第346話 グリーンホロウのダンジョン群
――ナタリアの用件は、支店の方で少々想定外の事態が発生したものの、自分の権限では判断しきれなかったので、俺に支店まで来てもらいたいとのことだった。
そういうことも俺の仕事のうちなので、もちろん断る理由などないのだが、一応ひとつだけ確認しておくことにする。
「俺が支店に行かないと対応できそうにないことなのか?」
「ええ、実は……」
ナタリアが顔を寄せてひそひそと事情を伝えてきた。
……なるほど。そいつは確かに、直接赴いて話をした方が良さそうだ。
急な話ではあるが、すぐに対応するとしよう。
「店長、支店で何かあったんですか?」
「簡単に言えば商品の売り込みだな。自分達が作った商品を、ホワイトウルフ商店で取り扱って欲しいっていう要請が来たらしい」
不安そうなエリカに簡潔な説明をしておく。
嘘偽りは混ざっていない。完全に正しい情報だ。
誰が商品を持ち込んだのかという点を伏せているだけで。
「エリカ、アレクシア。悪いけどちょっと行ってくる。裏の倉庫からガーネットを呼んできてくれ」
「ちょ……! ルーク君、ガーネットも必要なんですか? 今日はレイラが休みですし、ノワールも手が離せそうにないんですけど!?」
「それでしたらご心配なく。補充要員を連れてきましたから」
ナタリアはすかさずそう言って、店の玄関の方に目をやった。
そこでは支店従業員のハリエットが、扉の隙間からこっそりとこちらを窺っていたのだった。
「……んで、どうしてテメェまでついて来てやがるんだ?」
本店から支店へ移動する道すがら、ガーネットは眉を歪めて肩越しに振り返り、後ろを歩くソフィアのことを睨みつけた。
「貴店の査察の結果を黄金牙騎士団に伝えるため、ホロウボトム要塞に赴く必要があるだけです。初めての道ですので、通い慣れた方々の後について歩くのが安全かと」
ガーネットの発言をソフィアは軽やかに受け流した。
ホワイトウルフ商店のホロウボトム支店は、冒険者ギルドのホロウボトム支部の一画を借りて経営しており、そして支部の建物は黄金牙騎士団のホロウボトム要塞の半分を下げ渡されたものだ。
一連の関係性を文章にすると『ホロウボトム』の文字が並んでややこしいが、要するに黄金牙の前線基地とうちの支店はすぐ近くにあり、それぞれに用事がある人々が同じ道を通るというだけのことである。
迷うような道ではないのだが、立地が立地だけに初めて訪れる人間が不安を抱いてしまうのも無理はない。
俺とガーネット、ナタリアとソフィアの四人連れで『日時計の森』の入口に差し掛かったところで、ソフィアが興味深そうに周囲を見渡しながら呟きを漏らした。
「これが『日時計の森』ですか……本当にただの森、ただの盆地といった雰囲気なんですね……」
「専門的な調査が入るまで単なる森だと思われていて、住民も普通に立ち入ってたくらいだからな」
グリーンホロウ・タウンの最寄りダンジョン『日時計の森』は五階層の大きな段差で構成された盆地のような構造をした開放型であり、一般的なダンジョンのイメージとは掛け離れている。
「事前情報の正確性を確かめておきたいので、いくつかお尋ねしてもよろしいでしょうか」
最下層の第五階層に続く、綺麗に整備された林道をゆっくりと下っていく間にも、ソフィアは絶えず俺に会話を振り続けてきた。
「まず、Aランクダンジョンの『奈落の千年回廊』の奥から、魔王軍に虐げられたドワーフが救援を求めてきたことが、いわば全ての始まりだったのですよね」
「そうだな。踏破が難しいだけで得る物がないダンジョンだと思われていたから、ギルドも王宮も寝耳に水だったらしい」
ソフィアと最初に会ったとき、俺はできるだけ丁寧な口調で応対していたが、今はなるべく普通の口調で話すように心がけている。
騎士団長が団員に謙るのは望ましくないという、他ならぬソフィア本人からの要求を受けての振る舞いだ。
「『千年回廊』を抜けた先には魔王軍が支配する『魔王城領域』があり、団長殿は『千年回廊』の隠し通路を用いて『日時計の森』に脱出……黒魔法使いのノワールは『魔王城領域』の隠し通路を用いて『日時計の森』に脱出した……この認識でよろしいですか?」
正確な解説だったので、首を縦に振って肯定する。
「それで間違いない。今は『千年回廊』の全ての出入口が封鎖されていて、許可を得た一部の人間以外は立ち入れないから、この『日時計の森』を経由して『魔王城領域』に入るのが唯一の正規ルートだな」
許可を得た一部の人間というのは、具体的には俺のことだ。
法で定められた上限量を越えない限り、俺は迷宮内壁を構成するミスリルを採取するために、『奈落の千年回廊』に立ち入ることが許されている。
他にも王宮から派遣された調査隊が潜っているそうだが、今のところ成果が出たという話は聞いていない。
「ありがとうございます。そしてつい先日、『魔王城領域』よりも更に深い領域に到達したとのことですが……」
ソフィアは一旦そこで言葉を切り、怪訝そうに首を傾げた。
「これら全体を纏めて言い表す正式な名称はないのですか? 私が受けた報告では、グリーンホロウのダンジョン群だの魔王城関連ダンジョンだのと呼称が一定せず、妙に分かりにくかったもので」
「あー……全体の正式名称っていうのは、まだ決まってないな。魔王戦争が終わったばかりで、調査もようやく本格化し始めたところだから、色々と不十分なところも多いんだ」
確かに、これまでは『日時計の森』や『魔王城領域』といった呼び方で何の不自由もなかったが、今以上に奥の階層が発見されていくようなら、全てをひっくるめた総称が必要になる可能性は高そうだ。
俺も含めた、一連の経緯を把握している連中だけで話し合っていたら、なかなか出てこなかった発想かもしれない。
そんな会話を交わしている間に、『日時計の森』の第五階層に佇むホロウボトム支部に到着する。
「この施設は地下通路を挟んで前後に分かれていて、森側が冒険者ギルドに払い下げられて支部になっているんだ」
「地下の側が黄金牙のホロウボトム要塞ですね。ご案内感謝します」
要塞に用事のあるソフィアとは一旦ここで別行動となる。
地下通路までの道順を教えてから別れを告げ、支部の建物内に店子として入っている支店に向かおうとしたところで、快活な雰囲気の少女が手を振りながら駆け寄ってきた。
「おーい! ガーネット、久し振り! 元気にしてた?」
「ん? 何だ、エゼルじゃねぇか。長いこと地下に潜ってるって聞いてたけど、ちゃんと生きてやがったのか」
「当たり前でしょ。これでも勇者の端くれなんだから、そう簡単にはやられたりしないってば」
勇者エゼル。どこぞの高位貴族か何かの娘らしき生まれながら、自ら望んで勇者の肩書を得た少女だ。
一応、ガーネットの正体を知る数少ない人物の一人でもあり、本人は同性の友人と認識しているらしい。
「……おい。お前、いつもの剣はどうしたんだ?」
「あはは……色々と事情があってね」
ガーネットから丸腰であることを指摘され、エゼルは誤魔化すような笑みを浮かべた。
「今日は支店の方の『来客』に会いに来たんでしょ? 実は彼ら、私の紹介なんだ。事情はそのときに説明するから……ね?」




