポリスへの道 前編
――深層領域を目指して出発する日の早朝、俺達は騎士団本部の前で最後の準備を整えていた。
朝日が完全に昇り切る頃には移動を開始できるように、八頭の馬の鞍にそれぞれ物資を積み込んでいく。
もう少しで用意を終わるという頃になって、留守を守ってくれる面々が見送りにきてくれた。
留守番組のマークとソフィア、そしてシルヴィア。
彼らに任せておけば本部の保守は心配ないだろうと信じられる顔触れだ。
「ルークさん。一食分だけですけど、皆さんのお弁当を作ってきました。お城までの移動中に食べてください」
「おっ、ありがとな。助かるよ」
「うちからお手伝いに出した人がお城にいますから、容器はその人に預けてくださいね」
うっすらと朝霧が漂う中、普段と変わらないやり取りを交わし合う。
新たに発見された魔族の町へ向かい、その町の管理者を名乗る樹人のフラクシヌスとの交渉に臨む――俺達が背負った役割は今までにないものだったが、それでもシルヴィアはいつも通りだ。
――脚の前で揃えた両手にぐっと力が籠もっている。
湧き上がってくる不安や心配を飲み込んで、努めて笑顔で送り出そうとしてくれているのだろう。
俺達が安心して出発できるように。
「大丈夫。現地ではAランクの誰かも合流してくれるって話だしな」
「本当ですか? やっぱりトラヴィスさん……それともロイさん?」
「さぁ、その辺りはまだ何とも。向こうで色々と調整中らしい」
少なくともセオドアではないことだけは確かだ。
あの筋金入りのドラゴン狩り愛好者が、まだドラゴンの存在が確認されていない深層領域に足を運ぶとは思えない。
きっとあいつは『魔王城領域』の奥地にあるという、ドラゴンの出現地点ではと目される縦穴の調査に熱中していることだろう。
いずれはあちらの手伝いもする約束になっているのだが、今は深層領域に注力しなければならないし、セオドアもそれで納得してくれている。
「おい白狼の。ノワールも積み終わったぜ」
「分かった。それじゃ、そろそろ出発しようか」
不慣れな馬具に悪戦苦闘していたノワールも積み込みを済ませ、いよいよ全ての準備が完了する。
「皆さーん! 頑張ってくださいねー!」
シルヴィアの明朗な声に見送られながら、俺達は各々の馬にまたがって騎士団本部を発ったのだった。
――それから先、魔王城地下の迷宮を抜けるところまでは、特に語るべきこともない安定した道のりであった。
地下空間の荒野に整備されつつある街道を通り、擬似的に再現された空が夕暮れを迎える頃には魔王城に到着する。
黄金牙騎士団の管理下で冒険者向けに開放された城内で一泊し、二日目の朝を迎えてすぐに城の地下の迷宮を通り抜ける。
この迷宮は未だに全貌が明らかになっていないが、深層領域までの経路は確保されているので、解答を見ながら迷路を解くかのごとく容易に通過できるようになっている。
最後に中空の塔の内側に設けられた螺旋階段を下りきれば、その先に深層領域が――正式な名前も付けられていない、森と丘と川と湖によって構成された、常夜の地下空間が広がっているのだ。
「相変わらず暗くて肌寒ぃところだな。本気でずっと夜のままなのかね」
「どうだろうな。いくらダンジョンの植物でも、日照が全くないのに緑色をしてる意味はないだろうし……」
深層領域は、冒険者が辿り着いてから一度も夜が明けていない。
擬似的に空が再現されたダンジョンは、ありふれているとまでは言わないが決して特別ではなく、魔族が暮らすダンジョンの大部分はこの機能を有していると聞いている。
ほとんどの場合は地上の一日の周期とリンクしているのだが、システムの故障かあるいは何らかの意図があるのか、通常とは違うサイクルで昼夜を回す地下空間もあるという。
ならば常に夜で固定されたダンジョンがあっても不思議ではないが、その場合は緑の植物が生い茂っている説明がつかない。
地上の洞窟もそうであるように、光のない空間の動植物はそれに適した形に姿を変えるものだ。
「……ま、その辺りは調査にあたってる冒険者が調べるさ」
「違いねぇ。ひょっとしたら、町の管理者とかいう魔族が何か知ってるかもしれねぇしな」
大いに好奇心を刺激される案件ではあるが、少なくとも今の俺達が探求すべき事柄ではない。
まずは現地でキャンプを張る冒険者から、魔族の町の位置と経路を確認し、現時点における最新の地形と経路が描かれた地図を提供してもらう。
魔王城まで乗ってきた馬は、長い螺旋階段を下ろすことができなかったので、ここから先は徒歩での移動となる。
いずれは例の中空の塔に物資用の昇降機が設けられ、馬などの動物も持ち込めるようになるのかもしれないが、それはまだまだ先の話である。
「かなり迂回して進むんですね。直進できたら今日中には到着できそうなんですけど」
ヒルドが地図を見ながら溢した疑問に、黄金牙のライオネル卿が真面目な返答を返す。
「夜間の森林を通過するのは危険だ。黄金牙は地上が本領だからダンジョンの環境には詳しくないが、この辺りの基本的事項は変わらないだろう」
「なるほど……やっぱり研究室に籠もってたら駄目ですね。こんなに簡単なこともすぐに思い至らないなんて」
インドア派の研究肌であるヒルドと、軍事担当の騎士団として行軍慣れしているライオネルで、同じ地図を見ても思い浮かぶことが違うんだなと分かる会話だった。
俺はそんなやり取りを横目で眺めながら、キャンプを統括している冒険者に声を掛けた。
「ルークさん、お疲れ様です」
「お疲れ。ところで、誰かAランクが合流してくれるっていう話だったと思うんだが、やっぱりロイあたりか?」
「ロイ隊長は周辺の探索に掛かりきりですね。あの地図のアップグレードも必要ですし。なので今回は……」
「俺が同行する。文句は聞かん」
冒険者の言葉を遮るようにして、天幕の奥から幽鬼のような顔の男がゆらりと姿を現す。
二振りの魔槍を携えた戦士然とした冒険者。
トラヴィスと並ぶ昔馴染みのAランク、二槍使いのダスティン。
「お前が一緒に? 珍しいな、どういう風の吹き回しだ」
「アスロポリスと管理者フラクシヌスはあらゆる勢力に中立なのだろう? お前も察しているだろうが、魔王軍に対しても中立を保ち、町に受け入れている可能性は否定できまい。俺が動く理由としては充分だ」
「……もしかしたら魔王ガンダルフがいるかもしれない。そう期待してるってわけか」
ダスティンが持つもう一つの二つ名――それは魔王狩りだ。
かつてのパートナーをとある魔王の配下に殺されて以来、魔王を名乗る存在を討つことに全てを懸け、勇者の肩書を持つ者達を除けば史上最多の討伐数を誇るに至ったことが二つ名の由来だ。
魔王ガンダルフを討つ可能性があるなら、確かに自ら進んで動くに決まっている。
「そんなに都合のいい状況になっているとは思えないが、お前なら実力的にはこれ以上ないな。よろしく頼む」
握手のために差し出した手を一瞥すると、ダスティンはそれを握ることなく天幕の裏へと歩きだしてしまった。
「言われるまでもない。俺は魔王を討つためだけにいるのだからな」




