第355話 黒魔法使いの昔話
――騎士団本部の開設祝いも兼ねた親睦会は、それなり以上の盛り上がりを見せて成功に終わった。
しかしそれはいいのだが、ついうっかり羽目を外しすぎてしまったらしく、俺もガーネットも帰宅するなりベッドに直行という有様であった。
ろくな準備もせず眠りに落ちてしまい、このままではとてもじゃないが客の前には出られないということで、今日は珍しく朝風呂と洒落込むことになったのだった。
「やっぱ、こういうときは自分ちに風呂があった方が便利だよな。さっさと工事しちまおうぜ」
「……まずは本部の内装工事が終わったらな」
というわけで、春の若葉亭の個室風呂で寝汗を洗い流し、ガーネットが上がってくるのを食堂で待とうとしたところ、隅の席で見慣れた顔の女性が寛いでいることに気が付いた。
「ノワール。他の皆はまだ部屋か?」
「ル……ルークか……偶然、だな……」
本人の了承を得て向かいの席に腰を下ろす。
俺はガーネットが戻ってきてから朝食を取るつもりだし、ノワールは既に食べ終わった後だったので、水だけを貰ってしばし話し込むことにする。
ノワールとはしばらく落ち着いて話す機会を持てなかったから、仕事の件も含めて話しておきたいことが溜まっていたところだ。
「新しい人手の件なんだけど、これまでは【魔道具作製】スキルを使える人材っていう条件で探してただろ? だけど……」
「……普通の、店員を、雇う……案、だろ……?」
「アレクシアから聞いてたのか? お前がやりやすい形で進めたいと思うんだが」
しばし考え込んでから、ノワールはいつもと同じ小さな声で、スタッフの追加雇用についての希望を口にした。
「我儘、を……言えば……スキル持ち、だな。二人、がかりで……やりたい……作業も、ある……から……」
「なるほど、スキル持ちを雇って交代で作業するだけじゃなくて、二人じゃないとできないこともやりたいと。それなら確かに、普通の店員を増やしても意味はないか」
当事者の生の意見に納得を懐きながら頷き返す。
やはり本人から直接話を聞くのは、自分の頭の中だけで考え続けるよりもずっと有用である。
だがこちらの案だと、人材探しが難しくなってしまうのは否めない。
そもそも【魔道具作製】というスキルは、魔法使いが本業用のスキルの他に得る可能性がある、いわゆるサブスキルだ。
俺の【修復】スキルが本来は道具を扱う職業全般のサブスキルで、それ故に【修復】を専業としている者がいないように、魔道具を専門的に作る業者はほとんど存在しないという。
市場流通している魔道具は、魔法使いが研究資金を稼ぐために作って売りに出したものが大部分で、生産量はまるで安定していないし、魔道具作りで長期の職を探している人間もまずいない。
だからこそ、ノワールが専業的に作製している魔道具が、冒険者のみならず他の騎士団の間でも人気を博しているわけなのだが。
「なぁ、ノワール。やっぱりこういうのは、魔法使いの横の繋がりを頼るのが一番だと思うんだが、本当に心当たりはないのか?」
前にもした質問を改めて投げかけてみるも、ノワールは以前と同じように首を縦に振って『心当たりはない』と意思表示した。
しかし以前はそれだけだったのだが、今回はしきりに躊躇しながら、もっと詳しい事情を語ろうとしてくれるようだった。
「……私の……私達の、両親は……よくない、研究を……していた、らしい、んだ……具体、的な、ことは……私は、知らない、けど……」
ノワールは絶え間なく周囲に視線を巡らせている。
見知らぬ他人に話を聞かれたくない――というよりも、聞かせたくないといった雰囲気だ。
聞かれることによって自分が嫌な思いをするのではなく、聞いてしまった他人が嫌な思いをしてしまうから、とでも表現するべきだろうか。
