第339話 待ち続ける男達
食事を終え、ひとまずホワイトウルフ商店に戻ろうと思った矢先、春の若葉亭のエントランスに佇むナギの姿が視界に入った。
いつも行動を共にしているメリッサはどこにも見当たらない。
髪の湿り具合と肌の上気具合を見るに、さっき風呂から上がったばかりといった様子だ。
ナギは俺達の存在に気がつくと、小さく会釈をして無言の挨拶を投げかけてきた。
「メリッサはいねぇのか。珍しいな」
「あいつはまだ大浴場だ。長風呂だからな」
白狼騎士団が発足し始め、ガーネットが銀翼の騎士であると公表されてからも、ナギはガーネットに対する態度を変えていない。
同年代相手の振る舞いと何ら違いはなく、ガーネットもむしろその方が気楽だと言わんばかりに接している。
サクラのように友人と呼べるほど親密というわけではないが、顔を合わせればごく自然に言葉を交わし、窮地とあらばごく自然に力を貸す――同性の冒険者ではよくある間柄だ。
「この前は悪かったな。色々と迷惑かけて」
「いえ、緊急時への対応も含めての仕事ですから。それに、こちらとしても得る物は多かったですし」
得る物と聞いて、ナギが西方に来て冒険者になった理由を聞いたことがなかったな、ということを漠然と思い出した。
サクラは西方大陸の錬金術師にヒヒイロカネの加工方法を求め、同時に武者修行をこなすことを目的としていたが、ナギの目的は一度も耳に入ってきていない。
最初にサクラと出くわしたときの驚きようから察するに、少なくともサクラを追ってきたというパターンはなさそうだ。
この機会に尋ねてみようかとも思ったが、さすがにそれは馴れ馴れしいかと思い直し、別の方向性で話題を広げることにした。
「そう言えば、サクラのところとは神様についての価値観が違ったんだよな。今回の件で、ナギのとこの考えが正しかったってことになるのか?」
神とは信仰者にスキルを与える存在――ということは大陸の東西を問わない共通認識だが、具体的にどんな存在なのかという意見は大陸内でも統一されていない。
主だった仮説は、自我を持つ超越的な存在である説と、人間的な自我を持たない力の塊であるという説だ。
そしてナギの一族は前者を、サクラの一族は後者を支持していて、ナギ達は神をエネルギーリソース的に捉える神降ろしを非難しているとのことだったが……。
「そうとも、言い切れませんね」
ナギの返答はどうにも歯切れの悪いものだった。
「あれではまるで人間だ。神らしいのは力の強さだけで、人間を加護する素振りなんか全く無かったでしょう。あれが本当に神なら故郷の長老達が揃って憤死しますよ」
「……ごもっともで」
言われてみれば確かにそのとおりだ。
俺はとっくに信仰心が薄れきっているのですぐにはピンとこなかったが、神々に自我があって人々を守護しているのだと考える層にしてみれば、あの炫日女の立ち振舞いは受け入れ難いものかもしれない。
もちろん、あれくらいに身勝手な方が神らしいと思う人もいるのだろうが。
呆れ混じりにそんな会話を交わしていると、大浴場に繋がる廊下の奥からメリッサが手を振ってナギに呼びかけてきた。
「直接依頼でも構いませんから、今後も地下探索の仕事があれば声を掛けてください。俺にとっても興味深い案件ですし、貴重な経験も積めそうですから」
「そう言ってくれるとありがたい。これからもよろしく頼むよ」
ナギは最後に冒険者としての仕事の件を軽く話してから、メリッサの方へと立ち去っていった。
何かに付けてサクラとぶつかりがちなナギだが、依頼内容の遂行中はこういった個人的感情を棚上げし、サクラとの連携もきちんと取ってくれている。
