第359話 未踏に挑む下準備
その次の日から、俺は魔族の町に赴くための準備に奔走することになった。
備えなければならないものはたくさんあるが、まず確保しておくべきなのは食料だ。
深層領域は探索が始まったばかりで、棲息している動植物のどれが食べられるのかもあまり分かっていない。
今はまだ、持ち込んだ食料を中心に食いつなぐのが安全策であり、出来る限り長期保存ができるものを買い付けておく必要があるのだ。
ということで、今日は前々からよく世話になっている地元の業者を訪れ、八人分の食料を手配しようとしているところだった。
「ふむふむ……やはりビスケットや干し肉を中心にした方がいいか?」
「いや、さすがに何ヶ月も潜るつもりはないからな。しばらく持てばそれで充分だ。長引きそうなら冒険者ギルド経由で追加の物資を補給すればいい」
冒険者達の活動に伴うインフラ整備の恩恵で、馬と駅を活用すれば、『魔王城領域』を抜けて深層領域に辿り着くまでに一両日も掛からなくなっている。
そこから目的地のアスロポリスに向かい、管理者のフラクシヌスとの話し合いを済ませ――黄金牙の管理下にある魔王城を含めた途中の拠点の世話になることも考えれば、一週間分の備えがあれば充分だろう。
交渉が長引きそうなら、現地の冒険者に上の階層へ戻ってもらい、魔王城の黄金牙あたりから食料を分けてもらうこともできる。
外部の支援が望めない探索に挑むわけではないのだ。
せっかく整えられてきた環境は大いに頼りにするべきだろう。
「それと一人分は、肉や魚をなるべく使わないようにしたいんだ」
「うん? 信仰上のアレかね。だったらナッツ類で量を補った方がよさそうだな」
「まぁ、そんなところかな。ドライフルーツも多めに頼む。俺と黄金牙の騎士だけなら味気ない飯でもいいんだけどさ」
「ずいぶん華やかだもんなぁ、お前さんとこ。羨ましいぜ」
こうして発注が一通り終わったところで、業者の男は愉快そうに声を上げて笑った。
「さぁて、これでうちの店も領主様御用達ってわけだ。孫の代まで自慢できそうだぞ」
「だから大袈裟なのは止めてくれって言ってるだろ?」
「ははは! 冗談冗談! しかしなぁ……あんまりにもぶっ飛びすぎてて未だに信じられねぇよ」
「俺も同じ気分だよ。最初に聞いた、騎士の端くれにされるかもっていう話の時点で、そんなの身の丈に合わないに決まってるって思ったくらいなのにさ」
ひとまず食料の発注を終え、次は『魔王城領域』を移動するための馬を借りにいくことにする。
最速で目的地を目指すなら『魔王城領域』の途中で馬を取り替えることになるし、そうでなくとも深層領域までは連れ込めないので、魔王城駐屯の黄金牙に預けることになるのだが、それを踏まえても馬は必要不可欠だ。
馬屋のところに行くと、今日は主人の夫妻ではなくその両親が店番をしているらしく、店先に小柄な老婆がちょこんと座っていた。
「おやまぁ、これはこれは領主様。よくいらっしゃいました」
「よしてくださいよ。俺は今も変わらず武器屋のルークなんですから」
「この町に領主様がいらっしゃるなんて、もう何十年ぶりかしらねぇ……私がまだ若かった頃は、当時の領主様に馬を何頭も献上していたんですよ」
「それは凄い。でも俺は献上じゃなくて貸し出し希望ですからね?」
噛み合っているかどうかよく分からない会話を交わしながら、八人分の馬を借りる手続きを済ませていく。
騎士叙勲、騎士団長就任、新騎士団設立――俺は短期間のうちに数段飛ばしで大きすぎる肩書を得てしまった。
この急激な変化に戸惑っているのは俺だけではなく、町の人達も少なからぬ困惑を抱えていた。
だから俺は、意識してこれまでと同じように振る舞っている。
――騎士ではなく、団長ではなく、領主ではなく。
グリーンホロウの武器屋、ホワイトウルフ商店のオーナーとして。
必ずしも、常に俺が望んだような対応を受けられるとは限らないが、それでも意思表示だけはしっかりしておくべきだろう。
「さてと、今日のところはこれくらいにしておくか」
その後もいくつかの業者を巡り、物資の手配を済ませてからホワイトウルフ商店に帰宅する。
裏口からリビングに入ったところで、エリカとレイラが店の方から駆け寄ってきた。
見たところ、やたらといきり立った様子のエリカを、レイラが後ろから見守ろうとしているという構図のようだ。
「店長! 聞きましたよ、今度はノワールさんも連れて潜るそうですね!」
「本人の希望でな。俺が無理に頼んだわけじゃないぞ」
「分かってます! そのときはこれを持っていっていただきたいなと! そういうことです!」
エリカは興奮のままに大きな紙袋を俺の胸に押し付けてきた。
袋の中身は様々な種類と形状の薬のようだ。
ポーションから粉薬、瓶詰めの錠剤まで様々なものが揃っている。
「疲労回復に魔力回復の促進、水が合わなかったときの薬に肌荒れ防止の軟膏に……外傷は店長が治せるとして、湿気に強いヘアオイルも調合しておきました! 前に私も下りたときに、ここで長いこと寝泊まりしてたら髪の毛が大変なことになるなって思ったもので!」
「わ、分かったから一気にまくし立てないでくれ。それとできれば、後でリストも作っておいてくれないか」
エリカはノワールのことを、薬草関連の先輩として人一倍尊敬している。
たまにそれが過剰な心配として噴出することもあるのだが、今回はなかなかに勢いが強いようだ。
まぁ恐らく、エリカ自身も薬師の能力を望まれて深層領域に下り、そこで冒険者を襲った瘴気や魔将スズリの脅威を目の当たりにしたのが原因なのだろう。
ダンジョンに潜った経験が薄いエリカにしてみれば、深層領域がとてつもなく危険な場所だという印象を抱いてしまってもおかしくはない。
「でもな、他は分かるんだが、ヘアオイルって……」
「必要不可欠ですよ! 酷いときは本当に酷いんですから!」
エリカは自分の波打った髪を持ち上げて熱弁を振るった。
しまった、こいつは半可通が適当なことを言ってはいけない分野だったか。
脇で成り行きを見守っているレイラも、何やら呆れ顔を浮かべている。
「わ、分かった分かった。それはそうとだ、俺達がダンジョンに潜っている間は、もしものときの戦える奴がだいたい出払うことになるわけだ。トラヴィスやフェリックス卿に様子を見てくれるよう頼んではあるけど、ちゃんと用心してくれよ」
とにかく話の流れを変えようと、話題を深層領域の方からホワイトウルフ商店の方に移そうとしてみる。
グリーンホロウの治安は良好ではあるものの、万が一ということがないわけではない。
俺としてはその辺りの心配をしたつもりだったのだが、居合わせていたレイラが予想外の反応を示してきた。
「ト、トラヴィス様が!? どうしましょう、ご迷惑になりませんか……?」
「……多分、来るのはパーティメンバーだと思うからな?」
露骨にそわそわとし始めたレイラに、ちゃんと釘を差しておく。
美容の問題に色恋沙汰。年頃の娘は大変だなと思いつつ、そんな年寄り臭い発想に至った自分に、少しだけ自己嫌悪を抱いてしまうのだった。