「それを……咎め、られて……殺され、た、んだ……。私達、が、子供の……頃に……。故郷に、も……いられなく……なったな……」
初めて聞くノワールの過去。
俺は余計な口を挟もうとも思わず静かに耳を傾けていた。
「……それ、から……私達は……あちら、こちらを、渡り歩いて……生きてきた。魔道具を、売ったり。魔法使い、として、雇われたり。だから……同業者の、知り合いは……ほとんど、いなくて……」
「……悪かった、嫌なこと思い出させたな」
ノワールは瞳を閉じて首を横に振り、そして更に言葉を続けた。
「大変、だった、のは……最初だけ、だから。流しの、魔法使い、は……報酬も、高くて……。魔法の、腕も、磨けたし……」
さり気なく遠くへ向けられたノワールの視線は、どこか懐かしい過去を見やっているようにも思えた。
「でも……私、こんな、だから……ずっと、妹に、頼りっぱなしで……」
白魔法使いのブラン――その名が出てきたことに驚きはない。
先程から語られてきた私達というのは、明らかにノワールとブランの双子の姉妹を示していたのだから。
「今思えば……ブランが……ああいう、性格に、なったのは……私の、せいかもな……情けなくって……手間が掛かって……大変なことは、全部、任せてしまって……」
俺が知るブランは、見下している他人である俺の神経を逆撫でするような言動が目立つ一方で、実力と地位のある勇者ファルコンには上手く取り入るような奴だった。
加えて、本気で自分自身の生命や人間性が危うかったとはいえ、自己保身で魔王軍に寝返るような奴でもある。
しかしこれらも裏を返せば、ノワールが語ったような環境で、年若い姉妹が危害を被ることなく生き延びるために、なりふり構わずあがいてきた結果なのかもしれない。
「ご、ごめん、ルーク……ブランの、話は、不愉快……だよな……?」
「気にするなよ。この期に及んで恨み辛みを引きずっていられるほど、俺は器用な奴じゃないんだ。短い間に色んなことがありすぎたし、何よりあいつはもう……」
「そ……そうか……なら、よかった……」
ブランのことを話題に出して辛くなるのは、俺なんかではなくノワールの方だ。
確かにブランは、勇者ファルコンの失態の尻拭いのために、俺を『奈落の千年回廊』に置き去りにすることを提案し、危うく命すら落としかねない状況に追い込んだ張本人である。
けれど、魔王軍に寝返ったブランを討ったのは、他ならぬノワールだった。
血を分けた実の姉妹を討ち果たすことを使命と捉え、あらゆる感情を必死に抑え込んで、自ら進んで自分の手を汚してしまった。
最期は暴走した召喚魔法の逆流に飲み込まれてしまったそうだが、その暴走はノワールによって意図的に誘発させられたもので、ノワール自身も自分が手を下したものと認識しているらしい。
俺は現場に居合わせていなかったが、俺達の因縁に全く関係がない冒険者のナギがその場にいて、彼もノワールと全く同じ顛末を報告している。
なので、ブランがそうした末路を迎えたことに疑いの余地はなかった。
肉親を手に掛けた女が気丈に振る舞っているのに、迷惑を被ったとはいえ損失を取り戻して余りあるモノを得てきた俺が、この期に及んでグチグチと恨み節を呟くなんて、いくらなんでも無様なことこの上ない。
これが他人事ならとやかく言う気は毛頭ないが、自分のことなら手加減無用だ。
「……不思議、だな。何だか……気持ちが軽く……なった、かも、しれない……」
ノワールは表情を緩め、どことなく落ち着いた様子で息を吐いた。
「こんな、こと……ルーク、にしか、話せない……から……」
「それはよかった。気が向いたらまた何か話してくれよ」
もうかれこれ一年ほどの付き合いになるが、ノワールが自分のことをこんなに話したのは初めてだったかもしれない。
俺もその事実が嬉しくなり、口元を綻ばせているノワールに微笑みを返したのだった。