本人もこう言ってくれていることだし、メリッサ共々頼りにさせてもらうとしよう。
「にしても、魔将と出くわすわサクラはあんなことになるわ、一時はどうなることかと思ったけどよ、何だかんだで丸く収まったみてぇだな。ナギも真っ二つにされかけたことに遺恨はないみてぇだし」
グリーンホロウ・タウンの通りを抜け、ホワイトウルフ商店に続く坂道を登りながら、ガーネットがしみじみとそう呟いた。
日中はダンジョンに向かう冒険者で賑わう道だが、今のように日が落ちてくるとさすがに人通りも減ってくる。
大抵の冒険者は暗くなる前に町へ引き上げてしまうか、ホロウボトム支部の宿で一夜を過ごしてから地上に戻ってくるからだ。
「瘴気にやられた冒険者達もエリカの薬で回復したみたいだな。騎士団の初仕事が悲惨な結果にならなくて良かったよ」
「そうそう。地下にいた冒険者連中が揃ってエリカに夢中みてぇじゃねぇか。あいつもなかなかやるもんだぜ」
「色恋沙汰とは関係ないと思うけどな」
もちろんガーネットの口調は完全に冗談めかしたものだった。
深層領域の探索に参加していた冒険者の間で、エリカに対する評価が急上昇したのは事実だ。
瘴気に侵された体の回復力を高めるため、エリカは粉骨砕身の献身で薬を作り続け、それが終わったら協力してくれた冒険者に疲労回復のポーションを贈るという心遣いまで見せたと聞いている。
……まぁ、細かい表現はロイの発言そのままなので、少々大袈裟になっている可能性も否めない。
だがマークからの報告も、必要最小限で淡々とした表現だが大筋は一致していたので、エリカの活躍ぶりに疑いの余地はないだろう。
もしかしたらエリカ目当ての客が増えるかもしれないな――地上への帰還直後にそんなことを言ってみたら、エリカは顔を真赤にしてぎゃあぎゃあと否定していたが、恐らく俺の想像通りになるだろう。
十五年も冒険者を続けてきたのだから、一般的な冒険者連中の行動パターンはおおよそ把握できている。
そんな雑談を交わしながら、薄暗くなってきた坂道をいつものように歩いていると、ホワイトウルフ商店の前に佇む青年の姿が視界に入った。
あちらも俺達の接近に気が付いたらしく、ゆっくりとこちらに振り返って、何も言わずに玄関先で俺達を待ち受けた。
「……マーク卿か。こんな時間にどうしたんだ?」
「騎士団長殿……いや、兄さん。個人的な話があるんだ」
まさかの呼ばれ方に思わず目を丸くしてしまう。
故郷を出る前はずっとそう呼ばれ続け、だが再会してからはただの一度もまともに呼ばれなかった懐かしい呼称。
単に成長して呼び方を変えたわけではなく、意図的かつ露骨に避けていた様子すらあったその呼び名を、マークはあえて言い直してまで使っていた。
「分かった……とりあえず中に入ろう。ガーネット、お茶の用意を頼めるか?」
「おう。積もる話は山ほどあるんだろ? 好きなだけぶちまけちまえ」
ガーネットは俺とマークを家の中に入れてから、最後に玄関の扉を閉めた。
――そこから先のやり取りは、あえて言葉にするまでもない。
お互いに十五年間の空白の出来事や、十五年間に溜め込んできた率直な感情をぶつけ合い、呆れたり怒鳴ったりを延々と繰り返しただけだ。
別に何ということはない、ごくありきたりな兄弟喧嘩である。
正直な話、具体的なやり取りはとにかくこっ恥ずかしくて情けなくて、ガーネット以外の奴には聞かれたくもないし打ち明けたくもない。
騎士団長でもなければ配下の騎士でもなく、ただの身勝手な兄と空回りした弟が、夜遅くまで腹に溜め込んでいたものを投げつけあった――そんな時間を過ごしただけだったのだから。
次回が第八章エピローグの締めくくりになります。




